27隠す妹と確認する兄
ディアンの正体と思惑を知ったクラーラはショックのあまり声を出せなくなっていた。一言でも口をきいたらとんでもない暴言を吐いて取り返しがつかないことになるだろう。
フリューレイと呼ばれた無表情の青年から「お気をつけて」と言われても、喉がつかえてお礼も言えず、視線も合わせることができなくて会釈だけで別れた。
共同住宅の二階に上がって部屋の前に立つと灯りが漏れていた。今日は帰りが遅くなると聞いていたのに、すでにアイザックは戻ってきているようだ。
クラーラは扉の前で何度も深呼吸をして心を落ち着ける。遅くなった言い訳も考えた。
こんな状態でいることを知られてはいけない。未来が確定しているなら、アイザックが心配しないように明るく振舞わなくては。クラーラが嫌がっていることを知ったアイザックが、とんでもない権力を持っているディアンに不敬を犯すなんてことになったら取り返しがつかない。
騎士を辞めさせられるとか、投獄されるとか。さらには命を奪われるなんてことになってしまったら悔やんでも悔やみきれない。それだけは絶対に避けなければ。
口角を上げたクラーラは意を決して扉を開いた。
「ただいまぁ。アイザック、帰ってきてたのね」
「クラーラ!」と緊張した面持ちで出迎えたアイザックに、クラーラは元気な笑顔を向けた。
「帰りに友達と会っちゃって。一緒にご飯食べてたらすっかり遅くなっちゃった。アイザックは? 仕事で遅くなるって言ってたよね?」
上着を脱いで鞄を置く。いつも通りの流れで手を洗う。うん、どこもおかしくないと確認してから手を拭いて振り返った。
「ご飯は食べて来たの?」
「帰ったらいないから心配した」
途端にぎゅっと抱きしめられる。筋肉で覆われた厚い胸板に顔が圧しつけられて窒息しそうなほど強く。本当に心配でたまらなかったのだろう。そんな気持ちが伝わって、クラーラもアイザックの背に腕をまわして抱きしめ返した。
「遅くなるって聞いていたから連絡しなかったのよ。ちょっとゆっくりしすぎちゃったかな? ごめんね」
アイザックはクラーラの頭に鼻を埋めて「いや、いいんだ」と言いつつ、大きくて硬い手が髪をかき回していた。
「やめてよ。ぐちゃぐちゃにしないで」
胸を押すとあっけなく離してくれる。
「悪い……。大丈夫か?」
「大丈夫よ」
手の届く距離で見つめ合う。互いが互いに嘘をついていると分かってしまう視線。今の「悪い」はきっと、信用せずに無遠慮に確かめたからだ。
頭を嗅いだのはどこにいたのかの確認のためだ。食べ物の匂いが付いていないことに気づいたに違いない。そして髪を乱しながら首元を確認していた。誰かが触れたのではと疑って探っていたのだ。
確認されていると分かったけど、何があったのかなんて言えなかった。アイザックも確実なことを聞けないでいるのが分かる。だから大丈夫だと答えた。
「ミルクでも飲むか」
「食べてきたからお腹いっぱいなんだってば」
「温めておいてやるから先に風呂に入ってこい。ゆっくり眠れる」
「うん、分かった」
気づいているだろうに何も聞かないでくれる。優しいから泣いてしまいそうだった。でも駄目、絶対に最後まで演じきる。泣いたら辛いって気づかれてしまうから。
クラーラは勧められるままに頷いて浴室に向かった。
※
クラーラが貴族のお忍びで使われる、家紋のない馬車に乗るのを目撃したと同僚から聞かされたアイザックは、今の今まで街中を探していた。
相手が王太子だというのは分かっている。ウィンスレット公爵に繋ぎを取りたくてエイヴァルトを頼ろうとしたが、生憎と任務に出ていて無理だった。
気ばかりが焦ってどうしようもない。馬車が向かった方角以外にはなんの情報もなく、むやみに走り回るだけで終わってしまった。
もしかしたら何事もなく帰ってきているかもと、一縷の望みに賭けて家に戻るがもぬけの殻だ。こうなったら公爵邸に向かうしかないと考えた時、扉の向こうで人の気配がした。
息を殺して様子を窺っていると、しばらくして扉が開く。現れたのは探していた妹、クラーラだった。
元気に「ただいまぁ」と、いつもと同じ間延びした声。いや、いつもと同じではない。いつも以上に元気で、そして緊張が伝わった。何もかもを隠して平静を装っていると一目で分かった。
いったい何をされたのか。衣服に乱れも綻びもない。けれど安堵するには早くて、不安だったこともあり勢いのまま抱きしめて様子を探った。
食事をしたと言うが食べ物や酒の匂いがしない。体も冷たくて緊張も解けていない。
最悪の結果を知るのが恐ろしかったが、それとなく髪を探るのがやめられず、首筋や露出した場所に跡がないか探った。
何もないことに心の底からほっとした。たが油断は禁物だ。今日は無事でも明日はどうなるか分からない。一日中張り付いておかないと駄目だと思うが、責任もあって休むわけにはいかない。
オルトールへの裏取りはどうなっているのか。状況がつかめなくて焦りを覚える。秘密を暴露するにしてもこの先どうなってしまうのか不安でたまらなかった。
今のまま現状維持で生きていきたいのに。アイザックは平民出身の騎士として国に仕えて、クラーラは好きな彫金を仕事にして、いずれは互いに伴侶を見つけて平凡に生きていく。望みはそれだけなのに、どうして今になってこんなことになってしまったのか。
クラーラは恐らく何も食べてないだろうが、食欲があるとも思えない。温めたミルクを強引に飲ませて寝室へと見送った。
翌朝も空元気なクラーラの姿に胸が痛む。二人きりの家族なのに、心配させまいと振る舞う様は痛々しかった。
「顔色が悪い、今日は仕事を休んだらどうだ?」
「そんなことないわ、平気よ。それに店舗の在庫が空になっちゃったから忙しいのよ」
彫金はクラーラが見つけた、自身が楽しめる仕事だ。母親を亡くして塞いでいる時に、将来を見越して職業訓練のための学校に通わせた。
資金はオルトールが最後に置いていったのを使わせてもらった。
アイザックは成人していたが、クラーラを養って行くのにやっとの収入だったし、これまで養育費として渡されていたものもオルトールの懐から出ていたと知ったので、今更かと思い、これが最後だと受け取ったのだ。
その資金で通った学校でクラーラは彫金と出会い、良き師を紹介され弟子入りして現在に至っている。そんな場所だから、仕事に打ち込んでいた方が気持ちも紛れるだろう。心配はまた連れ出されてしまうことだ。
どうするべきかと考えていると、朝早い時間にも関わらず扉が叩かれた。




