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一難去ってまた一難

 いつものことで大変申し訳ないのだが、俺は今、周りの視線に悩まされている。

 もちろん、隣にはみおりがいて、今は登校中だ。ここまではいつもと変わらないのだが。

 俺には、新たに2つの悩みがある。


「あ、祐太先輩! おはようございまっす!」


 隣を通りかかった不良少年たちの一人が、俺を見つけてそう言うと、一緒にいた少年たちも「チィース」とか「元気っすか?」とか挨拶してきた。

 「あ、ああ」と、力無く返事をすると、それでも不良少年たちは満足してくれたようで、笑顔で俺たちを追い越していった。


「大人気だね、お兄ちゃん」


「……そうだな」


 これが、新たな悩みの1つ目。

 あの生徒会長選挙での一件以来、俺の学校での評判は、良くも悪くも大きく変わってしまった。

 まあ、あれだけの騒ぎを起こせば当然だが、みおりの兄ということで、もとからそこそこ知名度のあった俺は、一気に有名人になってしまった。

 なかでも、さっきのような不良たちの俺を見る目は完全に変わった。

 なんでも、選挙のとき、「あの人数相手に孤軍奮闘したうえ、聞きようによっては全校を敵にまわすような発言をしたことは、多くの男たちに大きな衝撃を与えた」らしい。

 ストリートファイトに命をかけるような不良たちにはそんな俺の姿は憧れの存在となったとかで、一年にはファンクラブまであるとか。そんなファンクラブ嫌過ぎる……。

 まあ、不良たちの多くが味方についてくれるのはありがたい話ではあるので、深刻な悩みではないのだが、できればやめていただきたい。

 そして、もう1つの悩みは――


「どうしたの、お兄ちゃん? 私の顔、なにかついてる?」


 みおりのことだ。

 あの一件以来、みおりへの気持ちを自覚してしまったわけだが、みおりは当然そんなこと知らないため、いつもと同じ調子なので、内心ドキドキしっぱなしだ。

 そもそも、10年近く兄妹として一緒にいたのだ。いまさら自覚してしまったからといって、そうそう告白とかできないし、もしダメだったら辛すぎる。それに、もしOKだとしても、学校でなにされるかわからないし、想像したくない。

 つまり、このままでもつらいし、返事がイエスでもノーでもつらい。なに、この二重苦?

 大きなため息を吐き出した俺を、みおりが心配そうに覗きこんだ。


「なんかお兄ちゃん、最近ため息増えたね」


「最近、悩みが増えてな……」


 相変わらず、悩みの原因はお前だけどな。

 仮にも想い人に、そんなことは言えず、俺はまた、ため息をついた。











 放課後。

 下駄箱の前の自販機で、紙パックのジュースを買っていると、後ろから背中をドンと叩かれた。


「よ、祐太」


「雄吉……生徒会か?」


「ああ、ちょっとトラブったらしくてな、これから生徒会室に行くんだ」


 雄吉は本当に最近忙しそうだ。

 来月には三送会もあるし、放課後は生徒会室に行くことも多くなっていた。


「頑張れよ」


「おう、まかせとけ!」


 雄吉はかるく手を振りながら、走り去った。

 俺は紙パックにストローを刺して、中身を飲もうとして、横から伸びてきた手にジュースをさらわれた。


「あ、なにすんだよ、優希」


 ジュース泥棒は一息に中身を飲み干すと、ぷはぁとオッサンくさく息をはいた。


「祐太も頑張んないとね」


「なにをだよ? てかジュース代払え」


「いーや」


 優希はなにが楽しいのかけらけら笑って、俺の背中をバシンと叩いた。俺の友人はどうも、俺の背中を叩くのが好きらしい。


「知ってる? バレンタインのチョコって、外国じゃ男性から渡してもいいらしいよ」


「へぇ~。でも、それがどうしたんだ?」


「別に。祐太がなかなか勇気出さないからさ」


「ほっとけ」


 なんでか知らないが、優希には俺がみおりへの気持ちを自覚した直後から、なぜかばれている。なのでたびたびこうしてからかわれているのだ。


「まあとにかく、ほんとに頑張ってね」


 優希は最後にからかいではない笑みを浮かべ、走り去った。その顔が少し、悲しそうに見えたのは、気のせいだろうか……。

 そこで、俺の思考は背中に与えられた衝撃に阻害された。


「なに、ぼーっとしてるのお兄ちゃん?」


「いや、別に」


 ただ、俺は何回背中叩かれるのかなって……三回か。いや、そうじゃなくて。


「お前こそ、なんでそんな不機嫌そうなんだ?」


「お兄ちゃんの鈍感……」


「へ? なに?」


「……っ、なんでもない!」


 明らかに不機嫌度を増したみおりは、ぷいと顔をそらすと、つかつかと歩きだした。

 いったい、俺がなにしたっていうんだよ。

 俺は頭を抱えながら、みおりの後を追った。











「それでね、今度、皆とカラオケ行くことになったんだ、お兄ちゃんも来る?」


「え、遠慮しとくよ……」


 下級生の女子に混じってカラオケ行けるほど社交性高くないし。


「なら、今度久し振りに二人で行こうよ」


「うーん……できればカラオケ以外で、俺音痴だし」


 いつものように他愛ない会話をしながら、俺たちは家の前の最後のカーブを曲がる。

 我が家の玄関が見えたその時。


「うそ……だろ……」


 ドサッ。

 どこか遠く、鞄がアスファルトに落ちる音がした。

 身体中の感覚が遠くなる。みおりがなにか言っている気がする。いつも俺を困らせるくせに、心地よく響くみおりの声も、今は耳に届かない。

 そんな状態でも、二度と聞きたくないと願ったその声は、無理矢理俺の鼓膜を打ち鳴らし、脳に信号を伝え、脳細胞の奥底にしまいこんだ記憶を呼び起こす。


「久し振りだな、祐太」


 記憶の中と変わらない、大嫌いだった冷めた微笑が、俺に向けられ、全身に悪寒がはしるのを感じた。


「帰れよ……」


 俺の口から出たのは、再会を喜ぶ言葉でも、ここにいる理由を問う言葉でもなく、そんなことだった。


「実の父親に向かって、随分な言い様だな」


「ふざけんな……」


 俺はみおりの手を咄嗟に掴んで、家に向かった。

 家の前にいる男を押し退け、扉を開けた時、後ろから聞こえた声に、俺は頭が怒りで煮えたぎるのを感じた。


「祐太、千尋は、元気か?」


 振り向けなかった。

 もう一度、男の顔をみれば、この怒りを抑えることはできないと思った。


「頼むから、帰ってくれよ」


 俺はそれだけ言って、扉を力任せに思いきり閉めた。


「お兄ちゃん……」


 不安そうなみおりの声に、俺は満足に答えることは出来なかった。


「悪い、一人に……させてくれ」


 俺は、自分の部屋に入ると、そのままドアを背に、崩れ落ちた。

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