31失念
エイヴァルトは呼び出された城の一角でラインスと落ち合う。「昨夜のことだけど」と、周囲に人がいないことを確認してからラインスは口を開いた。
「殿下は彼女との繋がりをお知りになったよ」
そう告げられた瞬間、抱えていた大きな不安から解放されたエイヴァルトは安堵の息を吐いた。
「では未然に防げたということだな」
「そうだね。兄によると恨みを持ったりするお方ではないし、二人が市井で生きる邪魔なんてしないだろうってさ」
ラインスの兄フリューレイが王太子の側に仕えているのは知っていた。ならば確実な情報だろう。
「そうか。だとするとあとは私の問題だな」
「父は君を信用していないからね」
絶対に表にできない秘密を知っているエイヴァルトには、セバスティアンの命令で監視がつけられている。
急な新人としてエイヴァルトの隊に入った二人の男はウィンスレット公爵家の私兵だ。エイヴァルトは信頼を得るために二人の行動に口出ししないし、勘違いされたくないので実家のトリン侯爵家と接触もしていない。
「どうすれば信用していただけるだろうか……」
ただトリン侯爵家と接触しないだけではセバスティアンの信頼は得られないだろう。絶縁が証拠になるかもしれないが、接触していないので除籍の問題もどうなっているのか分からないままだ。
「君は真面目だね」
鼻で笑われて「どういう意味だ」と問い返した。
「彼女は平民だよ。一国の宰相が平民の結婚に口出しするなんてあり得ない。君が侯爵家を抜けようと抜けまいと二人の仲は彼女次第じゃないの?」
「それはそうかもしれないが、ローディアス様の女性関係は残されているだろう?」
王族の生活はすべて記録されている。当然女性関係もだ。妃を含めてどこで誰と結ばれたのかを記録するのは正当な血筋であることの証明になる。たとえ一夜の関係だとしても抜かりなく記録されるのは、王家の血筋が絶えるやもしれないもしもに備えてだ。
だから当然ローディアスとディートリンデの記録もあるはずだ。厳重に保管されており、必要な時以外には開示は禁止されているが、二人の出生に結び付けられる記録は残されている。
万一にもないが、もしもエイヴァルトがクラーラをトリン侯爵家に引き込んで後にローディアスとの繋がりを主張した場合、その記録を調べることができたならローディアス殿下とクラーラの血の繋がりが決定付けられてしまう。セバスティアンはそれを心配しているのだ。
だからこそエイヴァルトはセバスティアンの信用を獲得したかった。そうしなければクラーラとの未来を邪魔される可能性がある。
それなのに「ないよ」と、ラインスはまるで挨拶でもするかのように気軽に答えた。
「ないよ、そんなもの」
「は? では二人は……」
「うちの爺様が証言しているから間違いないよ。でも記録はない。消されているからね」
「消されている? それは前ウィンスレット公爵が記録を改ざんしたということなのか?」
「うちの爺様は無断でそんなことしないよ。だからきっと国王陛下が絡んでいるんじゃないかと考えている」
「陛下がなぜ……。いや、そうか」
少し考えたら分かる。ローディアスが亡くなったのはクラーラが産まれたころと重なっている。しかもクラーラには王家にとって特別な色彩が現れているのだ。
記録の閲覧は容易ではないが盗み見る輩がいて事が露見したら、ローディアスにとっての一粒種とされるディアン王太子との間に継承問題が勃発してもおかしくない。
いらぬ争いを生まないために記録を抹消するように王自らが命じたとするなら、前ウィンスレット公爵も従うしかないだろう。
「爺様の証言だけじゃなく、消されているからこそ父も二人の出生を信じた。で、それが陛下のご意向と受け止めている。だから二人が誰と結婚しようと文句は言えないよ。だって貴族じゃない、平民だからね」
あとはエイヴァルトがどうするかだ。セバスティアンが文句を言えなくても、秘密を知るエイヴァルトがトリン侯爵家の血筋であることは変えようのない事実である。大きな権力を有するウィンスレット公爵を敵に回すのは、クラーラとの未来を望むうえで得策ではない。
クラーラとアイザックの出生については、トリン侯爵家はもとより誰にも話したりしない。そもそも証拠が残されていないのなら、エイヴァルトが主張しても他の人間が否定すれば済む話でもある。ただしクラーラの瞳は隠せるものではないので利用される可能性は否定できない。
セバスティアンが抱く不安をどう取り除けばいいのか。行動で示す以外にないだろう。
「ちなみに君の除籍届は提出されていないから」
「そうなのか。トリン侯爵家の言いなりにならない私に利用価値はないだろうに」
あの家に行くのは面倒だが、エイヴァルトが動かなくてはいけないようだ。
「君には利用価値だらけだよ。まぁそれに気づけないならそれまでだけど。除籍は急ぐべきだと助言するよ」
「トリン侯爵家を潰すつもりか?」
エイヴァルトの昇進に賄賂を使った時点で堕ちていると言えるだろう。国政に関わるには不相応だ。排除されるのは当然だとエイヴァルトは冷静に受け止めた。
「潰すのは難しいかもしれないね。でも当主と君の父親には退いて欲しいかなぁ。となるとまともなのは君しかいない」
「私は侯爵家なんて継がない」
もしエイヴァルトがトリン侯爵家の当主になったとしたら、クラーラを妻にする障害はなくなる。周囲がいろいろ言ってくるとしてもだ。けれどクラーラが貴族社会で生きていくのは難しい。エイヴァルトは愛する女性にそんな苦労をさせるつもりはなかった。
「だろうね。彼女との未来には邪魔だもの。そうそう、朝一番にあの二人にも報告に行って彼女に会ったよ。とんでもなく綺麗な子でびっくりした。殿下の尻拭いを拒絶しなきゃよかったって後悔したなぁ~」
ラインスが馬鹿なことを言い出したので放置し、そのまま騎士団舎に戻って訓練に勤しんだ。
これからトリン侯爵家を離れて騎士としてやっていくのだ。出世の遅れは今さら気にしてもどうしようもないが、昇進してクラーラと離れて暮らす事態にならないとも限らないのでこれでよかったのかもしれない。
この時のエイヴァルトはクラーラとの未来しか見えていなかった。
トリン侯爵家を除籍されさえすれば問題ないと、浮かれるあまり悠長に考えてしまっていたのだ。
まさかこの後クラーラが訪ねてきてくれるなんて……これは良いことでしかないが。さらには名前も知らないご令嬢が婚約者を名乗って現れるなんて想像していなかった。
しかもクラーラが帰った後にフランツから「クラーラは隊長に嫌われているって思ってるみたいですけど?」なんて聞かされたエイヴァルトは真っ青になって大事なことを思い出したのである。
そう、エイヴァルトはクラーラに自分の気持ちを欠片も伝えていない。クラーラの気持ちには気づいているので両想いだと思っていたが、クラーラからすると彼女の片思いでしかないのだ。
しかも二人の間には貴族と平民という身分の壁がある。クラーラはその壁を強引に飛び越えようなんてする女性ではない。
恐らくだがアイザックから自分がどのような人間なのか聞かされているのだろう。だからこその「嫌われている」なのだ。
それにもめげずこんな自分を好きでい続けてくれていた。それが奇跡であることに今の今まで気づけなかった。
もちろん伝えるつもりだった。告白するつもりで話があるのだとクラーラに言ったのだ。けれどそれは伝えたことにならない。
このままではいけない。自分に対する今のクラーラの認識はノートリア子爵令嬢という婚約者がいるトリン侯爵家の三男だ。こんな状態で告白でもしたらどう思われるか。ただでさえ愛人の子として生きてきたクラーラは傷つくに決まっている。
「誠実に接しなくては」
まずは婚約の破棄。同時にトリン侯爵家からの除籍。
婚約に関しては偽装であろうと、書類が提出されて受理された時点で覆せないので破棄に持ち込むしかない。怒りで腸が煮えくり返る。こうなったら絶対に籍を抜けてクラーラを手に入れると決意した。
簡単ではないが行動しなければクラーラとの未来はない。




