後日課:みおりさんの恋愛相談~作戦編~
――作戦1『いつもと少し変えてみる』
「まずは、シチュエーション作りが重要だと思うのよ」
「うん」
なるほど、さっきのふざけた宣言はあれだけど、一応沙耶は真剣なようだ。
私も、真剣に耳を傾ける。
「でも、あんたたちはいつも絶好のシチュエーションに恵まれてる。二人っきりの時間なんて家にいればいくらでも作れるでしょ?」
「うん」
「だから、その絶好のシチュエーションになれちゃってる。だから、いつもとは違うスパイスが必要だと思うわけ」
「確かに、部屋なら二人きりでいないことの方がすくないかも。でもスパイスってなに?」
「例えば、なんだけど……こんなのはどう?」
そう言って、沙耶はポケットから何かを取り出す。
「これって……」
私の手に渡されたそれは、リップクリームだった。
その日の夜。
「お兄ちゃん、勉強おしえて!」
「うおっ、いきなり入ってくるな! ノックしろノック!」
てわけで早速二人きりになるため、お兄ちゃんの部屋に突撃。
準備は万端、今度は絶対に逃げない。
「で、今日はなにがわからないんだ?」
「えと、ここなんだけど……」
言いつつ、ベッドを背もたれにしてテーブルの前に座る。勿論、お兄ちゃんの隣だ。
実は、お兄ちゃんの部屋は鍵はないが、私の部屋より広い。しかも、私がたびたび勉強を教えて貰いにいくので、一人用のデスクとべつに横長のテーブルがあるのだ。お兄ちゃんと一緒に居たくて、いつも勉強を口実にしていたのも事実だけど、それをぬきにしてもお兄ちゃんの部屋は私の部屋より片付いてるし、テレビもないし、お兄ちゃんがいるしで、私にとっては一番勉強がはかどる場所だ。
とにかく、これで昨日と状況は同じ。ここからが勝負。
「ああ、ここか。確かに一見ややこしいけど、ここをこういう感じでまとめると……」
「あ、なるほどー」
手元を覗き込むふりをして、身を寄せる。心臓がバクバク言ってるけど気にしない。
「わかった。ありがとうお兄ちゃん」
「おう、どういたしまして」
よし、ここまでは順調。あとはさりげなくアレを取り出して……。
そう思った矢先、お兄ちゃんが口を開いた。
「そういえばみおり」
「ん?」
「髪型変えたのか?」
「え……?」
髪型……変えたっけ?
そう思って、自分の髪を触ってみると、こめかみのあたりに固い感触。
「あっ」
それは、部屋で前髪が邪魔な時につけているヘアピンだった。
いつもは自分の部屋でしか付けないものだが、緊張していたので付けっぱなしになっていたようだ。
「それに、リップクリーム塗ってるみたいだし、イメチェンか?」
「ふぇっ!」
さっき試しに塗ってみただけなのに気づかれちゃうなんて、これじゃあ作戦失敗だ。でも……。
気づいてくれて、うれしい。
「……ふふ。違うよ。これは部屋にいる時、前髪が邪魔にならないように付けてるの。伸びてくるとたいへんなんだよ。リップクリームは乾燥してたから」
「あ、そうなのか」
「うん。でも、よく気づいたね」
「あ、ああ。いつも見てるから」
「そっか」
「おう。……えっと……」
「ん?」
「結構、似合うな。なんか新鮮で」
「あ……」
言いなれないこと言ったお兄ちゃんも真っ赤だったけど、言われた私はもっと真っ赤だったと思う。
でも、逃げたら昨日の繰り返しだったから、それは嫌だったから、私は赤い顔のまま、お兄ちゃんの肩にトンと頭を預けた。目を閉じると、触れた左耳からお兄ちゃんの鼓動が聞こえてきそうだった。
「かわいい?」
「お、おう」
「もう、ちゃんと言ってよ」
「か、かわいいよ」
「ふふっ」
本当、敵わないな。
目を開けて、お兄ちゃんを見上げる。やっぱり顔は真っ赤だった。
でも、真っ直ぐこっちを見てた。その目を見つめる。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ありがとう」
「……どういたしまして」
その日はそのまま、お兄ちゃんにくっついて過ごした。
翌日。
例によって、私は沙耶に恋愛相談をしていた。
昨日の出来事を聞いた沙耶は
「な、なかなかやるわね……坂口祐太」
と、感心半分、戦慄半分の声色で呟いた。
「まさかリップクリーム塗ってるのに気付くとは、しかもさらっと褒めるのも忘れないと」
「……うん」
「こら、思い出して赤くならない。一応失敗なんだよ?」
「はい……そうでした」
そうだ。
なんだかんだでいい雰囲気にはなれたけど、キスできてないし。
そもそも計画では、私が二人きりの時にさりげなくリップクリームを塗って、お兄ちゃんに唇を意識させるというものだったんだけど、むしろこっちがやられてしまった。
「次の作戦を考えないといけないわね……」
――作戦2『おねだりしてみる』
「なんか、作戦っていうにはストレート過ぎない?」
「まぁまぁ落ち着きなさい、なにも初めっからキスのおねだりなんてしなくていいの。じょじょにやってくの」
「……じょじょに?」
「そ。あんたは甘えかたがまだ足りないのよ。実際、あんたみたいなのが甘えてきたら男はそうそう我慢なんてできないだろうし」
「そーかなー……?」
「そうなの! だから、最初は小さなことでもいいから、とにかく甘えてみなさい。そうね……頭でも撫でてもらったら?」
「そ、そんな子供みたいな……こと」
否定しつつも、私は顔が熱くなるのを自覚していた。
小さい頃、テストで100点とったりするとよく撫でてもらっていた。お兄ちゃんの手はおっきくて、温かくて……そういえば最近、撫でてもらってないなあ……。
「まんざらでもなさそうね」
「え!? い、いや、別にそんな、撫でてもらいたいわけじゃ……」
「わかりやすいわー。まあ、いいや。とにかく頑張りな?」
「う、うん」
手段が目的になりつつあるのを自覚しながら、私は曖昧に頷いた。
「お兄ちゃーん!」
「うおっ! またか、そしてノックをしろ!」
今日もお兄ちゃんの部屋に突撃。お兄ちゃんは文句を言ってるけど、本気で嫌がってるわけじゃないのはわかっているのでスルー。たまには、私の部屋によんであげようかな?
「ほらほらお兄ちゃん、隣、座って、座って!」
「わかったから引っ張るなって」
というわけで、またしても昨日と同じ状況。勝負はここからだ。
「お兄ちゃん!」
「な、なんだどうした? 今日はやけにテンション高いな」
「私を褒めて」
「は……?」
「だから、私を……褒めて」
我ながら支離滅裂というか、唐突なもの言いだが仕方がない。だって、特に褒めてもらう材料がなかったんだもん。
「え、偉い偉い……」
当然だけど、お兄ちゃんの反応は薄い。
「むー。もっとちゃんと褒めて」
「あのなぁ……」
「いいから褒めて! お兄ちゃんに褒めて欲しいの!」
は! なんか勢いに任せてすっごく恥ずかしいこと言っちゃった気がする。
お兄ちゃん困った顔してる。やっぱり考えもなしにただ褒めてなんて意味わからないよね。
……頭なでて欲しいって、ちゃんと言わなきゃ。
「あ、あの……みおり?」
「……お兄ちゃん」
「な、なんだ?」
いきなり俯いてしまった私を、心配そうな顔で覗き込んでくれる。
理不尽なこと言われてるのはお兄ちゃんのほうなのに、お兄ちゃんはいつも私を心配してくれる。
「あの……ね。昔みたいに、褒めて」
「……?」
お兄ちゃんはしばらく、困ったように首を捻っていた。
やがて、恐る恐る手がのばされた。そっと、私の様子をうかがいながら、私の頭に手が置かれた。
「えらいえらい」
ゆっくり、いたわるように、でもくしゃくしゃって感じに頭を撫でられる。
ちょっとおっかなびっくりだけど、記憶のなかのお兄ちゃんの掌と同じで、それは優しさに満ち溢れていた。気持ち良くて、目を閉じて、頭だけに意識を集中させた。
「えと……合ってたか?」
「うん。覚えてたんだ?」
「あ、当たり前だろ」
「そっか。じゃあ……これから私が褒めてって言ったら、こうしてね」
「おう、なんどでもしてやるよ」
「ありがと」
私は、昨日みたいにお兄ちゃんにくっついて、肩に頭を載せた。その拍子にお兄ちゃんが撫でるのやめてしまうので、不満げに睨むとまた撫ではじめてくれた。
「あのさ、みおり」
「ん?」
「今週の土曜日、空いてるか?」
「……空いてるよ」
「じゃあ、一緒に出掛けないか?」
「それって、デートのお誘い?」
「う……まあ、そうだ」
「ふふっ、そっか楽しみ」
どこ行くの、とか何時から、とか色々訊くことはある気もするけど……。
そんなことどうでもいいくらい、土曜日が楽しみだった。
――作戦3『デート』
沙耶はとうとう、やけくそになってしまったようだ。
「もう、これで決めるしかない!」
「は、はあ……」
「は、はあ……じゃない! 全く、ほんとに頭撫でられて満足しちゃって。あんた目的見失ってない!?」
「そ、そんなことないですよ……?」
「疑問形なのは突っ込まないであげるから、とにかく土曜日のデートできっちり決めること! わかった!?」
「は、はいっ!」
ということなので、もはや作戦でもなんでもなくなっているのも突っ込まないでおこう。
こうして、決戦は土曜日に決まった。




