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ロックオン

「これ…伊沢さんの声なのか…」

 信じられないものを聞いた、という顔で横田が呟く。戸川に至っては言葉もない。

「これが俺の求めるこの曲のイメージだ。」

 再生の終わったレコーダーのスイッチを切りながら神崎が言った。

 これから横田が言うことは聞かなくても解っている。戸川が言うことはもっと解っている。でも、そんなこと了承できるわけがない。

「無理です」

「伊沢さん…」

 右手に横田、左手に戸川、そして正面に神崎がいた。三方を囲まれ、後ろは壁だ。逃げるに逃げられない状況で三人はどんどん間合いを詰めてくる。

「レコーディングの手配を…」

「CF撮影も…」

「初回配給数の読みは…」

 三人は杏香を囲い込んだまま相談を始める。三人とも背が高い。まさしく杏香の頭上を越えて話をしていた。

「歌いません。私は絶対に!」

 そんな声など完全無視であった。

「この歌を世に出さずに終わらせることなんて出来ない。そして、一度この声を聞いたらもう他の人間に歌わせることなんて考えられない。神崎さんが何年もかけて探していた気持ちがよくわかった。これは君が歌わなければならない歌だ」

 戸川が静かに、子どもに言い聞かせるような口調で言った。横田が重ねる。

「君も、長年音楽をやっているのならこの曲のすばらしさは解るだろう。これを闇に葬るなんて一種の犯罪だと思わないか?そんな権利誰にもない」

 とどめはもちろん神崎怜司。

「半分諦めていた。多少なりとも似た感じに仕上がればいいことにしようとすら思っていた。でも、本物を見つけた以上妥協は出来ない。もし君が歌わないというのであれば、俺はこの曲を永遠に封印する。」


 なんてひどい…。この曲を聴く権利を大衆から奪うのか、と詰め寄られて、その通りですなんて言えるはずがなかった。素晴らしい曲だと解っているだけに…。

 それでも…それでも…どうして私だけが犠牲にならなきゃならないの?歌うことも弾くことも大好きだ。でもそれはあくまでも個人の趣味としてで、それを職業にしてプライベートを殺してまで大勢の前で歌いたいなんて思ったことはない。人前で歌うのは嫌いだった。


 小学校に入る頃から、人前で歌うたびにいじめられた。特にクラスの中心的存在の女の子に…。なぜだかなんてわからない。でも必ずそうなったのだ…。

 私の歌は嫌われる。だから成長するに連れ、人前で歌うことはなくなった。歌うことも弾くことも一人でこっそり、というのが杏香の大原則だった。

「正式に契約しよう。希望には出来る限り沿う。なにか要望があるかい?」

 戸川が聞く。もう逃げることなど不可能だった。私の穏やかで平和、平凡な人生は永遠に失われた…。

「わかりません。そんな経験したことありませんから…」

「そりゃそうだ」

「でも、一つだけ」

「なんだい?」

 返事をしたのは横田だったが、杏香は神崎を見つめていった。

「カップリング曲を書いてください」

「面白いね。どういう曲を?」

「どんな曲でもいいです。ただし、あなた自身が歌って下さい」

 自分をステージに引きずり出すなら、神崎怜司も同じ目に遭ってもらう。絶対に人前で歌わないと言われる神崎怜司。自分だけ高みの見物など許せない。

「…そうきたか…」

 神崎怜司相手になんてことを言い出すんだ…と横田と戸川は顔色を変える。この男を怒らせたら大変なことになるのに…。

「それが私の条件です。私を晒し者にするなら自分も一緒に晒されてください」

「晒し者はひどいな。デビューしたくて出来ないミュージシャンがどれだけいると思っているんだ」

「じゃあその人達に歌ってもらえばいいじゃないですか。私はその方がいいです」

 もしかしたら、白紙撤回するかもしれない。そんな期待を見事に裏切って神崎怜司はにやりと笑った。

「OK」

 今度は残りの三人が言葉を失った。今なんと言った?

「カップリング曲を書く。そして俺が歌う。そうすれば君はこの曲を歌うんだな?」

「…」

「今更撤回はさせない。このCDは君と俺のデビューアルバムだ」

「アルバム?!」

 また戸川と横田が絶叫した。しかも今度は明らかに嬉しい悲鳴だ。

「君のソロ、俺のソロ、そしてデュオ。」

 この声のためならいくらでも曲が書ける。神崎怜司はそう思った。そしてこの声とならばいくらでも歌える。

 

 神崎怜司は噂通り、類い希なる歌い手だった。ただ、その優れた歌唱力は余りにもインパクトが強すぎて合唱に向かず、デュエットにはもっと向かないといわれた。だが、彼の書く曲は基本的に複数歌唱のための曲で、違った声質の組み合わせの妙を狙っている。だから自分の書いた曲を自分で歌うことをせずに来たのだ。正直に言えばできなかった。

 十年前、あの曲をうまく纏められなかったのは、もしかしたら独唱用の曲だったからかもしれない。とにかく自分の曲は歌えない。人が書いた曲を歌う意味はさらにない。そこに歌姫が現れた。この声ならば自分と歌っても負けない。そして、この声をイメージすれば独唱用の曲でも自在に書ける。いや、この声にこそ俺の曲を歌って欲しい。

「一ヶ月で曲を作る。九月のリリースを目指したい」

「今、何月だと思ってるんですか!?」

「七月頭だ。ちゃんとわかってる。一ヶ月で曲を何とかする」

「で、一ヶ月でレコーディングするんですか?無理ですよ。伊沢さんは素人です」

 それが解っていて、何故私をデビューさせようとするんだ!とくってかかりたい。

 でも社長相手にそんなことは出来ないし、神崎にいたっては屁のカッパだろう。

「大丈夫だ。やれるさ」

 なんて酷く呑気に言う。ああもう、曲が完成する前にどこかに逃げてしまいたい…。

 本当に誰かどこかに召還してくれないだろうか…。


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