34王太子は気になって仕方がない
将来王になる者としての立場を確固たるものにするため、また私欲のために子供を産ませようとした相手は腹違いの妹だった。
この事実はディアンに強い衝撃を与えた。
幼い頃に亡くした父と、物心つく前には城からいなくなっていた母。兄弟はおらず、血縁者も祖父の国王を筆頭に遠い存在だった。
最も近くにいたのは前のウィンスレット公爵オルトールだ。
彼は宰相の地位にあったが、病がちだったローディアスを支えるために職を辞して、最期の時まで側で支えていたので、必然的にディアンの世話もやいていた。
ローディアス亡きあと、三年ほど前に老いを理由に領地に引っ込むまではディアンの側に仕えてくれた。
口煩い爺だったが様々なことで世話になった。彼が死んだら悲しくて泣くと予想できるほどに近くに感じて信頼している相手だ。
そのオルトールからこれほど大切な事実を隠されていたのはショックだった。そのせいで腹違いの妹に手を出してしまうところだったと憤慨した。
けれど時間が経つにつれて、隠匿された理由に思い至り納得できるようになっていた。セバスティアンが言うように隠されていなければ、二人は醜い権力争いに巻き込まれていたに違いない。
アイザックには彼の成人後に全てを話してどう生きるかの決断をさせたという。アイザックは今のままの生活を望み、兄妹二人で手を取り合って生きている。母親の実家とは絶縁して、頼る相手は互いだけ。
そんな二人にとって、今回の出来事は恐ろしいものだったと推察された。
全てを知るアイザックは禁忌が起きるかもしれないと気が気ではなかっただろうし、クラーラに至っては好いた男がいるらしかった。
ディアンは王太子だ、自分に望まれるのは光栄なこと。そう思い込んでいた自分がとてつもなく恥ずかしい。
事実を知るアイザックはともかく、クラーラには王太子の遊び心、悪戯、悪癖……と妙な理由を付けて説明したらしく、不本意ながら変な人間と思われてもおかしくない状態である。
フリューレイの弟で、宰相セバスティアンの側で働くラインスがそう誤魔化したと聞かされた。
これでは傍若無人で頭のおかしな権力者に思われてしまうではないか。「もっとましな言い訳はできなかったのか!」と声を荒らげたが、フリューレイからは「今後のためにも、本気で子を産ませるつもりだったと思われるよりはましでしょう」と諭されて、時が過ぎるにつれて尤もだと思えるようになった。
なぜなら、腹違いとはいえ血の繋がりのある弟と妹ができて嬉しいのだ。子を産ませようとしたが、性的に興奮する相手でなかったのは、そうと知らなくても本能で悟っていたからだと思うようになった。
決して言い訳ではない、本当に興奮しなかった。……ただ、可愛かったので手に入れたいとは思ったが、それもきっと「妹だと本能で悟っていたのだ!」と声を大にしてフリューレイに訴えた。
「そのようにしておきましょう」
「お前、信じていないだろう?」
「滅相もございません」
無表情を崩さない側近に、ディアンはふんと鼻を鳴らした。
「まぁいい。フリューレイ、これから騎士団に行こうと思う」
「何をしにですか?」
「そんなの決まっているだろう。日々努力する騎士たちを労うためだ。私が彼らを気にかけていることを知ってもらいたいからな」
「承知いたしました。ただ一つ申し上げておきますが、アイザックなら外回り中ですので騎士団舎にはおりません」
それを早く言え!
「なら買い物に……」
「承知いたしました。あの娘を怖がらせるおつもりですね」
彫金師としてクラーラが働く工房は店も併設されている。王太子の身分にあるディアンが身につけるには不足の品だが、彼女が妹だと知ってからはあの日買い求めた品に愛着を持つようになっていた。
そこへ買い物に行けば売り上げが伸びる。喜ばれるかと考えたのだが……。
「……それほどショックを受けているのか?」
「弟が考えた言い訳を鵜呑みにしているわけでは無さそうです。しかも相手は殿下に全く関係のない平民。もう少し時間を置かれることをお勧めいたします」
「そうだな。それが二人にとって最良なのだろうな」
交流を持って可愛がりたいディアンからすると不満だが仕方がない。可愛い二人のためなら、もう少しだけ我慢……するしかなさそうだ。
そう、時間が経てば経つほどディアンは二人に興味が湧いて知りたくてたまらなくなっていた。
クラーラとは交流を持ったが、アイザックとは顔すら合わせていないのだ。平穏な生活を乱されたくない気持ちは分かるが、王太子と臣下の騎士が交流を持つのは不自然ではないだろう。
ディアンは予定を調整して度々騎士団舎に赴くようになった。
早朝は嫌がられるので夕方、アイザックがいるであろう時間帯を狙って。騎士団の責任者からは「昼前か午後の早い時間」を推奨されたが、「皆が揃う時間がいい」と、あくまでも多くの騎士の姿を見たいと主張した。
そこで見たアイザックは筋骨隆々な大きな男だった。
茶色の髪はクラーラと同じ、紫の瞳は父ローディアスと同じ色合いのように感じた。
十五で騎士になり、平民出身ながら若くして部隊長になった実力者でもあると知り、ディアンは口に出さないものの、さすが私の弟だと誇らしくなった。
そしてついにディアンは我慢できなくなり、アイザックと隠れて対面を果たす。
帰ったふりをして再度騎士団舎に侵入し、人目のつかない場所で待っていると、アイザックがフリューレイに伴われて姿を見せた。
アイザックは驚いていたが、ディアンに気付いて膝を折る。
「よい、そのままで」
「いえ、しかし……」
「よいと言っている。それよりもう少し近くに」
そう声を掛けると戸惑いながらも従ってくれて嬉しくなった。
けれど一線を越えることはできない。アイザックが望んでいるのは現状であるし、ディアンが特別に目をかけているなんて知られたら秘密が露見する危険もあった。
不本意ながらもディアンは、異母兄であることは口にしない。ただ仲良くしたいとの気持ちを察して欲しいとは願っていた。
「先日はそなたの妹に迷惑をかけた。これは詫びだ、受け取れ」
本当は自分の妹でもあるがなと思いつつ差し出したのは、王太子が手にするには少しばかり粗末な、けれども平民からすると高級とされる菓子店の紙袋だ。
「殿下、これは?」
「市井歩きの際に見つけた。必要なら私ではなく、そなたからということにして渡してくれて構わない」
クラーラと一緒に食事をした際に、チョコレートでできたデザートを好むようだったので、ディアン自らが選んで買ったチョコレートで細工された焼き菓子だ。
ディアンからだと言って渡したら嫌がられるかもしれないので、その可能性があるならアイザックがクラーラのために買ったことにして欲しかった。
「お心遣い、感謝いたします」
意を汲んでくれたようで、拒絶せずに受け取ってもらえる。アイザックは今の今まで緊張していたようだったが、心なしか目元が緩んでいるように見えた。
「うむ。そなたは騎士としての評判がいいそうだな。将来国を統べる者として、そなたのような臣下がいてくれることを誇りに思う。今後も励んでくれ」
あまり長く関わっては人目についてしまう。名残惜しかったが、ディアンは早々にアイザックに背を向けた。




