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24王太子のお願い


 黒い髪に黒い瞳の、ひょろりと背が高い細身の青年がクラーラの仕事が終わるのを待っていた。無表情な彼が「ディアン様がお待ちです」と誘う。馬車に乗せられて着いた先はお屋敷だった。


 ディアンとは二度食事を一緒にしている。どちらも昼間だったので、今回は夕食なのだなとしか思っていなかったクラーラの足が竦んだ。

 

 最初はディアンに誘われたことをアイザックに報告したが、二度目は心配をかけるので伝えていない。あの日からアイザックは何かに奔走しているようで忙しそうなのに、それを隠そうとしている様が窺えた。

 迷惑をかけている実感があるだけに、余計な心配をかけたくなくて何事もないように振る舞っていたのだ。

 まさかこんなことになるなんて……。


「どうぞ、お進みください」


 怯えるクラーラの背後で無表情の青年が急かす。


「あの……用事を思い出したので帰ります」

「お進みください」


 クラーラの意見なんて聞いてもらえそうにない。無表情の青年はクラーラが逆らうことを許さなかった。


 中に入ると広いエントランスは吹き抜けになっていて、中央の階段は左右に分かれて二階へと続いている。まるでダンスホールのようだなと見上げていたら「クラーラ!」と呼ばれた。

 白い大理石の床を鳴らしながらディアンが姿を現す。


「クラーラ、待っていたよ。迎えに行けなくて悪かった。フリューレイ、お前はもういい」

「失礼いたします」


 フリューレイと呼ばれた無表情の青年は一礼して右奥の部屋へと消えていく。クラーラが彼を最後まで見送る前に、ディアンからもう一度「クラーラ」と名前を呼ばれて、一拍置いたのち、仕方なく、ゆっくりと彼を見上げた。


「約束なんてしていませんでしたよね?」

「そうかい? それよりどうだろう、この屋敷は気に入ったかな?」


 迎えに来る約束なんてしていなかったし、二度あったお昼の誘いも突然だった。約束やクラーラの事情なんて彼にとっては気にすることではないのだろう。

 それにこのお屋敷。気に入ったかなんて聞かれても正直困ってしまい、返事をせずに口をへの字に曲げるにとどめた。


 きっとディアンはとても位の高い人だ。フリューレイと呼ばれた無表情男ですらクラーラに高圧的なのに、その彼に視線を合わせもせずに命令できる立場にあるのだから。

 不遜な態度に礼儀のなっていない小娘だ、自分にはふさわしくない女だと思ってくれないだろうか。そんな思惑もあって質問に答えなかったのに、ディアンは構わずクラーラの腰に手をまわす。


「案内するよ」


 回された腕を払いのけたい気持ちをぐっと堪えた。ディアンはご機嫌で屋敷を案内していく。


 フリューが消えた右の扉は食堂と厨房につながっていて、左の扉は応接室と説明だけされた。大広間も兼ねているエントランスを抜けると図書室と客室が二つ、そして書斎。

 腰だけでなく手まで取られて無駄に広い階段を二階に上がると、遊戯室にお酒を飲む部屋、それに音楽室まで。

 主寝室のほかに浴室付きの客室が三つもある大豪邸だ。

 けれど人の気配が全くない。家具が揃っているのに誰も住んでいないようだ。殺風景なお屋敷だなと感じた。


「少し狭く感じるかもしれないが、君と子供たちが住むには十分だろう?」


 満足そうに緑色の瞳を輝かせるディアン。言われたことが理解できないクラーラは「は?」と思わず漏らしてしまった。

 子供って……いったい何の話だ。冗談じゃない。


「不満かい?」

「……満足も何も、わたしは兄と暮らしていますのでここには住みません」


 恐れていたことが起こってしまった。それも急にやってきた。

 クラーラは敢えて気づかないふりをして、自分の世界は他にあることを告げる。


「クラーラ、話をしよう」


 何が楽しいのかディアンは笑顔を絶やさない。紳士的で優しいようでいて強引にクラーラを誘い、南側の応接室へと案内されて、深い緑の柄のついた布張りの長椅子に並んで座らされた。


「クラーラ、お願いがあるんだ」


 ディアンに両手を取られて身を寄せられる。クラーラは言われる前から首を横に振っていた。


「君に私の子を産んでもらいたい」

「嫌です!」


 即答して逃げ出そうとしたが、意外にもディアンの力が強くて立ち上がれない。後ずさってもひじ掛けに背後を阻まれる。


「クラーラ」


 ディアンの手が頬に触れた途端、クラーラは叫ぶように訴えた。


「どうしてわたしなの!」


 兄ともエイドリックとも異なる傷一つない綺麗な手。彫金で道具を握るクラーラと比べてもとても綺麗な、けれど男の人の大きな手のひらが、クラーラのこめかみから下瞼へと触れた。


「君を好きになったからだよ」

「嘘よ。ディアン様はわたしを好きじゃない。見たら分かるわ。あなたの目はわたしを好きだと思っていない!」

「そうかい?」


 違うとは否定されなかった。それが答えなのだ。


「君は可愛いよ。一緒にいると楽しい。色々与えて喜ばせたくなる。それでは駄目なのかい?」

「駄目です。それに……ディアン様は妻帯されていますよね?」

「妻がいなければよかったのかな?」

「いてもいなくても駄目です。いるならさらに駄目です」

「それは君たちの考え方だね」

「きゃっ!?」


 ぐっと肩を引かれたかと思った途端に長椅子に倒されて見下ろされていた。二本の腕に囚われて身をすくめる。


「君には私の子を産んでもらう。これは決定だ。逆らうことは許さないよ」


 翡翠のように輝く二つの瞳が獲物を狙うかのように見下ろしている。

 不利な体勢をどうにかしたくても男女の差があっては無理だった。それでも両手を伸ばしてディアンの胸を押して拒絶を示した。


「綺麗な瞳だね」


 クラーラの抵抗をあざ笑うかにディアンが体重をかけてくる。


「君と同じこの瞳の子が生まれたなら妻との子として引き取る。代わりに君にはこの屋敷でそうではない子と暮らすんだ。十分な生活と養育を施すことを約束する。そう悪い話ではないはずだ」

「嫌です」


 金や赤の混じった紫の瞳の子供が欲しいようだ。しかも夫婦の実子と偽ってまで。貴族は血統を重んじるとばかり思っていたが、クラーラと同じ瞳の色の子供が欲しいだなんてまるで収集家のようではないか。


「絶対に嫌。人をなんだと思っているの?」

「決定だと言っただろう?」

「嫌よ!」


 大きな声で拒絶した。すると笑っていたディアンは一瞬真顔になって、「ふーん、そう」と、クラーラを冷たく見下ろした。


「私に逆らっていいのかい?」


 その問いかけは権力者が下の者に向ける抑圧だった。


「よく考えて。君は私に逆らうの?」


 息を呑んだクラーラの様子に気分を良くしたのか、ディアンは優しく諭すように問いかける。


「私の子を産んでくれるね?」

「あなたは……誰なの?」

「ディアンだよ。この国の、次の王になる存在だと言えば分かるかな?」

「う……嘘……」


 とんでもない告白に声が震える。脳裏に浮かんだのはアイザックを筆頭に、自分に関わる人たちのことだった。

 逆らったらどうなるのか。想像しようとするだけで全身から血の気が引いた。


「私は責任を果たさなかった君たちの父親とは違う。表向き名乗りはできないけれど、ちゃんと君と産まれる子を愛してあげるよ」


 今ですらクラーラを愛してさえいないのに、「愛してあげる」と恩を着せられた。

 貴族なんてそんなものだ。

 クラーラの父親なんて名乗り出ることもなく、誰なのか母親にも教えてもらえなかった。お陰でどこの誰なのかすら知らないままだ。きっとひどい奴に違いない。

 そしてクラーラを愛人にしようとしているこの男もひどい奴だ。


 めちゃくちゃに暴れて抵抗したくても、周囲への影響が怖くてできない。今のクラーラにできるのは受け入れることだけ。それが従わせる者と従わされる者、クラーラとディアンの身分の違いだった。


 観念したクラーラは体の力を抜いて目を閉じる。

 クラーラは愛人の子。どうせ母親と同じように貴族をたぶらかして上手くやるのだろう。

 綺麗な顔に生まれてよかったね。

 その顔で媚び売って楽な生活を手に入れるんだろう。

 母親がそうだったから娘も淫乱に決まっている。

 そんな根拠なんてない言いがかりで傷つけられてきたけれど、絶対に違うと、罵りの言葉なんて相手にしなかった。


 でも結局はこうなるのか。

 後ろ指さして、敢えて聞こえるようにこそこそ陰口をたかれた。

 アイザックや優しい人からは「気にするな」、「嫉妬しているだけ」と言われたけれど、意地悪な彼らの言う通りだった。




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