26真実を知った王太子
馬が駆ける蹄の音と嘶きがした。配置されている護衛の声が聞こえるが何を言っているのかまでは分からない。
感じる雰囲気からして野党などのディアンを害する輩ではなさそうだ。フリューレイが様子を見にでると、すぐに二人の男を伴い戻ってきた。
ディアンがクラーラとのために用意させた屋敷に、時間を気にするでもなく髪を振り乱し、焦った様子で飛び込んできたのはウィンスレット公爵と次男のラインスだった。
「娘にっ、クラーラに手を出したのですか!?」
挨拶もなく掴みかかる勢いでセバスティアンが目前に迫った。
「お前には関係ないだろう」
嫌われているようなので手を出すのを止めた……とは言いたくないディアンは、ぞんざいに答えてワインを手にした。
これでもちょっと落ち込んでいるのだ。そりゃあセバスティアンは先代のウィンスレット公爵に隠し子がいて焦っているのかもしれないが、ディアンには関係ない。オルトールが認知していないならクラーラはあくまでも父親不定の娘。それ以外の何物でもない。
そもそもこれほど焦るくらいなら、ディアンが手をつける前に閉じ込めておけばよかったのだ。
「殿下っ、殿下……。どうかお答えください」
胸を押さえて必死な様が窺える。いい年した文官が馬を走らせたからだろう。ウィンスレット公爵家の人間は頭はいいが、運動など体を動かすのが苦手だ。……とすると、アイザックが騎士としてやっているのは母方の血のお陰なのか。
そんなことを考えつつ、面倒くさくて態とらしく盛大な溜息を吐いた。
「だからお前には関係ないと言っている。フリューレイ、こいつを追い出せ」
「殿下! これはとても大切なことなのです。どうかお答えいただきたい!」
「父上、ディアン殿下のご命令です。話なら明日以降に。殿下は振られて機嫌が悪いのです」
「なっ、フリューレイ!?」
さらっとばらした側近に目をつり上げた。フリューレイはディアンの怒りもどこ吹く風で、父親であるセバスティアンの腕を引っ張って追い出そうとしていた。
「振られて……? なんと振られたのですか、それならよかった! 娘には指一本触れていないのですね!」
王太子が振られて喜ぶとは……しかも本人を前にして不敬ではなかろうか。ウィンスレット公爵家としては面倒がなくなって嬉しいのかもしれないが、いくら宰相だからって酷い。
「いいえ父上、殿下は娘に触れていますよ」
「なっ……いったいいつの出来事ですか!?」
「今日ですか、昨日ですか!」とセバスティアンは真っ青になって大騒ぎしている。
「だからフリューレイ、お前はどっちの味方なのだ!」
「もちろん殿下です」
「もういい、煩い」
「そんな……なんたることだ」
這い蹲い「とんでもないことになった」と頭を抱えて嘆き始めたセバスティアン。ディアンは「面倒だ」とワインを煽った。
「安心しろ、婚外子を成すようなことはしていない。淑女にするのと同じく接しただけだ」
「本当ですか!?」
セバスティアンはガバっと顔を上げる。彼のこんな姿は初めてだ。
「さすがはディアン殿下。私は信じておりました!」
それは調子よすぎると思うが、涙まで流してほっとしているセバスティアンの様に異常性を感じる。いったい何があるのだろうかと頬杖をついた。
「で、いったいなんなのだ? これだけ騒ぐのだから隠し立てするなよ。あの娘は負の産物かなにかなのか?」
セバスティアンが特定の貴族に権力が集中するのを避けたがっているのは承知している。息子のラインスが宰相を目指しているのも、また長子のフリューレイが王太子の側に仕えているのも決して公爵家の力ではなく、本人の努力によるものだ。だからこそ王や王太子の妃や側室にウィンスレット公爵家の血を入れていない。
ウィンスレット公爵家は自己の利益に走ることなく、公正な判断ができる尊い血統をしているともいえた。
だからたとえ平民の愛人から生まれた子でも、王太子の手がつくことを望んでいないのだろうと……この時のディアンはそんなふうに考えていたのだが。
「父上の、子……だと?」
立ち直ったセバスティアンから聞かされたのはとんでもない話だった。
ディアンが七歳の時に亡くなった父に隠し子がいただなんて。しかもそれがなんとあのクラーラと、その兄アイザックというではないか。
そんな事実を今さら聞かされようとは、想像すらしたことがなかった。
「何かの間違いだ」
ディアンは左右に首を振る。つい先ほどまで一緒にいた、自分の子供を産ませようと思っていた娘が腹違いの妹だったなんて何かの間違いに決まっている。
だがセバスティアンは無情にも「間違いではありません」と追い打ちをかけた。
「証拠はございませんが、前ウィンスレット公爵の証言があります。ローディアス様の逝去は突然のことでしたので、二人についての処理はすべて前ウィンスレット公爵の……私共の勝手にてなされたことであります」
「お前たちのせいで、私は弟と妹がいることを知らずに今日まできたというのか!」
怒りのあまり声を荒らげ立ち上がったせいで椅子がひっくり返った。
「殿下は異母弟妹の存在を快く思われますか?」
「当然ではないか、私は父上にとってたった一人の息子なのだぞ! 今はともかく、私にもしもがあっていたなら貪欲な伯父たちが出しゃばってきたやも知れぬのに!」
ローディアスが亡くなった当時、直系はディアンだけだったのだ。クラーラに継承権はないが、アイザックに有力な後継がつけばディアンに何かあった時のための代わりになる。さらにクラーラの瞳の重要性を知る者なら母親が平民だと蔑むわけにもいくまい。
「娘の瞳が危険視される可能性をお忘れではありませんか?」
「危険視?」
なんのことだと眉を寄せたら、「お気づきになりませんか」と、まるで能力を見定めるかのように目を細められた。
「殿下の立太子を快く思っていない輩がいるのは事実です。だからこそ殿下は娘を望んだのではありませんか?」
追求されて、ディアンはクラーラに子を産ませようとした背景を思い出した。ディアンはクラーラを利用しようとした側なのだ。
「ローディアス様の血筋であることが露見すれば、あの瞳を理由に妻とし、同じ瞳に生まれた男子を次の王にとの声が上がりかねません。そうなる前に摘み取ろうとする輩も現れるでしょう」
正当な王位継承者であるディアンを脅かす存在。その母親が平民で後ろ盾もないとなれば、事故や自然死に見せかけて始末する輩がいてもおかしくない。
「ローディアス様の血を受けた者を暗殺させるなどあってはならない。私は前ウィンスレット公爵の判断は正しいと主張いたします」
たとえそれが王族の血を引くに相応しくない身分であってもだ。
半分だけだとしても尊い血が流れているのなら、醜い権力争いに巻き込んで血を流させるわけにはいかない。そのためならセバスティアンもオルトールと同じく、二人の兄妹の存在は露見させないだろう。
アイザックが成人し正しく判断できるようになったからこそ、オルトールはようやく事実を告げて、本人にどうするのか選択させたのである。その時期はディアンの血を引く男子が産まれたのと重なっていた。
「そんなことを、なぜ今になってのなのだ」
もう少し、せめて半日早く知っていればクラーラに無体を敷くことはなかったのに。
固く心を閉ざしたクラーラの姿がディアンを責める。
「あの娘が……私の妹だったなんて」
信じられないことだが不快ではない。ただショックだった。それは妹であったこともだが、妹と知らずに子を産ませようと考えた自分に対してにもだ。
さらには自分に望まれるのは誉れであると思い込んでいたこともだし、クラーラの気持ちを考慮せずに強制してしまっていたことについても。
そして最後には、妹がいることに喜びすら感じている。
この事実を告げることはできないが、今日この日まで父を亡くし母とはほとんど顔を合わせたことのない自分に、兄弟というものがあることを知ったディアンの心には温かな何かが確かに芽生えていた。
それなのに……なんてことをしてしまったのか。弁解の余地はない。




