37婚約者との交流
エイヴァルトはノートリア子爵令嬢リーリアを植物園に誘った。
婚約した貴族の男女にとってお決まりのデートコース……もとい、交流方法だ。
午後の麗らかな日差しの中、美しいエイヴァルトは卒なくエスコートして、リーリアは恥ずかしさで顔を赤くしながらも、差し出された腕に手を添えて嬉しそうにしている。
その様はあまりにも自然だ。ほとんどの女性がエイヴァルトに取る態度だった。
もしかしてこれまでのすべては芝居ではなく、彼女は関わっていないのではないかと不安になるほどだ。
植物園では居合わせた客……特に女性たちからの視線が凄かった。エイヴァルトをぽぉ〜っと見つめていたかと思うと、隣のリーリアに気付いて嫉妬の視線を向けるのだ。そんな中でもリーリアは満足そうにしていたので、かなり肝の据わった性格をしているのかもしれない。
「本日はお誘いいただいてありがとうございました」
別れ際に頭を下げた彼女に、「もう一箇所、あなたと一緒に行きたいところがある」と誘う。
リーリアは「まぁ!」と喜んだが、言葉に反して戸惑いに視線が逸れるのをエイヴァルトは見逃さなかった。
やはり思ったとおりで間違いないようだ。エイヴァルトは捕縛対象を前にしたような感覚の中で悟られないよう平静を装う。
「ここから近いので歩こう。侍女と従者は馬車で待たせておけばいい」
「え、でも……」
リーリアは不安そうに後方を振り返った。視線の先には護衛としてついてきている年若い男がいた。
「私は王国の騎士だ。暴漢が現れたとてあなたに指一本触れさせない」
「……分かりましたわ」
エイヴァルトがリーリアを案内したのは植物園近くの公園だ。見晴らしが良く人が少ないので近くに誰かが来たらすぐに分かる。
エイヴァルトはリーリアを近くのベンチに座らせ、自身も同じく隣に腰を下ろすやいなや、「話がある」と本題に入った。
「ノートリア子爵令嬢。あなたは私と結婚するつもりがあるのか?」
「もちろんです!」
拳をぎゅっと握ったリーリアはエイヴァルトにぐっと身を寄せた。エイヴァルトは「そうか」と口元に笑みを浮かべるとリーリアに顔を寄せ、その耳元に唇を近づける。彼女の体温が一気に上がったのが分かった。
エイヴァルトは色仕掛けができるわけじゃないし、意識してやろうともしていない。いつも相手が勝手に殺られて落ちるのだ。今回もそう。けれど……。
「トリン侯爵家が取り潰しになろうかというのに?」
そう告げた途端、一瞬で体温を下げたリーリアが息を呑んだ。それだけですべてが悟れる。
「ノートリア子爵はウィンスレット公爵の手の者だな。君の目的は?」
「なんのことなのか分かりません。わたしはエイヴァルト様と結婚します!」
平静を装おうとしているが声が震えている。これでは認めたも同じだ。
取り調べのときのエイヴァルトは、綺麗な顔のせいで恐ろしいと部下に言われたことがある。きっと今はその時の顔になっているだろう。頬を染められるより怖がられるほうが楽だ。このまま一気に婚約解消に持ち込みたい。
「その決意はどこからくるのだろうな。ノートリア子爵に命じられてのことか?」
「わたしがエイヴァルト様を愛しているからですわ!」
「そうか。ならこのまま私と一夜を過ごしてもいいね」
リーリアの顔がみるみる青ざめた。可哀想だがエイヴァルトも追い詰められている。手を抜くわけにはいかない。
「……純潔は結婚するまで守るべきものです」
「君の愛はその程度なのか?」
貴族の娘として当然の文句を使って逃げようとするリーリアはベンチに座ったまま後退する。
けれど行き過ぎて先が無く、落ちるのを防ぐために、そして逃さない意味も含めてエイヴァルトはリーリアの腰に手を回した。空いたもう一つは彼女の頬に触れて顔を固定する。
「私に辱められたそうだな。今さらだろう?」
エイヴァルトに相手にされなくて大げさに吹聴したのはリーリア自身だ。
そう告げた後にもう一度「ノートリア子爵に命令されたのか」と鼻が触れるほど至近距離で訪ねると、リーリアは「ひっ」と悲鳴を漏らした。
「ノートリア子爵は内政に手を出すような人柄ではない。だがトリン侯爵家の採掘技術は欲しい、そうだろう? だからウィンスレット公爵に手を貸している。私と君との婚約で金鉱を手にできると調子に乗ったトリン侯爵家は、借金を重ねていずれ破産するだろう。婚約期間の一年が過ぎる前にね」
貴族の婚約から結婚までは一年の時を置くのが通常だ。それだけあればエイヴァルトがノートリア子爵に婿入する前に、トリン侯爵家は自力ではどうにもならない状態にまでなっているだろう。
そこで何らかの理由をつけてエイヴァルトとの婚約が解消される。梯子を外されたトリン侯爵家は破産して信用を失うのだ。
「婚約破棄は貴族の令嬢にとって致命的な欠陥になる、トリン侯爵家に非があろうとね。分からないのは君の態度だ。私と顔を合わせるまで君は礼儀を知るごく普通の令嬢だった。そのまま普通でいればよかったものを、なぜこうも過剰になったのだ。私から嫌われるのが目的なのか」
その時、「お嬢様!」と声が上がった。リーリアの従者が二人を引き離そうと手を伸ばす。すでに視界に捉えていたエイヴァルトは男の足を払うと、リーリアが転げ落ちないようにベンチに座らせてから男の腕を捻って拘束した。
「シスル!」
リーリアが男の名を叫んでエイヴァルトとの間に割って入ろうとしたが、エイヴァルトは拘束をやめない。
「わたしの従者です、乱暴しないで!」
「この男の行動を許していたら君はベンチから落ちて怪我をしていた。従者であろうと暴漢だ」
「いいえ、違います。わたしを守ろうとしたのです!」
「婚約者から? 私が暴漢だとでも?」
「それはっ……」
エイヴァルトの立場はトリン侯爵子息かつ、国を守る騎士だ。騎士は国王から任命を受けるため国王の持ち物とされている。
従者は状況的にリーリアが襲われていたと思ったのかもしれない。けれど実際には傷一つつけられていない。シスルと呼ばれたこの男は、ノートリア子爵令嬢と王国の騎士に飛び掛ってきたのだ。
二人が婚約関係にあると知っていながら、身分が下なのにも関わらず暴力を振るおうとした。しかもエイヴァルトが「襲いかかられた」と証言すれば、シスルは国王の所有物に傷をつけようとしたことになる。騎士に手を出した罪は重い。
絶対的に不利なのはシスルだと理解したのだろう。リーリアは口籠った。
「お嬢様っ!」
何か言いたそうな男の頭を押さえて口を塞ぐ。恐らくは立場はノートリア子爵の方が上だとでも言いたいのだろう。罪に問われようと後ろについているウィンスレット公爵が裏から手を回して助けてくれる、無罪放免だと。
この男が主家の娘を案じているのはエイヴァルトも理解していたし、エイヴァルトからして罪に問うような行動でもない。リーリアを抱いて避けることだってできたし、拘束までしなくても襲われないことは分かっていた。この男はただエイヴァルトとリーリアを引き離したかっただけなのだ。
けれど敢えて乱暴に扱う。するとリーリアは「ごめんなさい」と泣き出してしまった。
「すべて正直にお話しいたします。だからお願い、シスルを解放してください」
従者一人を解放するためにすべて話してくれるらしい。なるほど、この男はリーリアにとって大切な男なのだなと、エイヴァルトには正解であろう答えが予想できた。




