28朗報
アイザックが扉を開くとウィンスレット公爵家の次男、ラインスが立っていた。
「朝早くに失礼するよ」
言うなり彼はアイザックを追いやるようにして中に入ると、後ろ手に扉を閉めた。貴族然とした姿は平民の中では目立つのでそのためだろう。
「父からと、例のお方からの伝言を……」
部屋へ入るなり言いかけたラインスの言葉が止まった。視線を追うとクラーラが立っていて彼を釘付けにしていた。
ラインスは黒い瞳をこれでもかと見開いて、「まさかそんな……」と、至近距離のアイザックにも聞き取れるかどうかの声を漏らしながら口に手を当てる。
「これほどのお嬢さんだったなんて……。貴族のご令嬢にもそういるものじゃない」
どうやらクラーラの姿があまりにも綺麗で驚嘆しているようだ。
「さすがはローディアスで……じゃなくて。え、本当に? 殿下の尻拭いしようかな……」
「ラインス殿。伝えることがあって来たのではないのですか?」
変なことを言い出したので話を促すと、「そうだった。失礼、徹夜だったものだから」と言い訳しつつ頭を振っている。
見知らぬ男の出現に不安なのか、クラーラがアイザックの腕に纏わりつくように自分の腕を絡めてきた。それを見ていたラインスが「可愛い」と囁いて再び変な方向へ向かいかける。
「ラインス殿?」
「ああ、そうそう。ごめん、失礼したね」
今度は前髪を掻き上げてくしゃっと混ぜていた。
「ええっと。アイザック、遅くなって申し訳ない。ようやく事実確認が済んで、昨夜のうちにすべてお話した。ご理解いただいたよ」
オルトールに確認がとれて、アイザックたちの父親がローディアスであることにセバスティアンが納得してくれたらしい。さらにディアンにも伝えられ理解してくれたということは、アイザックたちはこのままの生活を続けられると思っていいのだろう。
昨夜さんざん悩んでいたのもあって、心の底から安堵する。ほっと息を漏らした。
「なんのお話し?」
クラーラは見知らぬ男の登場を警戒しながらも、アイザックの腕をくいっと引いて状況を確認したがっている。
「それは……」
出生についてクラーラは知らない。なんと言うべきか口籠っていたら、「極秘任務の話だよ」とラインスから助け舟が出された。
「だから部外者に説明できない。理解してくれるかな?」
「はい、分かりました」
「ありがとう。それで、君はクラーラだね?」
分かっているのに敢えて聞くのは初対面だからだろう。クラーラが「初めまして、クラーラです」と名乗ると、ラインスも「初めまして、ラインスだ」と名乗った。
「私はウィンスレット公爵家の人間で、とあるお方と面識がある。そのお方が君に大変な迷惑をかけたようで申し訳なかったね」
「いえ、そんな……」
触れるクラーラの体が強張るのが分かった。アイザックは安心させるように小さな手を握りしめてやる。
「あの方は平民女性をびっくりさせてからかうという、非常に迷惑な悪癖を持っていらっしゃるんだ。昨夜何が起きたのか、私たちは理解している。そしてあの方は私の父に叱責されてとても反省しているよ。だからどうか許してやって欲しい」
「あの方を、叱責したのですか?」
「そうだよ。私の父はそれが出来る立場で、あの方も反省するだけの良識は持っておられる。二度とないと約束するよ。きっと怖がらせただろう。でもすべて本気ではなく、驚く様子を観察して楽しんでいただけなんだ。本当に迷惑だよね。代わりに謝罪させてもらうよ」
「申し訳ない」と、ラインスが深々と頭を下げた。
「とんでもないです。あなたが……ラインス様がしたことじゃないし。あの……本当に、本当にからかわれただけですか?」
「うん、そうだよ。いい大人のくせして困ったお方なんだ」
敢えてなのか本気で思っているのか、ラインスはディアンを悪戯好きではあるが憎めない気さくな相手とでも言うかに「ちゃんと叱られていたから」と笑顔でクラーラに伝えている。
「でも、あの……私の目がどうとか言っていました」
「ちっ」
「え?」
クラーラは特異な瞳について指摘されたらしい。ラインスが舌打ちしたので、クラーラは首を傾げた。
「失礼。あの方は妄想癖もあるんだ。でもこれはあの方の沽券に関わることだから、どうか秘密にしてくれるとありがたい」
「そ、そうですね。分かりました。あの……アイザック、わたし昨日……」
ラインスとの会話で嘘が露見したと思ったのだろう。クラーラはおずおずとアイザックを見上げる。
「いいよ、分かってる。俺も昨夜は悪かった。気づいたのに何もできなかった。兄なのに情けないな」
「そんなことないよ。ごめんね嘘ついて」
「そういう訳だから二人とも。あのお方が関わることは二度とないよ」
「ありがとうございます」
アイザックが頭を下げるとクラーラも身を正して頭を下げた。クラーラは突然のことで納得できないのかどことなく不安そうだが、ラインスの報告は事実だろう。これで禁忌が起きる心配はなくなった。反対に王太子には変わった悪癖があることになっているが……気にしなくていいか。
「それから、迷惑をかけたお詫びに昨夜君が連れて行かれたお屋敷をくれるらしいよ」
「えっ、あのお屋敷をですか!?」
「貴族街にあるから治安もいいし……」
「要りません、絶対に要りません。不要です!」
クラーラは両手の拳を握りしめて「要らない」と連呼する。ラインスは「だろうね」と声を上げて笑った。
「そう言うと思ったから丁重にお断りしておいたよ」
「ありがとうございます。よかった……」
クラーラはほっとして胸を撫で下ろしている。
「君は正しいよ。もし貰っていたらふらっと遊びに来かねないからね」
「あの方がですか!? 嫌です!」
「正直だね。いやいや、大丈夫。不敬になんてならないから。全部が全部、あの方が悪いのだから、君たち兄妹に火の粉が降りかかるなんて絶対にないから安心して」
「いやぁ〜完全に嫌われてるよ、面白い!」と、楽しそうなラインスの笑いはなかなか収まらなかった。




