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18不審な人



 まもなく昼時になる職人街。

 クラーラが依頼を受けて制作した銀細工の香炉を磨いていると、「クラーラ!」と名を呼ばれて手を止めた。


「ご指名よ。クラーラに接客して欲しいって金持ちそうな客が来てる」


 クラーラが彫金師として働く工房は主に注文を受けて作成する形をとっているが、小さいながら店舗も併設している。

 やってくるのはほとんどが平民なので、店頭には彼らが手を出しやすい品が陳列されていた。

 時々クラーラを指名する客がいる。たいていは常連だ。けれど店番をしていた同僚が嫌味を込めて「金持ち」と言った。これは客の目的が品物ではなくクラーラだということだろう。


 たまにあるこれがクラーラと同僚たち……特に若い女性彫金師との間に溝を生む原因になっている。

 大人なので誰もが表向き上手くやっているし、仕事に対しては真摯に向き合う人ばかりで仲間意識も強い。人間関係を悪くしたくないのでこのような客は歓迎したくないが、良い顧客になってくれる可能性もあるので無碍にもできなかった。


「分かった、店に出るね」

「一桁吹っ掛けて売ってやったら?」


 耳元で囁かれた冗談にクラーラはくすりと笑った。


「親方に追い出されちゃうわ」

「懐に入れなさいよ」

 

 そう言って彼女はクラーラの胸をたたくと工房へと引っ込んで行った。

 売り場に出ると金色の髪に緑の瞳をした、身なりのいい二十代半ばの青年が立っている。見覚えのある彼はクラーラを見つけると目元を緩めた。


「いらっしゃいませ」

「やあ、私を覚えてくれているかな?」


 気さくに声をかけて距離を詰めてきたのは、フランツの結婚祝いでたまたま会っただけの、名前も知らない青年だった。明るい時間に見ると立ち姿がとても綺麗だ。作りがしっかりとした服を着ているのも相まって、ますます貴族然としているのが分かる。


「先日お会いした……」


 あの日は庶民の結婚について教えて終わった。名乗り合ってすらいないのにどうしてここにいるのだろう。なんだか怖いと感じたが、客を前にしてそんな気持ちは表に出せない。


「もう一度会いたくて探していたのだ。見つけられてよかった」


 会ったのも話したのもあの一度きり。しかもあの日は裏口から出て帰ったのに。まさか後をつけたのだろうか?

 不安になったが気を取り直してお客様に向ける笑顔で対応した。


「そうでしたか。それで今日はどのような品をお探しですか?」

「品物はいい。先日の礼に君を食事に誘いたい。クラーラ、今から出られるかい?」


 店舗に顔を出して早々、こうも堂々と誘われるのは初めてだ。しかも教えていない名前まで知っている。断られるなんて思っていない態度も怖かった。

 危険を感じたクラーラは首を横に振る。


「申し訳ありません。お客様と個人的な付き合いはしていないんです」

「大丈夫だよ、本当に礼をしたいだけだから」

「ではお気持ちだけいただきます」

「それは断るということかな?」

「はい、その通りです。お断りします」


 仕事中だからと理由をつけずにきっぱり言い切った。機嫌を損ねるかなと案じたが、相手は意に介さず「ならば」と続けた。


「私から話を通そう。責任者を呼んでくれるかい?」

 

 先日会った時には気がよさそうに思えたのに、なんて強引な人なのだろう。びっくりし過ぎて唖然としていると、彼は微笑みを浮かべたままクラーラの瞳を覗き込んだ。


「どうした? 購入が必要ならここにある品すべてを買い求めるが?」


 だから責任者を呼んで、その後は食事に付き合えと言いたいのだろうか。きっと傲慢な性格に違いない。関わりたくないが、これ以上拒絶して怒らせたら何をされるか分からない。大好きな職場に迷惑をかけるのは絶対に嫌だった。

 むっとしたクラーラは、それでもできる限りの満面の笑みを作った。


「お買い上げありがとうございます!」


 どこの誰だ、いい加減名乗れと思いつつ、工房の責任者である親方を呼んだ。



 店舗に陳列された品を全て買い取った男はディアンと名乗った。なんと外に従者がいて、支払いや商品の受け取りのすべてを彼に任せると早々にクラーラの手を引く。振りほどこうとしたら目の前に馬車が止まって、自然な流れで乗せられてしまう。


 連れて行かれたのは庶民でも手が届くが、特別な時にしか利用しない高級店。誘拐の恐れもあってびくびくしていたけれど取り越し苦労だった。

 客はみな綺麗な服を着て髪型も完璧。一方、店舗に立つ予定のなかったクラーラは普段着のまま。いつエイヴァルトに会えるか分からないので常にきちんとした格好をしている。それでもこの場に相応しいかといえば相応しくない。かろうじてエプロンは外したが完全に場違いだ。個室に案内されたのが唯一の救いだろう。

 

 ディアンが選んでくれた料理はとても美味しそうで、彼を気にしつつ口に運ぶが、緊張や警戒が入り混じる複雑な心境のせいなのか楽しめない。

 さっきは勢いのままに衝動買いをさせてしまったが、陳列されてる作品のほとんどが庶民向けのもの。人を傅かせるのが常……と思われる貴族が好んだり身につけるとは思えない。

 職人が心を込めて作ったものなので、本当に欲しいと願ってくれる人に買って欲しかった。今更だが、怒りに任せてやり過ぎたと反省してこっそりため息を吐く。


「どうした、気に入らないかい?」

「そんなことはありません」


 前に座るディアンは美しい所作で料理を口に運んでいた。その手は白くてとても綺麗だ。

 同じ貴族でもエイヴァルトとはまるで違う。

 騎士であるエイヴァルトの手は硬くて太い。腕も体も逞しくて……そして傲慢ではない。大嫌いな人を相手にしても顔に出さず、素振りさえも見せずに職務をこなして、困らせるようなことなんて一つたりとしないし言わない。心配して様子を見に来てくれるし、誘えば応じて付き合ってくれる。何よりもクラーラを幸せな気持ちにしてくれる。

 けれど、目の前の彼はエイヴァルトとまったく異なる貴族で、出会った夜の無害な雰囲気もまるでなく、緊張ばかりがクラーラを支配していた。


「では口に合わない?」


 ディアンは楽しそうだ。アイザックと違って豪快な食べ方はしない。時々手元に視線を落とすものの常にクラーラを窺っているので、見られているクラーラは落ち着かない。


「口に合わないというよりも急だったので。あなたはちょっと話しただけの人で、ほぼ知らない人だわ。緊張しない方がおかしい。それに誰と食べるかにもよるのだと思います」

「食する相手によって味が変わる?」

「そうですね」

「なるほど、確かに。得体の知れない奴と食事をするのは緊張して味がしないな」


 クラーラの主張に気分を害するでもなく、ディアンは「確かにそうだ、うん」と頷いて水を飲んだ。


「では自己紹介をしょう。名はディアン、年は二十五。城で働いている。好きなことは散策と、君と出会うきっかけになった店の主がする話。嫌いなものは煩いじじいの説教だ」


 柔らかい笑みを作ったディアンの瞳が君の番だとクラーラを促していた。


「知っていますよね?」

「名はクラーラ。年は十八で兄と二人暮らし。未婚。仕事は職人街の工房で彫金師。私が知っているのはこれだけだよ……今気持ち悪いって思ったよね?」


 顔に出てしまったようだ。正解だし隠しても今さらなので「はい」と正直に返事をした。


「どうやって調べたんですか?」

「人を使って。出会った場所が騎士の結婚祝いの場だったのが幸いして、割とすぐに分かっていたよ。ただ忙しくて会いに来るのが今日になってしまった」


 それはクラーラにとっては幸いではない。一生会いに来てくれなくてよかったのに。正直に話してくれるのはいいが、それで相手がどういう気持ちになるかなんてまるで気にしないのだろう。自己中心的な人だ。これはそういう世界で生まれ育った人だということだろう。


「それで、君の好きなことは?」


 嫌いなことを聞かないのは敢えてなのか。きっと答えの予想がつくのだ。


「彫金です」

「へぇ、素晴らしい。好きなことを仕事にしているのだね」

「はい、その通りです。もうそろそろ大好きな仕事に戻りたいのですけどいいでしょうか?」

「デザートがくるからもう少し話そうか」


 じっと見つめられて嫌とは言えなくなる。

 まぁ最後のデザートくらいならいいかと思ったら、出てきたのはとんでもなく美味しいチョコレートアイスだった。

 



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