22告白する相手が違います
アイザックには、家族が欲しいと瞳に影を宿したエイヴァルトが理解できない。クラーラと正式に結婚するために除籍を願ったわけではないとはどういうことなのか。
「家族が欲しいって……お前にはトリン侯爵家の人たちがいるだろう?」
家族の縁なんてそうそう切れるものではない。特に貴族に至っては、当主の意見がなによりも最優先されることくらいアイザックだって知っている。
「確かに私はトリン侯爵家で生まれ育ったが、お前が知るような育ち方をしていない。侯爵家は私を支配する組織だ。血の繋がりがあっても家族ではなかった。私はクラーラに出会ったことでようやくそれに気づくことができた」
膝を突いたまま項垂れるエイヴァルトはとても辛そうだった。それは自らがトリン侯爵家を離れる決断をしたことに対してなのか。それとも言葉通り、支配された日々を思い出してなのか。
「貴族にとって除籍は大変に不名誉なことだ。だが私にとっては解放だ。あの世界は私には苦痛でしかなかった。父に宣言した時は……そう、清々しさすら感じたんだ」
顔を上げたエイヴァルトから鬱々さは感じられない。影も消えていた。ただ凪いた碧い瞳がアイザックに向けられている。
「これまでのこともある。私にクラーラはもったいない。望んではいけないと……そう自分に言い聞かせてきた。だが王太子殿下やラインスにというなら話は別だ」
だったら自分でもいいではないか。エイヴァルトの目はそう語っていたし、アイザックだって心のどこかでそう思ってしまったのも事実だ。
王太子とは異母兄弟、血の繋がりがある。王太子に手を付けられてしまうくらいなら、身分の差はあれど互いに気持ちが通じているエイヴァルトのほうがどれほどましだろうか。
「ラインスの正式な妻として迎える? 伝統と格式のある公爵家にクラーラが? それこそ無謀だ。クラーラから笑顔が消えるのは想像に容易い。なぁアイザック。それなら私に機会をくれないか。私はクラーラと家族になるためならなんでもする」
クラーラを日陰者にするくらいなら貴族を捨てる。エイヴァルトがそう言い切ったのをアイザックは思い出した。
あの時は無理なことだとエイヴァルト自身も認めていた。それがいつの間にか家族を……トリン侯爵家を捨てる覚悟を固めるに至るなんて。
家族を捨てるなんてアイザックからしたら絶対に無理なことだ。それだけの決意を持っているのだと知って、頭ごなしに否定し続けることが果たして正解なのか分からなくなってしまう。
しかもこれは王太子がクラーラと接触したから生まれた選択肢であって、アイザック自身はクラーラのためになるとは思えていない。
なにしろ貴族なんて簡単に辞められるものではない。それにアイザックは、エイヴァルトがトリン侯爵家でどのような扱いを受けて成長したのか知らなかった。
「エイヴァルト、家を捨てるなんて簡単に口にしていいことじゃない。何がお前を駆り立てている? クラーラと侯爵家のことが別問題ならそうだとしても、クラーラとだって親密な付き合いなんてしてないじゃないか。クラーラは弁えているのに、お前は何をもって愛を語るんだ?」
クラーラに惚れたからって、家を捨てるほどの何かが二人の間であったわけではない。クラーラは叶わぬ恋と理解していて、恋を楽しもうと前向きなだけだ。その先にある別れを分かっている。決してエイヴァルトを受け入れたのではない。
「そんなこと私にだって分からない。ただ想いが募る。家に招かれた時、お前とクラーラが揃ってエプロンをして、当然のように寄り添い同じことをしていた。憧れてやまない光景だ」
そんなの平民の世界ではよくあることだ。特別でもなんでもない。
貴族は料理人がいて、使用人がテーブルに運んでくれる。傅かれることに慣れているから、クラーラとアイザックの関係が新鮮に映っただけのことだろう。
「彼女がこの世界にいるだけでいいと思っていた。笑顔でいてくれることが望みだった。だが、ラインスが許されて私が許されないのは納得がいかない。ラインスと殿下にはない気持ちが私はあるのに……こんなことでクラーラを持っていかれてしまうなら、攫ってでも彼女を幸せにしてみせる!」
凪いていた瞳はいつの間にか力を持って強く向けられていた。アイザックはエイヴァルトの想いを真正面から受け止めて、ようやく二人が添う未来について考える。
アイザックにはこれまで一人の女性を強く想い、望んだ経験がない。だからエイヴァルトの気持ちを心から理解することはできないだろう。それでもエイヴァルトがクラーラに対して真剣に、そして誠実に向き合い接してくれたことは知っている。
大切な可愛い妹だ。だった一人の血の繋がった家族だ。絶対に不幸になんてさせない。
けれど目前には大きな不安が立ち塞がっていた。今エイヴァルトに託してしまうのは、彼を認めてのことではなく、ただの選択になってしまうのではないだろうか。
クラーラが結婚してしまえば王太子は興味をなくすからと、セバスティアンは息子であるラインスを夫候補とした。ウィンスレット公爵家当主の言葉なら、気持ちはどうあれラインスは従うしかないだろう。
けれどそれこそ悪手ではないだろうか。アイザックが望んでいるのはクラーラの幸せだ。
不安視される、クラーラの出生の秘密をエイヴァルトが漏らすなんて思っていない。けれど秘密は露見した。エイヴァルトにクラーラを託した後に、トリン侯爵家に利用されるなんてことにならないだろうか。
そう考えると次々に悪いことばかりが浮かんでしまう。不安に心を染めていたクラーラの痛ましい姿。エイヴァルトならそんなクラーラに笑顔を取り戻してくれるだろうか。
思案に揺れていると「あのさ」と声がかけられた。場にそぐわない笑顔のラインスがエイヴァルトを見下ろしている。
「それ、彼じゃなくてクラーラって娘に言ったらどうなのさ?」
もっともだ。クラーラ本人がいないのに、公開告白していたことに気付いたエイヴァルトは恥ずかしそうに頬を染めた。
「とにかく……私は彼女の不利になることは絶対にしない。トリン侯爵家を離れて貴族でなくなることになんの未練もない。ウィンスレット公爵、どうすれば信じていただけるでしょうか」
「言葉では何とでも言える。エイヴァルト殿、君には監視をつける。ここでのことを口外したなら容赦しない。トリン侯爵家を潰す勢いで立ち向かわせてもらうぞ」
「構いません。トリン侯爵家に関しては口外しなくともお好きになさってください」
エイヴァルト自身は未練もなにもないようだ。真っ直ぐな瞳がそう語っていた。




