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35のぞき見


 アイザックと王太子ディアンのやりとりを、建物の陰に隠れてこっそり窺っていたエイヴァルトとラインス。


「今の見たかい?」


 ラインスは黒い目を大きく見開いて、周囲を気にしながら足早に去っていく王太子とフリューレイを見送っている。エイヴァルトは「不敬だぞ」と、しっかり目撃したが見なかったことにするつもりだ。

 なのに……。


「でれでれだったぞ。アイザックになら殴られても笑って許してしまいそうじゃないか?」


 彼は遠慮も何もなく、王太子に聞かれたら不興を買うようなことをあっさりと言ってのけた。


 まぁ確かにとエイヴァルトも思うが絶対に口にしない。

 王太子の監視としてやって来たラインスと行動を共にしていたエイヴァルトは、ラインスの言いたいことも分かるので適切な言葉で対応する。


「殿下は二人に会わないほうがいいだろう。態度がまるで隠せていない。秘密の露見よりも王太子の威厳が損なわれる可能性がある」

「同感。さすがに父上……宰相閣下に伝えないと駄目だな」


 はっきり言おう。アイザックと対峙した王太子は砕けていた。いや、砕け過ぎた態度でアイザックに接していた。見下せとまでは言わないが、王族としての威厳が全く窺えず、まさに素の状態といった感じだった。


 言葉遣いは臣下に対するものだったが、終始笑顔で楽しそうだった。雰囲気が柔らかく、桃色のオーラに覆われているような……浮かれている様が手に取るように分かってしまった。

 何よりもアイザックが紙袋を受け取った瞬間、心配そうに眉を寄せていたのが一変し、笑顔になると同時にぱぁっと光を放って見えない尻尾を振りまくっていた。

 上機嫌で帰る様はなんというのか……欲しくて堪らなかった玩具をやっと手にした子供のようだったのだ。

 エイヴァルトは見てはいけないものを見てしまった気分だ。


 呼び出しに応じたアイザックも初めは警戒していたのに、王太子の無邪気ともいえる浮かれように引いていたかのように見える。差し出された袋を断ったら泣かれると思ったに違いなかった。


「よし、仕事は終わりっと。じゃあまた何かあったら連絡するよ」


 軽くスキップでもするような態度で手を振ったラインスを、エイヴァルトは「待ってくれ」と引き止めた。ちなみにいらない情報だが、運動音痴のラインスはスキップができない。


「ノートリア子爵家のことだが」


 そう言っただけでラインスの雰囲気が変わった。


「なに?」

「ウィンスレット公爵家と繋がりがあるのか?」


 血縁や政略の繋がりを問うてではない。ノートリア子爵は政治に関わらない田舎貴族で、血縁的にもウィンスレット公爵家と繋がっていないのは分かっている。

「ないよ」と答えたラインスは広角を上げた。その「ない」は「ある」との意味を込めた返事だった。


「やっぱり君は怖いね。そんなにヒントをあげたかなぁ」


 十分に貰っていた。気づくのが遅いくらいなのに、ラインスはエイヴァルトを高く評価してみせる。


「で、どうするの? このことで僕は手を貸せないけど?」

「ノートリア子爵令嬢の本心が知りたい。彼女と話をするが、問題ないな?」

「どうぞ。君の婚約者だ。口出ししないよ」

「感謝する」


 ラインスはエイヴァルトが欲しかった答えをくれる。

 ノートリア子爵はセバスティアンに命じられてトリン侯爵家に接触したのだ。娘に悪評を立ててまで子爵家が得たいのはなんなのだろうか。

 金鉱山の採掘をするための技術だけなのか、それともウィンスレット公爵家によほどの恩や忠誠心があるのか。もしかしたらノートリア子爵はかつては密偵や間諜の類だったのかもしれない。


「婚約の話がどうにかなったとしても、トリン侯爵家は君を手放さないと思うけど?」

「その時は一か八かにかける」

「まさか殿下に頼むつもり?」

「あのお方はアイザックに殴られても笑って許してしまいそうなんだろう?」


 もし実行の必要があるなら強引なやり方になる。ラインスも正しく理解したようで「はぁ!?」と声を上げた。


「アイザックならね! 君は駄目だろ!?」


 呆れて返されたが、王太子を巻き込むのは最後の手段だ。エイヴァルトだってクラーラとの未来のためにも不敬で処罰されたくない。


「それにトリン侯爵家は君に継いでほしいのだけど?」

「祖父や父を陥れるのにか?」

「陥れるのは君じゃない」

「知らないふりをするのは同じことだ。それに私自身が苦しんだあの家にクラーラを縛りたくない」


 クラーラが生まれ育った環境とはまるで違うのだ。着飾って豪華な食事をして贅沢に身を置くのは簡単なことではない。憧れで済むような立場ではいられないのだ。


「相思相愛なんだろ? だったら侯爵夫人になってくれるさ」

「堅苦しい貴族の世界に引き込むつもりはない」


 エイヴァルト自身が疲弊していた世界に愛しい人を引き込みたいなんて思うわけがなかった。


「それに彼女は彫金師の職に誇りを持っている。私はそんな彼女も好きなんだ」


 貴族社会での女性の仕事といえば後継ぎを生むことと社交だ。男子を生めない妻は離縁か、夫の愛人の子を養子にする選択を迫られる場合すらある。

 美しく着飾って家の力を誇示し、流行に乗った姿形と会話で常に気を遣い、父親や夫の望むように行動することが優先された。

 エイヴァルトはそんなことをクラーラにさせたくない。今のままで輝いていて欲しいのだ。


「へぇ。ずいぶんと大切に想っているんだねぇ。でも、もしもの時は安心して私に任せるといいよ。公爵家に馴染めるよう全力を尽くして大切にするからさ」

「そちらこそ安心してくれ。渡すつもりはない」


 冗談には思えない軽口にしっかりと対抗しておく。

 とにかく急がなければ。ディアンとの問題はなくなったが新たな敵が現れる。それはラインスだけではない。ラインスよりも彼女を取り巻く男たちにとられる可能性の方が大きいだろう。

 一刻も早く同じ場所に立ちたい。クラーラの手を取って想いを告げたくて気持ちが急いた。




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