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19不安に沈む兄妹


 アイザックが帰宅するとテーブルに花が飾られていた。花瓶いっぱいの赤い薔薇は一際目を引く。


「この花はどうしたんだ?」


 上着を脱ぎながら、もしかしてエイヴァルトが? との考えが過って、キッチンに立つクラーラの背になんでもない風を装って問いかけた。


 エイヴァルトはクラーラへの気持ちを失くしてみせると自分から約束したが、人の気持ちは簡単なものじゃない。

 アイザックは身に覚えのない怒りをぶつけられて戸惑ったし、クラーラを侮辱されて憤慨したのも確かだが、エイヴァルトは悔い改めて謝罪もしてくれた。

 同じ騎士団に所属して苦楽を知り、命を預け合う仲間でもある。アイザック自身も根に持つ性格ではなく、すでにエイヴァルトのことは許していた。

 それでも彼は高位貴族だ。二人の気持ちが同じでも、先を考えると賛成できないことに変わりはなかった。


「お客さんから貰ったの」


 クラーラは背を向けたまま答えた。どうやら機嫌が悪そうだ。

 そうだな、エイヴァルトからならアイザックが帰宅するなり飛びつて自慢しただろう。二人の気持ちを知っているだけに後ろめさを覚えた。


 アイザックは手伝うために手を洗うと隣に立って様子を窺う。クラーラは無表情で肉を細切れにしていた。打ち付けられるまな板がタンタンと煩い。うん、これは間違いなく機嫌が悪い。


「どうした、嫌な客だったのか?」


 クラーラは見た目のせいで男に声をかけられることが多い。お陰であしらいが上手くなったらしいが、これだけの薔薇を準備するとなるとかなりの金額だ。金持ちの客からプロポーズでもされたのかと気になってしまう。


「うん、嫌だった。貴族だと思うんだけど、エイヴァルト様みたいに信用できる感じがしなかった」


 貴族と聞いて嫌な予感がした。


「貴族なんて……町の工房に顔を出したりしないだろ?」

「家名や爵位は教えられなかったけど、所作や身なりがよかったし、あれは単なるお金持ちじゃなくて絶対に貴族だわ。こっちの都合なんてお構いなしで、命令するのに慣れてるみたいだった。フランツさんの結婚式の時にお店に来ていた人よ」


 フランツの結婚式と聞いたアイザックは、全身から血の気が引くのを感じた。思い当たる相手はたった一人だけだ。


「……求婚でもされたのか?」


 恐る恐る問えば、「いいえ」とクラーラが首を横に振る。


「でも執着されてるのは分かる。お昼に誘われてね、断れなくて行ったの。嫌な態度を取ったのにずっと笑顔なのよ。デザートだけはおいしく感じたけど他は味がしなかったの。高級店なのに相手があの人で……なんだか怖かったわ」

「名前も名乗らなかったのか?」

「ディアンよ。お城で働いているんですって」


 実名じゃないか!

 驚愕して言葉を失った。


「アイザック、わたし大丈夫かな?」


 クラーラは眉間に皺を寄せて隣に立つアイザックを見上げた。紫に金と赤が散らばる瞳が不安そうに揺れている。


「大丈夫。俺が守ってやるから大丈夫だ」


 肩を抱くと身を寄せてきた。望まないことが現実になってしまったらと不安なのだろう。平民が高位貴族に逆らうのは難しい。

 両者が納得したならともかく、嫌がる娘をむりやり囲うことは貴族にとっても醜聞だ。将来が約束された王太子ならなおさら。もし実現してしまったらクラーラは隠され、閉じ込められてしまうに違いない。

 

 王太子がクラーラに目をつけたのは間違いない。身分の差がありすぎるのでこんな未来はこないと思っていた。念のために城に近い騎士団にも近寄らせなかった。それなのに……。


 アイザックに体重を預けて、包丁を手にしたまま肉を叩き続けるクラーラをぎゅっと抱きしめた。

 大丈夫と言ったものの、アイザック自身も不安でたまらない。


 翌日から日を開けずしてクラーラ宛に花束が届くようになり、部屋中が花でいっぱいになっていく。枯れても次々届くので減ることがない。

 しかも差出人のカードには「ディアン」と記されていた。

 クラーラはディアンの正体に気づいていないが、実名で届けさせているのはアイザックが気づいていることを想定してだろう。これはいずれ貰い受けるとの意思表示だ。


 悶々とした日々を過ごすアイザックに救いの便りが届いた。エイヴァルトのお陰で、ウィンスレット公爵セバスティアンに目通りできることになったのだ。

 本当ならすべてを知っている先代のオルトールに相談したかったが、今はクラーラを一人残して彼が住まう領地に行く勇気がない。その間にクラーラを奪われるのが怖すぎてできなかった。



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