後日課:みおりさんの恋愛相談~デート編~
3月1日、土曜日
今日は待ちに待ったデートの日だ。
私はなんだか緊張とわくわくがごちゃまぜになったような気分で眠れなくて、でも早く起きてしまって、まだ夜も明けきっていないうちからお兄ちゃんの部屋に来てしまっていた。
お兄ちゃんはまだ夢の中。寝顔が実年齢より幼く見えるのも、昔から変わらない。
そういえば、寝ているお兄ちゃんをお玉とフライパン持って脅かしたこともあったっけ。
思えば、あの日から私たちの関係は少しづつ動いていったような気がする。あの日も土曜日だった。あの時のお兄ちゃん、あわててて面白かったな。
――今度は、もっと驚かせてあげようかな?
勿論、今の関係だから出来るやり方で。おはようの……はちょっと、いや絶対無理だけど。
してみたいことなら、いっぱいある。
「お邪魔しまーす」
一応小声で断ってから、お兄ちゃんの布団に潜り込んだ。
もう3月とはいえ、まだまだ明け方は冷え込む。お兄ちゃんの体温で温まった布団のなかはすっごく気持ちが良かった。そういえば、私、今日寝不足だ……。
寝ちゃっても、いいよね?
悪魔の囁きに、私はあらがえなかった。
お兄ちゃんの胸に顔を埋めて、私は至福の眠りについた。
……約1時間後、私はお兄ちゃんの絶叫でたたき起こされることになる。
まあ、驚かせようっていう最初の目的は大成功かな?
「ごめん、ごめん。機嫌直してよお兄ちゃん」
「怒ってはいないって……でも、朝から疲れた……心臓に悪いって。なんで布団入ってきたりしたんだよ」
「だって、お兄ちゃん、気持ちよさそうに寝てるんだもん」
「だからってなあ」
「むう。いいじゃん! 私たち恋人同士なんだし。一緒に寝たって!」
「マンガの読みすぎだろ。現実でそんなこと無防備にされたらなあ……変な事考えちゃうだろ」
最後にぼそっと付け加えられた言葉を、私は聞き逃さなかった。
「変な事って?」
「……えっと、それはその……と、とにかく! だめだからな!」
「はいはい」
ちょっと残念だけど、真っ赤になったお兄ちゃんがかわいいから許してあげよう。
でも、お兄ちゃんもやっぱりそういう事考えちゃうんだな……お兄ちゃんも、男の子だってことだよね。勿論、嫌悪はない。お兄ちゃんとはずっと一緒にいるつもりだし、いずれはそういう事も……。
「みおり?」
「な、何でもない! 早く行こ」
「あ、ああ」
まだ早いよね。うん、私たちには早い。まだ、キスだってできてないんだから!
「みおり、どうしたんだよ。急に急いで」
あ、しまった。ちょっと考えすぎて早足になっちゃった。
「えっと、ごめん」
「いいけど……ま、急ごうか。上演時間に遅れるのも困るしな」
「……うん。行こう」
こういうとこ、ほんとに優しいな。
私は、言葉とは逆に、動かなかった。振り返って不思議そうにするお兄ちゃんに片手を差し出す。
「その前に、忘れ物」
「あ、ああ」
ギュッと差し出した手を握られる。
いつもはこれで満足してたけど、今日はさらにその手を引っ張った。そのまま腕に抱きつく。
「お、おい」
「ふふ、たまにはいいでしょ? 手はいつも繋いでるんだし」
途端に赤くなったお兄ちゃんは、やっぱりかわいかった。
今日の予定は、あの日のやり直しみたいな内容だった。
まず、映画を観に行って、ご飯食べて、午後は買い物。お昼はホットドッグにした。さすがにお兄ちゃんも気付いたみたいで、次はアクセサリーを買わされるのかと聞いてきた。
「欲しいって言ったら買ってくれる?」
「う……あんまり高いのじゃなければ」
ちょっと頼りない返事だったけど、あの時と同じお店に入ると、真剣にアクセサリーとにらめっこしていた。今回も、お兄ちゃんが選びそうなものを予想。あ、右端のやつかな。
なんて考えてたら、本当にそれを買っていた。あの時と同じように笑うと、お兄ちゃんはなんだか面白くなさそうだ。でも、あの時と違って、ちゃんとプレゼント用の包装を頼んでくれていた。
「ほら」
「ありがとう、お兄ちゃん。開けてもいい?」
「いや、せっかく包んでもらったんだから家までは我慢して!?」
「でも、中身が気になるよ」
「中身知ってんだろ!」
「冗談だよ」
ため息吐くお兄ちゃんと笑う私。いつもの光景。
だけど、腕は組んだままで、ちょっとずつ変わってるんだなって思う。それが、とっても嬉しかった。
「それで、お兄ちゃん。次はどこに行くの?」
「へ? 帰るんじゃないのか」
「え、もう帰るの? まだ6時だよ」
「いや、十分遅いだろ。そろそろ暗くなるぞ」
「えー、まだもの足りないよ」
夜景の綺麗なとことか連れてってよ。
まだ、今日の目標をはたせてない。まだ、帰りたくない。
そう思ったのに……。
「ダメだ。帰るぞ」
「……」
「みおり?」
「……」
「そんなに帰りたくないのか?」
心配そうに、私の顔を覗き込むお兄ちゃん。
私のわがままだって分かってる。分かってるのに。
「お兄ちゃんは、私と一緒にいたくないの?」
なんだか、うまく感情が制御できなくて、俯いたまま、そんなこと口走っていた。
「お兄ちゃん、手も、自分からは繋いでくれないし、私の部屋に来ることもないし、好きだって言ってくれないし。お兄ちゃん、私のこと、本当に好きなの?」
「……」
「私……不安だよ。どっか連れてってよ。夜景の綺麗な場所とか、美味しいお店とか、もっと恋人らしいとこに連れてってよ。もっと恋人らしいことしてよ!」
こんなこと言うつもりじゃなかった。
お兄ちゃんは、さっきから黙ったままだ。俯いているから、表情は見えない。顔をあげて、お兄ちゃんの顔を見たいけど、それもできない。
私、嫌われちゃったかな。
こんな、急にわがまま言って、お兄ちゃん困らせて。
こんな嫌な女じゃ、お兄ちゃんもきらいになるよね……。
「……みおり」
「……」
「やっぱり、帰ろう」
「……うん」
繋がった手を引っ張られる。
そこからのことは、よく覚えていない。気づいたら、家についていた。
玄関を開ける。まだ、手は繋がったままだ。
中に入って、連れてこられたのはお兄ちゃんの部屋だった。いつもの、お兄ちゃんの部屋。でも、今は明かりがついていなくて、薄暗いままだった。微かな夕陽だけが、部屋を照らしている。
お兄ちゃんは何やら、空いた片手で押入れをがさごそやっていた。
「お兄ちゃん……」
やっと正気に戻って、私は謝ろうと思った。
でも、それはガタンっていう大きな音に遮られる。
「よし、先行くから待ってろ」
「……は?」
なんでだろう? お兄ちゃんの手には脚立。そして、お兄ちゃんの目線は天井。
「な、なにする気?」
「ついて来ればわかる」
「……?」
私はぼんやりと、お兄ちゃんが天井の屋根裏部屋に行くのを見送っていた。
「おーい。早く登ってこいよ」
お兄ちゃんの声に誘われて、引き出し式の梯子を登っていく。梯子があるのに、あの脚立はなにに使うんだろう?
屋根裏部屋は埃っぽい。電球が剥き出しの灯りがあったのでつけてみると、なんとお兄ちゃんがいなかった。
「お、お兄ちゃん!?」
「あ、こっちだこっちー」
またまた声がして、よく見るとさっきの脚立を発見した。その先に、お兄ちゃんが上からひょっこり顔だけのぞかせている。……って上から!?
「登ってこい。ほら」
「あ、うん」
脚立を登ると、手を差し伸べられる。
その手を掴むと、思いっきり引き上げられた。
「きゃっ! もう、お兄ちゃん!」
「はは、ごめんごめん。で、どうだ?」
「え、なにが?」
「だから、夜景の綺麗な場所」
「……あ」
自分の家の屋根の上。
そこからの眺めは、意外と悪くなかった。日はもう落ち切っていて、家々の明かりや遠くの街並みが見渡せる。学校まで見えた。
まさに、夜景の綺麗なとこで二人っきりだ。
「お兄ちゃん……」
「その、ごめんな」
「え?」
「俺、なんていうか、ヘタレでさ。みおりのこと大切にしたいって、思ってたのに、不安にさせて本当にごめん」
「……」
違うのに。
お兄ちゃんは何も悪くない。私が、私がただ……
「わ、みおり?」
私は、思いっきりお兄ちゃんに抱き付いた。
その胸に、顔を埋める。
「ごめんね。お兄ちゃん」
「いや、謝るのは俺の……」
「違うの。私ね、多分、焦ってたんだと思う。ずっと片想いだったお兄ちゃんと、やっと恋人同士になれて、嬉しくて。でも、それからどうしたらいいかわかんなくて。お兄ちゃんが離れていっちゃったらどうしようって。不安で、いつも通りがわかんなくなっちゃって。それで、えっと……友達に相談とかして、お兄ちゃんともっと近づけるようにって……」
「……そっか、それで最近一緒に帰れなかったんだな」
「うん……」
お兄ちゃんは、しばらく黙っていたけど、やがて、私の背中に手を回して、そっと抱きしめてくれた。
「俺は、勇気がなかった。さっきも言ったけど、ヘタレだったんだ。大事にってそればっか考えてて、みおりにさ、手だって自分から繋いでくれないって言われて、気付いたんだ。俺、いっつもみおりに頼ってて、みおりから踏み込んでくれるのを待つばっかりだったって。本当にごめん」
「お兄ちゃん……」
私は、さらに身体を密着させた。少し背伸びして、お兄ちゃんの肩に頬を乗せる。
「私のほうこそ、ごめんね」
そこで、私は少しお兄ちゃんから離れる。
お兄ちゃんの瞳をしっかり見つめて。それから、精一杯の勇気を振り絞って、目を閉じた。
「……」
「……」
言葉は無かった。
「ん……」
唇が触れ合う。
笑っちゃうくらい、そっと、一瞬のかすかな触れ合い。
だけど、永遠にも似た、時間だった。
やがて、どちらからともなく、離れる。
「……ふふっ」
「……ははっ」
そして、笑いあった。
嘘なんじゃないかってくらい幸せで、またお互いに抱き合った。このまま、幸福を閉じ込めたいと思った。足元がフワフワして、ただ、温かかった。
「キス……しちゃったね」
「ああ」
「ゲームの中では一回してるけどね」
「その時も、第一声は同じだったな」
「うん。そうだったね」
そこで、私は顔をあげた。お兄ちゃんと目が合う。考えてることは同じみたい。
「お兄ちゃん……」
さっきよりも少し深く。唇が触れ合う。
時間も長くなった気がした。
「はあ……。ね、もう一回」
「……ああ」
「んっ……」
今度は私から。
三度目のキスをした。
「やったじゃない!!」
「う、うん」
週明けの月曜日。
沙耶にはなんだかんだお世話になったので、結果を報告した。
「ほんと、よかったわ。途中はひやひやしたっぽいけどね」
「あはは。でも、なんとかなったよ。ありがとう」
「どういたしまして。んじゃ、今日からはまた兄貴と帰んなきゃね」
「え? でも、もう先に帰って……」
「まだだと思うわよ? 2年は学年集会だったらしいから」
「学年集会?」
「そ、来年は受験だからね。進路指導じゃない?」
そっか、なら少しくらいおくれてるかも。
私は鞄を引っ掴んで、教室を飛び出……る寸前で立ち止まった。
「本当に、色々ありがとう!」
「わかったわかった。さっさといきなさいバカップル!」
「はーい」
今度こそ、本当に教室を飛び出した。
本当に、ありがとう。かつては憎みあった友人に、私は感謝をささげた。
昇降口に着くと、お兄ちゃんがちょうど校門のところに見えた。
「お兄ちゃーん!」
ビックリした様子が、ここからでもわかった。
素早く靴を履きかえて、昇降口をでる。こっちに戻ってきてくれたお兄ちゃんとすぐ合流した。
「お前、今日も一緒に帰れないんじゃなかったのか?」
「予定が変わった……っていうか早く終わったの。それで、お兄ちゃん、今日集会だって聞いたから」
「……そうか。なら、帰ろうぜ」
「うん」
自然に、手を繋ぐ。
前より縮まった、二人の距離。
きっと、こうして積み重ねて、繰り返して、私たちは前に進むんだ。
「ね、お兄ちゃん、ちょっと寄り道していかない?」
「月曜日から元気だなあ……」
「月曜だから元気なんだよ」
「うーん、ま、いっか」
「決まりだね」
私たちは、歩き出す。
一緒に、歩いて行こう。
この道も、その先も、ずっと未来も歩いていこう。
二人で、一緒に、どこまでも。




