20出生の秘密
カルディバー王国の宰相として王に最も近い位置で采配を振るうセバスティアンは、ウィンスレット公爵邸の一室でアイザックを迎えた。
すでに深夜を回っている。使用人も眠りについた中での面会は、薄暗さも相まってひっそりと秘密裏なもの。
挨拶もそこそこに座ることを許されたアイザックは遠慮せずに従う。着席と同時にセバスティアンがすっと目を細めた。
「まず初めに確認しておきたい。君は父の……私の弟になるのか」
「……違いますが?」
エイヴァルトにも問われたが否定した。もしかしてそう思ったから面会に応じてくれたのだろうか?
「偽りないか?」と再度問われて、「違います」と答える。公爵は「そうか……」と少しほっとしたのか、きつい表情が僅かに緩んだ。
「では何の用だ?」
「王太子殿下が妹に執心しています。不敬ながら、私は妹を不幸にしたくない。殿下にあきらめていただくために公爵の力をお借りしたいのです」
途端にセバスティアンの眉間に深い皺が刻まれた。
「ウィンスレット公爵家の一大事と息子から聞いた。それがまさか色恋沙汰とはな」
多忙な公爵からしたら、そんなことで時間を取らせるなと言いたいのだろう。アイザックにも公爵の態度は理解できる。なにしろ彼はアイザックとクラーラの秘密を知らない。
「息子から一大事と言われて、先代の父から君が頼ってくることがあれば力になるよう言われていたのを思い出したが……まさか痴情とは。こちらとしては良かったのか悪かったのか」
セバスティアンは大きく息を吐き出すと椅子の背に体を預けた。
「まぁどちらにしても、痴情となると如何ともしがたい。殿下の街歩きは市井を知るのに良い機会と私も認めている。そもそも殿下は嫌がる娘をむりやり手籠めにするような御方ではない。娘が嫌がるならそのうちあきらめるだろう」
さっさと片付けて追い返したい態度が丸見えだ。クラーラ次第だと、早口で当然ともいえる言葉を突きつけられた。
そうではないからここにいるのに……。
このままでは追い返されて終わりだ。クラーラの不安そうな顔が脳裏を過ぎり、アイザックは拳を握りしめる。
やはり隠居したオルトールでなければ駄目かもしれない。
「ですが……殿下は後ろ盾に不安があると」
「……誰がそんなことを?」
アイザックの不敬な物言いに、セバスティアンの眼光が一気に鋭くなった。
「そのようにオルトール様から教えられました」
「たとえそうだとしても口にするな」
王家の、まして次なる王に関わることだ。アイザックが口にして許されるはずがない。
現在の王太子ディアンは、先の王太子ローディアスの唯一の子とされている。
ローディアスは十八年前に病で儚くなる前、当時七歳だったディアンに王太子の称号を譲っていた。
母親は隣国の公女で、ローディアスとは完全なる政略結婚。公女はディアンを産んでまもなく、療養を理由に南にある離宮へ居を移して以来、都には一度も戻ってきていない。また公国も既になく、カルディバー王国に吸収されて王国領となっている。
そのためディアンは母親の実家からの後ろ盾がないばかりか、父親の庇護を受けることもできなかった。更にはローディアスの異母弟や、現国王の兄弟たちからその地位を狙われている。
高齢の王に何かあった場合、亡き公国の血を引くディアンではなく、カルディバー王国のみの血が流れている者こそが王に相応しいと、地位を狙う者たちが言い出す心配があるのだ。
ディアンの妃はカルディバー王家の血を引いている娘が選ばれたが、味方は多いとはいえない。
一番の原因は異国の血が入ったせいか、ディアンの瞳がカルディバー王家特有の紫色でないことにあった。
王としての素質は十分だとしても、権力を狙う者からしたら引きずり下ろす材料になってしまうのだ。
長い歴史の中で色が変わるなんて当たり前で些細なことながら、なにかにつけて言いがかりをつける輩は存在している。
「それで、その意図するところは? 町娘を囲えば殿下の評判が落ちると案じているのではないのだろう?」
そのとおりで、ディアンの評判などまったく考えていない。アイザックにとって大切なのは、クラーラとの生活を守り通すことだけだ。
「閣下……」
ここまで来ておいてどうするべきなのか迷う。口にして問題ないだろうか? 秘密が公になることが何よりも怖い。
アイザックはセバスティアンをじっと見つめた。
この男はオルトールではない。彼を信用していいのだろうかとの不安は消えない。選択を間違えればアイザックとクラーラの未来は消滅する恐れすらあるのだ。
亡き母ディートリンデはローディアスと通じていた。結果として生まれたのがアイザックとクラーラだった。
その事実を知ったのはディートリンデが亡くなって数カ月した後。オルトールが訪ねてきて、「庶子であることの公表と今のままの生活。どちらを望むか」と選択を迫られたのだ。
そんな馬鹿みたいな話を初めは信じなかった。
オルトールは「信じないのならそれでもいい」としたが、カルディバー王家に稀に現れる特有の瞳について教えられた。
紫の瞳は王家の色だが、多くはなくとも他の人間にも現れる色である。アイザックも紫だが、だからといって王族に結びつけられたりしない。
けれどもクラーラの色は特殊だった。
紫に金や赤が散らばるその瞳を持つ者がカルディバー王家には時々現れるのだ。そしてその瞳を持つ王の治世は例外なく繁栄を極めていると教えられた。
出生が露見すれば利用される可能性がある。また血を引いていることとその瞳を持っていることで、ディアンの脅威になると判断され、暗殺される可能性もあることを教えられた。
庶子と認められたなら傅かれ、豊かな生活が待っているが命の危険が付き纏う。利用される可能性も高い。
アイザックは王族の血を引いていることに魅力なんて感じないし、厄介な立場になることも理解できた。だから迷いなく、クラーラに相談もせずに今のままの生活を望んだのだ。
幸運にも王家繁栄の瞳については、貴族の間でも忘れ去られるほど稀な現象になっている。もし見つかってもただの偶然で片付くと思っていた。
王太子には後継になる子もいる。アイザック達が継承問題に巻き込まれる心配はないと高を括っていたが……甘かった。
ここまで来たのだ、セバスティアンを頼るつもりでいた。けれどもクラーラのことを口にするのは恐ろしかった。セバスティアンの考えがオルトールと同じとは限らないのだから。
「閣下……私は、妹は……」
それでも彼を信じなくては話が進まない。ディアンがクラーラを見つけて興味を持ってしまった以上、間違いが起こる前に止めなくてはならなかった。
「妹の瞳は紫です。その瞳には金や赤が混じっていて時に虹色にも見える……近頃の王家には出現しなくなった瞳を持っています」
アイザックの口から決定的な事実は告げない。たとえ二人きりでも、どこで誰が聞き耳を立てているか分からないではないか。
アイザックがオルトールから教えられたことを、セバスティアンも知っていたようだ。椅子の背に預けていた背を伸ばして前のめりになる。
はっきりと言葉にしなくていいことにほんの少しだけほっとした。
「なるほど……ディアン殿下は緑の瞳だ。王家の色を受け継がなかったことを、殿下ご自身も残念に思われている」
それはセバスティアン自身も残念に思っていると言うことなのか。
アイザックは公爵として、また一国の宰相としてのセバスティアンをよく観察した。
彼の真意を見抜くため、一挙手一投足を見逃さないように全神経を集中させる。
もしセバスティアンがディアンの地位を確固たるものにするために、人の道を無視するような人間だとしたならクラーラを奪われてしまう。
「君の妹から生まれた子が特性を受け継ぐ可能性は確かにあるな。まして生まれた子が男子だとしたら殿下の治世は約束され、煩い外野も異国の血がどうのと言えなくなるか」
セバスティアンは腕を組んで考えるように視線を斜めに向けた。
「だが相手は平民。王家からその色を継いだわけではない。色はたまたまで、生まれる子に引き継がれる可能性は低いな。君たちの父親が王族の誰かであるなら試してみたくもなるだろうが、平民に手を出して評判を落とすのを考えると悪手になる……」
ふと言葉を止めた公爵はアイザックの表情から答えを読み取ったのだろう。「まさか……」と呟くように漏らす。
「血の、繋がりがあるというのか?」
セバスティアンの顔は強張っていた。アイザックの言い方では遠回し過ぎてすぐに気づけなかったようだ。
「いや、あり得ない。ローディアス様が軽々しく不幸になる子を作るなど……」
囁くように漏れた声は驚きのせいだろう。そんなことが起こるなんてあり得ないといった感じだ。
ローディアスはそれほど優れた人だったのだろうか。
アイザックからしたら母を孕ませておきながら放置し、父親としての務めも果たさなかった男に過ぎない。
母から父の悪口を聞いたことがないので愛し合ってのことだとしても、それならなおさら手を出すべきではなかった。セバスティアンも漏らしたように「不幸になる子」を作ってどうするつもりだったのだろう。今となっては答えの出ないことである。




