25もしかして嫌われている?
頬杖をついたディアンは、テーブルに並べられたディナーに手を伸ばす。サラダに乗ったナッツを行儀悪く摘まんで口に放り込んで、カリカリと音を立てて咀嚼した。
「喜ばせようと思っていたのにな」
クラーラと楽しむために、有名店の料理人を呼んで豪華な夕食を作らせた。デザートにはクラーラが好むチョコレート菓子を特別に準備せていたのだが……すべてが無駄になってしまった。
愛人の話は食事を楽しみながらするつもりだったのだ。そうすることで身分を気にして常に遠慮をしているクラーラの気持ちを楽にしてやるつもりだった。母親が愛人だったので、一夫一妻しか許されない平民でも受け入れてくれるだろうと予想していたのだが……。
「すべては私の身勝手な思い込みだったと?」
誰もいない食堂に独り言が響いた。
「あの瞳がなくとも可愛い。憎からず……いや、好ましく思っている。屋敷を与え、不自由なく生活させてやるというのに何が不満なのだ」
ふてくされて掴んだパンはちぎらずそのまま口に詰めた。
忙しい中、どうしたらクラーラが喜ぶかと考えて屋敷を用意させた。この料理だってメニューのチェックをしたのはディアンだ。チョコレート菓子には若い娘が好むだろうと、薔薇の花を模る細工をさせたというのに無駄になってしまったなんて。
「それもこれも……私のせいなのか?」
クラーラの珍しくもない茶色の髪を特別に感じたのは、まっすぐに伸びて柔らかく、つい触りたくなるからだ。自分にはない紫色の瞳には金と赤が混じり、初めて会ったときは赤みが強く見えたものの、日の光を浴びると金が輝いて見惚れてしまった。
そんなクラーラに触れたくなって、食事の準備をさせていることをすっかり忘れて押し倒したのはディアンだ。けれど決して欲情したのではない。押し倒したが違う……と、ディアン自身は思っている。
ディアンはクラーラを愛おしくて手元に置きたくなったのだ。
小さな手が荒れているのを知って可哀そうに思い、庇護してやらねばと強く感じた。愛らしい娘を自分の腕の中に閉じ込めて、一緒に朝を迎えたいと思った。
けれどそこに男としての欲はどういうわけだが生まれていなかった。
それでもディアンは男なので、若い娘を裸に剥けば体が反応する。王となるディアンにとって伽は仕事でもあるのだ。
クラーラと出会って彼女と同じ瞳を持つ自分の子供が欲しいと望んだからには、行為に及ぶことは問題なくできる。子を成すことでクラーラとの絆が生まれると思えば心が浮き立った。
あの日の夜、王位継承者として悩みを持っていたディアンがクラーラと出会ったのは運命だった。
ディアンは王の子ではなく、今は亡き王太子の子だ。
老齢のカルディバー国王には複数の王子がいたが、正妃の腹から生まれたローディアスを後継と定めた。正式かつ当然の選定だ。
しかしローディアスが政略で迎えた妃は異国の出身。今はカルディバー王国に吸収されて滅亡した公国の姫だ。
異国の血が入ったせいなのか、ディアンの瞳はカルディバー王家の色を引き継いでいない。王家には紫の瞳の人間ばかりなので、それが劣等感となっていまも続いている。
母親は生まれて間もなく城を出てしまいほとんど会ったことがない。父親はディアンが七歳のころに病死した。
後ろ盾は祖父で絶対的な権力者である国王ながら、ディアンが次の王になることに不満を持っている輩も多い。王族の血を引く遠縁から迎えた妃との間に紫色の瞳を持った男子が生まれても、王家の色をもたないディアンの気持ちは晴れなかった。
けれどもクラーラの瞳を見た瞬間にこの娘だと直感した。
クラーラの瞳はただの紫色ではない。特別なものだ。
彼女のもつ瞳が子供に受け継がれたなら、ディアンはその子の父親として大きく胸を張れる気がした。
その瞳は建国時の王が持っていたとされるだけでなく、同じ瞳を持つ王が国を治めると必ず繁栄した歴史がある。
王家にも滅多にない色だが、もし生まれたなら次代の繁栄は約束される。その父となるディアン自身にとっても誉れになることだ。
「なのに拒絶されようとは……」
ぶつぶつ言いながら行儀悪く手を伸ばしたものの、「泣いてはいなかったな」と呟いて手を引っ込めた。
長椅子に押し倒して強引に迫ってしまったのが悪かったのだろうか。今にも泣きそうな顔をしていたが、それでも泣いてはいなかった。
王太子の愛人なんて貴族の娘でもそうそうなれるものではない。喜んでくれるとばかり思っていたのに拒絶されてむっとしたのも確かだ。けれど無理やり従わせようと思ってはいなかった。
確かに態度にはでてしまった……かもしれない。けれど本気で無理やり従わせるつもりなんてなかったのだ。
その証拠に何もせずに開放してフリューレイに送らせている。一緒に行きたかったが、あんな顔をさせてしまった後ろめたさからできなかった。
押し倒したクラーラは観念したように瞳を閉じて抵抗をやめた。真っ青になって小さく体を震わせていた。触れてもピクリとも動かず、まるで人形に徹しているようだった。
呼びかけても目を開けてくれなくて、それでようやく気づいたのだ。本気で嫌がっているのだと。
まさかそんな。王太子がわざわざ時間を作って尽くしているのにどうして?
何もせずとも女が寄ってきて追い払うのに苦労している、傅かれるのが当然のディアンには理解しがたい現象だった。
この娘の涙は見たくないと冷静になったディアンは、クラーラの背に腕を入れるとゆっくりと起こして座らせた。それでもクラーラは目を開けず、静かに息をひそめていた。静かに瞳を閉じて、全力でディアンを拒絶していた。
この時ディアンはクラーラに嫌われることを恐れた。笑った顔を見せてくれなくなることが怖かった。そんなディアンにできたのは「今日はやめておこう」と告げることだけだった。
クラーラようやく瞼を持ち上げて、見惚れるほど美しい瞳を覗かせる。けれどディアンのことはもう見てくれなかった。
七つも年下の平民の小娘。手のひらで転がせるはずなのに上手くいかない。市井に出て平民のことも分かっている気でいたのに、クラーラの心の中はまるで見えなかった。
「嫌だと拒絶していたな。もしや私を嫌っているのか?」
だとしたら前途多難だ。酷いことをしたくせに嫌われることが怖くて、無理強いすることができなくなってしまっていた。欲情しなかったが可愛いのに変わりなく、近くに置いておきたい娘なのにどうしたものか。
嫌われるのは嫌だと思いつつも、そんな自分に戸惑っているとフリューレイが戻ってきた。
「どうだった?」
「一言も声を発しませんでした。殿下のせいで私まで嫌われてしまったようです」
フリューレイには毛虫をみるような視線を向けられる。
ディアンがクラーラに手を出さないよう見張っておけと父公爵から命令されているらしいが、ディアンが言うことを聞かないからそんな視線を向けているのではない。
「叔母かもしれない娘に複雑か?」
クラーラについて調べたのはフリューレイだ。父親不詳だが、どうやら前ウィンスレット公爵オルトールの隠し子かもしれないらしい。
正当な血筋でなくても、血縁者に手がつくのは複雑なのだろうか。
「あの瞳に拒絶されるとなぜかもやっとしますが、そういうわけではありません。ただ、もし本当に叔母であるなら、名乗りもせず放っている祖父に対して複雑な心境になります」
オルトールはディアンが成人するまで側に仕えてくれた煩い爺だ。あの爺に隠し子がいたなんて信じられないが、クラーラの容姿からして母親もとびきりの美人であることが予想できる。いい歳をして若い娘にくらっときたのかもしれない。
「確かにな。あの煩い爺が放置するのは意外だ。私の手が付くのを邪魔するくらいなら、ウィンスレット公爵家に迎え入れて大切に囲っておけばよかったものを」
そうなるとアイザックもいるので、跡目や相続で不満がでると考えたのだろうか。彼は平民出身の騎士ながら出世が早いらしい。それもオルトールが手を回したのかもしれない。
「祖父はともかく。殿下が囲うつもりなら、心を静めて紳士的に振る舞うべきです。今宵のように盛っては嫌われるだけですよ」
「やはり私は嫌われているのか?」
「彼女は愛人願望のある貴族の女性ではありませんからね」
妃のいるディアンに色目を使い体を擦り寄せてくるのはそういう娘ばかりだ。同じにしたわけでは無いが、拒絶されようとは夢にも思わなかったのは事実だった。
「欲しくないものは勝手にやってくるのにな」
「欲しいものを手に入れるために苦労するのは当然なのですよ」
そんな苦労なんてしたことない。どうするべきかと今更ながらに考えていると、俄に外が騒がしくなった。




