空色の屋根
まだ順位が下がってこない…。
杏香はため息と共にランキングを見つめていた。
早ければ、発売翌週にでも下がり始める曲もある。『海の翳り』は神崎怜司をして史上最高と言わせるだけの出来だったから、それよりは長く上位に留まるだろうとは思っていたが、三ヶ月が過ぎても、未だ一位から落ちない。こんなことは今までになかった。
「もうそろそろいいじゃない…みんな覚えるほど聞いたでしょう?」
そう呟いてみても、数字は変わらない。街に出れば必ずどこかで海の翳りを聞いた。
有線でも流れているらしい。テレビをつければ、ワイドショーか音楽番組のいずれかに、神崎怜司が出ている。電車に乗れば彼のポスターが貼りまくられている。アルバム発売後、数社からCM出演の話が持ち込まれ、そのいくつかを受けたらしい。
ドラマとのタイアップの話もあるという。そのうち、俳優業を始めてもおかしくないぐらいの勢いだ。要するにどこに行っても何をしても『神崎怜司』が目に入る。あの恐ろしく整った顔で、魂を吸い取るような瞳で、まっすぐに杏香を射抜こうとする。
ランキングが落ち始めれば、注目度が下がり始めれば、自分の隠遁生活はもっと楽になる。神崎怜司を目にすることがもっと減れば、『海の翳り』を聞くことがもっと減れば、全ては泡沫だったと過去に流してしまえる。
それなのに「現在」はしつこく居座る。
「次のアルバムを早く出してしまえばいいのに」
独り言が続く。神崎怜司が単独アルバムを出せば、世間はそれに注目して、謎の行方史枝など忘れてしまうだろうに…。
『海の翳り』を出した後、神崎怜司は誰の曲も書いていない。シンガーソングライターデビューを果たした神崎怜司は最早他人の曲など書かないのかもしれないと、周囲の歌手は恐れている。だが、彼は自分のための曲すら書いていないらしい。何を考えているやら…歌手デビューしたなら、どんどん儲ければいいに。
「杏香さーん、宿題手伝ってよ~」
パソコンの画面を見ながら考え込んでいた杏香のところに、子どもが駆け寄ってきた。この子は確か小学校二年生。名前は…ああそうだ、鳥海みさちゃん。活発で明るい性格だが少々学校の勉強が苦手で二年生なのに宿題すら四苦八苦であった。
東日本大震災で両親を亡くした。受け入れ先を求め求めて、ようやくここに落ち着いた。両親を失って大変な身の上だというのに、持ち前の明るさを損なわれることなくけなげに頑張っている。
ここは、福島市にある児童福祉施設。親を失った子どもたちが居住する『空色の屋根』である。
『海の翳り』の発売と同時に東京から姿を消した杏香はまっすぐにこの街に来た。
かつて住んでいたということもあったが、東日本大震災後、福島県は原発事故の影響を恐れて人口の流出が続き、福祉施設も人手不足で大変なことになっていた。
杏香は最初ボランティアとして赴き、しばらく活動した後、臨時職員として職を得た。
真面目で面倒見のよい杏香は子どもたちの人気者で、職員の方から是非に…と頼まれてのことだった。
子どもたちの面倒を見る住み込みの職で、あらゆる意味で杏香には都合がよかった。臨時であることも、アパートを契約しなくて良いことも…。職員達は給料が安いことをしきりに申し訳ながった。確かに高くはない。職員が居着かない理由でもある。でも、杏香にしてみれば金額なんてどうでも良いのである。お金ならある。それもふんだんに…。
『海の翳り』の売り上げは未だ止らず、とんでもない額となっている。当然、杏香にもその一部が入ってくる。きっと、あのアルバムによる収入だけでも私のささやかの人生は賄えてしまうだろう。だから、今はこうやって、震災で傷つき、家族を失った子どもたちに寄り添って静かに暮らせるだけでよかった。
「はいはい。みさちゃん、じゃあ今日もかけ算の九九からはじめよっか?」
「えー…本読みからじゃ駄目?」
「苦手なことからやっつけちゃおうよ。もうちょっとで難しい七の段覚え切れそうじゃない?」
「うーん…二と五は完璧なんだけどなあ」
「そうそう、だから、出来るよ。いっしょにがんばろう」
杏香はパソコンの電源を落として、みさと一緒に低学年の子どもたちの部屋に行った。
「あ、杏香さんだ!ただいま~」
学校から帰ってきたばかりの子どもたちが杏香を取り巻く。抱きついてくる子どももいる。人恋しくてならないだろう子どもたちは、いつも無意識にスキンシップを求めている。
そんな彼らを杏香はしっかりと抱きしめる。大丈夫だよ、ここにいるよ、と言わんばかりに。
「じゃあみんな、頑張って宿題終わらせちゃおうね。今日のおやつ、リンゴだよ。フルーツラインから今年も蜜入りのリンゴを頂いたって!」
「やったーー!おいしいんだよね飯坂のリンゴは!」
小躍りしながら子どもたちは宿題のノートを開く。スナック菓子でも、ケーキでもなく、リンゴを喜ぶ子どもたち。なんて良い子達なんだろう。
杏香は彼らの世話をしながら、毎日なにかとてもいいものをもらっていた。それがなにかなんて言葉には出来なかったけれど…。




