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17かつての学友


 夜も更けて人気のなくなった教会。

 小さなそれは町の片隅にあって、日中は信仰の如何にかかわらず地域の人々が集まる賑やかな空間になっている。けれどこの時間になると門は閉ざされることはないが人気はない。先ほど教会の主がランプに油を足して出て行ってからエイヴァルト一人きりだ。

 つい先日フランツの結婚式が行われた場所。

 ここでエイヴァルトはラインスが来るのを待っていた。


 ラインスと連絡を取るのには苦労した。何しろ彼が働く場所ではエイヴァルトの二人の兄が同じく仕事をしているのだ。ウィンスレット公爵家に取って代わりたいトリン侯爵家の人間には、エイヴァルトがラインスと接触しているのは知られたくない。


 城の外で働くエイヴァルトと内で働くラインスとの接点は皆無のため、ラインスが仕事を終えて帰るのを待ち伏せする必要があった。彼は高位貴族らしく寮ではなく屋敷から馬車で出仕しているため接触は失敗に終わる。

 それならと職務の合間に城内にある資料室で張り込みをした。そこには膨大な量の蔵書が保管されている。書架に身を隠して様子をうかがうこと数日。ようやく姿を見せたラインスに接触して約束を取り付けることができた。


 ラインスは一刻ほど遅れて現れた。

 薄暗い礼拝堂に扉の開く音が響く。ランプの灯りがラインスを映し出すと、エイヴァルトは座っていた椅子から立ち上がった。


「呼び出しに応じてくれて感謝する」


 罠を警戒して応じてくれない可能性も視野に入れていた。ウィンスレット公爵家を相手に誰に知られることなく接触できるのは彼だけだ。感謝して頭を下げると「トリン侯爵家に内密にと言われたら仕方ないよね」と言いながらラインスがエイヴァルトの前まで歩み寄った。


「で、なに? こう見えて忙しいんだよね。本当ならもっと仕事をしていたかったんだけど?」


 仕事を邪魔されて不機嫌なようだ。さっさと要件を話せと急かされる。


「ウィンスレット公爵に面会したいと言っている男がいる」

「誰?」

「騎士団で部隊長を務めるアイザックという名の男だ」

「アイザック……ああ、あいつか」

「知っているのか?」


 口ぶりからして事情を把握していないのは分かるが、それにしても数いる騎士の一人を知っていることに驚きだ。さすがというかなんというか……少し前の自分なら嫉妬しただろうなと、そんなことが脳裏を過った。


「知っているも何も、君の代わりに昇進した男だろ?」

「私の代わりとは?」

「何をとぼけているの、君が気づけないわけがないだろう?」


 嫌味がましく呆れたような顔をされるがさっぱりだ。素直に「なんのことだか分からない」と続けたら、「しらばっくれるなよ」と軽蔑の眼差しを向けられた。


「君んところの老体が騎士団の幹部に賄賂を渡していたじゃないか」

「賄賂……祖父がか?」

「ご老体が騎士団にまで幅を利かせようとするから、宰相の指示で僕が潰した。君の昇進は決まっていたのに老体がいらぬことをしたせいで、今後も君の昇進は成果に見合わないものになる。全部が老体のせいだよ。知らないなんて……え、本当に気づいていなかったのかい?」


 思わぬ情報に驚きのあまり手のひらで口元を覆っていた。

 賄賂を渡した? 軍部に幅を利かせるために金でエイヴァルトの昇進を買おうとしたのか? そのせいで決まっていたエイヴァルトの昇進が潰えた。しかもトリン侯爵の影響を避けるために今後の昇進にも影響するらしい。

 そんな事実があったことを今日この時まで知らなかったし思いもしなかった。いや、裏で手をまわしたのにと激怒された。その時に気づくべきだったのだ。しかもそのせいで部隊長昇進がなくなったのだ。エイヴァルトのせいではなく、祖父のせいで。それなのにエイヴァルトはそれがアイザックのせいだと……今は思っていないが、当時はそう思うことでしか自身を保てない状態にまで追い詰められていた。


 なるほど、だからかノートリア子爵家への婿入りが用意されたのだろう。賄賂で昇進を買おうとした不正はいくら成果を残しても生涯付きまとう。

 エイヴァルトが……というよりも、トリン侯爵家が軍部を操る目的は不可能になった。

 そうなると無能なエイヴァルトに残されたのは特出している顔だけだ。人の見た目なんて老いと共に衰える。ならば今のうちに使ってしまえとなったのだろう。

 騎士として身を立てようと、役に立たないなら不要なものとして捨てさせる。そこにエイヴァルトの意思なんて必要ない。当主である祖父ライハインツの思惑がすべてなのだ。


「えっと……申し訳ないって謝罪するのも違うな。悪いのはトリン侯爵だ。それにしても君、本当に知らなかったの? ちょっと考えたら分かるよね? 君ほどの人が気づかないなんてあり得る? ねぇ怒らないでよ。その腰に下げたもので私を切ろうなんて考えないで欲しいな」


 なにやらラインスが言っているがそれどころではない。衝撃のあまり言葉が出ないのだ。もちろん祖父がしたこともあるが、なによりもそのせいでアイザックが望まない昇進をしてしまった申し訳なさでいっぱいになる。

 アイザックはクラーラと二人きりの家族だ。一度は昇進を断ったのもクラーラの為だろう。それなのにエイヴァルトのせいで昇進するしかなくなった。そのせいでエイヴァルトは遠征に出てクラーラは暴漢に襲われてしまったのだ。


「なんてことだ……」

「本当になんてことだよ」

「いや、それもだが……すまない。知らなかった。八つ当たりして剣を抜いたりしないから安心してくれ」

「だよね、気付けなかった君が悪いよね。私よりもよっぽど優れているのに気づけないなんておかしいよ」


 本当に剣を抜いて切られると思っているのか、ラインスは「君が悪い」と繰り返している。


「お世辞はいい。私が君に一度たりと勝てなかったのもまた事実だ」

「君に抜かれるんじゃないかって必死に努力したからね」

「私は努力しても駄目だった。気づいているだろうが、私はトリン侯爵家の落ちこぼれなんだ」


 こうして自分の至らないことろを認められるようになったのはクラーラに出会ったからだ。数年ぶりに会話するかつての敵を前にしても、当時の苦しさは湧いてこない。そんなエイヴァルトを前にして、「なに馬鹿なこと言ってるのさ」とラインスは笑った。


「なら君の嫌味な兄二人は無能じゃないか!」


 失礼なことを平気で口にしながらラインスは楽しそうに笑い続ける。


「兄たちは君と同じく常に学年一位だった」

「それは私と君がいなかったからさ」

「いや、私は到底及ばない」


 事実を口にしたが、「それ本気で言ってるの?」とラインスは腹を抑えて笑いながら声を上げた。


「一緒に働いているから分かるけど、トリン侯爵家の兄弟で一番能力が高いのは君だよ。学院時代の君は騎士になるための訓練をしていた。昼間はへとへとになるまで体を動かして、たまにしか教室に来ないのに成績はほぼ満点での次席。私はいつ追い越されるかとひやひやしていたさ。君は怪物だと思っていたけど、素直なだけだったんだね」


 ようやく笑いが治まったラインスは目じりに滲んだ涙をぬぐいとる。


「学院時代にもっと話していたら君とは良い関係を築けただろうな。まぁいいや。で、アイザックが父に会いたいって話だったね。理由は?」

「それは言えないらしく聞かされていない」

「は? それで超多忙な宰相閣下の時間を割けると思っているの?」


 ラインスは呆れたように黒い瞳を見開く。当然の反応だ。


「オルトール殿とは面識があるそうだ。困ったときには公爵を頼るように言われたと」

「それ本当? どっかの誰かが手をまわして、そいつに暗殺させようとしてるなんてないよね?」

「それはない」

「仲間とか近しい人間だからとかって目を捨ててもそう言えるの?」


 まったく関わりのない存在として見てみろと言われるが、そうなると絶対にないと答えられないのを分かっての質問だ。


「内密にして欲しいのだが」

「もちろん。君との接触も、特にトリン侯爵家に伝わらないようにするよ」


 エイヴァルトはラインスを信用して一つ頷いてから口を開いた。


「先日、アイザックの妹にお忍び中のディアン殿下が接触した。彼女はとても美しい女性なんだ。アイザックは妹が殿下の遊び相手になることを恐れているようだ」

「ふーん、なるほど。アイザックって確か父親不定だったよね。妹が愛人にされるのは嫌だとしてもどうしてうちに……。え? 爺様と面識があるって言ったよね?」


 ラインスの黒い瞳とエイヴァルトの碧い瞳が重なる。

 その先の言葉を二人は口にしなかった。





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