36メッセージカード
王太子からクラーラへのお詫びの品を受け取ったアイザックは、言われるままちゃんと持ち帰って渡した。
「差し入れを貰った。俺は食わないから」
「高級店のじゃない!? こんなの差し入れてもらえるなんて騎士って凄いのね!」
喜ぶ姿は微笑ましいが複雑な心境だ。
なにせ相手は王太子、次の国王になる人だ。
半分血が繋がっていると知ってからも一切関わらず、臣下として国に尽くしていた。騎士といえど平民なので、言葉を交わすことなんて生涯ないと思っていたのに。
呼び出された時は正直何を言われるのかと緊張していた。表沙汰にできない分、裏で報復されるのではと考えたりもした。辺境に左遷され、クラーラと引き離される可能性も視野に入れていたのだけれども……。
対峙した王太子はアイザックと同じ人だった。
緑色の瞳を少しばかり不安そうに揺らしていたが、命じられるまま臣下の礼を取らずにいると表情が明るくなった。一目で好意的に接してくれていると分かったものの、それが逆に不安にも感じた。
アイザックとの関係がこれ以上知られることになったらと思うと怖かったが、王太子はそんなアイザックの気持ちを察しているようでもあった。
クラーラへの詫びだと差し出された紙袋。クラーラの気持ちを察して誰からの物なのか伝えなくてもいいと言われても、見えない耳がしゅんと垂れているような雰囲気で。
無礼ではあるが可哀想になって受け取ると、王太子は途端に上機嫌になって顔を上げた。
だから誰からの贈り物なのか本当のことを言ってやりたかったが。アイザックにとっての最優先はクラーラだ。けれど王太子……ディアンからの贈り物を捨てるのも心が痛む。
だから差し入れだと嘘をつかずに渡すことにしたのだ。
何しろ王太子自らが、自分からだとは言わなくていいといったのだ。
それなのに……。
「あ、カードが入ってる」
「は!?」
「慌てちゃってどうしたの。もしかして女性からの差し入れ? アイザックのことが好きなのかな!?」
取り返そうとしたが遅かった。クラーラは上機嫌に背を向けてカードを読み上げる。
「えーっと。先日は怖がらせて申し訳なかった。君が可愛くて調子に乗ってしまったけれど、すべて本気のことではない。浅はかな私を許してほしい。……ディアン」
ディアンはメッセージカードを抜き忘れていた。
読み終えたクラーラは背を向けたまま固まり、両手でカードを持って言葉をなくしている。
「クラーラ、その……。悪かった。大丈夫か?」
嘘なんてばれるものだ。初めから本当のことを言えばよかった。いや、持ち帰らずにアイザックが食べてしまえばよかったのだと後悔していると。「どうだった?」と、クラーラが静かに聞いてきた。
「どう、とは?」
「この人、本当に反省してたの?」
わざわざ考えなくても、王族は貴族よりも高い位置にいる存在だと誰もが知っている。その中でも王太子という存在は手を伸ばしても届かない、夢の中の人である。そんな存在と現実に関わってしまったのだから怖くて当然だ。アイザックでさえ怖いのに、何も知らないクラーラが怯えるのも当たり前だった。
機嫌を損ねたら貴族だって重い罰を受ける。なのに平民相手に反省しているというのが信じられないのだろう。
「あ、ああ。そうだな。先日訪ねてきた男が言ったとおりで恨んでいる様子もなかったし、こうして自身で詫びてくるほどだ。悪いお方ではないのかもしれない」
愛人の子を恨むでもなく、蔑むでも馬鹿にするでもない。王太子がそんなに素直でいいのかと心配になるほど気持ちが顔に出る人だった。
「優しくして見せているだけってことはない? 本当はまだわたしのことをあきらめてないのかもしれないし。可愛くて調子にのったなんて、高貴な人が書く文章じゃないような気がするわ」
十中八九クラーラに合わせていると思われる。臣下に対する口調では怖がられると思ったのだろう。しかしこの気遣いは失敗だったようだ。
クラーラが恐れるようなことにはならない。けれどそれを告げることはできなかった。知ればクラーラがほっとするだろうことは予想できても、次は王太子がアイザックにしたように接してくる可能性が出てきてしまう。クラーラには特別な瞳があるので、王族との接触は絶対に避けさせたかったのだ。
「クラーラ。兄の俺から見てもお前はとても魅力的な娘だ。市井を歩かれるあの方が惹かれて見初めたとしても驚かない。だがもし本当にそうなら、誰かに諭されようと自由にするだけの力を持っておられる。そうしなかったのは本当にちょっとした悪戯だった証明じゃないか?」
「人をからかって遊ぶような目はしてなかったんだけどな。それに妄想癖ってなんだろう」
知らないからこそ考え込んでしまうのだろう。どうしたら不安を消してやれるだろうか。アイザックは自身の不甲斐なさに拳を握った。
「ま、お屋敷は貰えないけどこれならいいかな。きっと美味しいだろうし」
振り返ったクラーラは「お茶を入れるわね」と、メッセージカードをポケットにしまってキッチンへと向かった。
アイザックはウィンスレット公爵からクラーラを結婚させろと言われたのと、ウィンスレット公爵の前で堂々と立候補したエイヴァルトを思い出した。
その必要はなくなったが、もしクラーラがエイヴァルトと結婚したら不安が消えるのではないだろうかと、浅はかにも考えてしまった。
エイヴァルトはトリン侯爵家から籍をぬこうとしている。それはクラーラのためじゃないと言うが、アイザックからするとそう受け取れてしまうのだ。さらにはつい先日知ったが、エイヴァルトは婚約者がいるらしい。騎士団舎で大騒ぎだったとフランツから聞かされた。しかもそこにはクラーラもいたのだという。
好いた男に婚約者がいると知ったクラーラはどれほど傷ついただろう。明るく振舞っているが無理をしているのは明らかだ。
あの日から仕事に打ち込んで帰りが遅くなることが増えた。「危ないから早く帰るように」と言っても「大丈夫」と返される。彫金に集中していると嫌なことを忘れられるのだろう。だからアイザックはここ最近は毎日クラーラの仕事場に迎えに行っていた。
本当なら認めてやりたい。エイヴァルトの人と形を知ると悪い男でないことがよく分かった。けれどやはり障害がありすぎる。
チョコレートでできた菓子を「おいしい!」と言って嬉しそうに食べるクラーラを見ながら、アイザックは目を細めて「よかったな」と熱いお茶に口をつけた。




