98話 親友ですわ
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私は急いで、ランドが横たわる場所へ走りました。
彼は血溜まりの中で、うつ伏せに倒れています。
「ランドッ!」
私は彼の身体を起こし、抱き抱えました。
ランドはゴボリと血を吐いて、大きく胸を上下に揺らしています。
「ティファ……無事……だったか……」
彼は血まみれの顔に、むりやり笑顔を貼付けていました。
「良かった……生きていたのですね」
「当たり前だ……恋人を……残して……死ねるか……」
「そうですわ。あなた、わたくしの夫になるのですから、こんな所で死なれては困ります」
「はは……婚約……してくれるのか……指輪はねぇが……」
私は何度も首を上下に動かし、頷きました。
だけど、どうしたって溢れる涙を堪えることが出来ません。
だって今、ランドの身体は光の粒子となって、徐々に天へと登っているのです。
狂化とは、魂を蝕む魔法。
傷ついた肉体を補う為に、彼は魂を使って身体を補強していたのです。
もちろん肉体が無事であれば、狂化を解いたあとに死ぬ事は無い。
けれど肉体が既に死んでいるのなら、狂化とは魂を使って戦士を強引に現世へと留める鎖になる。
私の脳裏に、一つの考えが過りました。
彼はもう、死んでいるのではないか……と。
だけど、無理矢理その考えを振り払います。
ランドが震える右手で、私の髪を撫でてくれました。
血がべっとり付いています。それが私の髪を赤く濡らしました。
ランドの血……生きた証しです。
「ランド……今、回復魔法を掛けますわ」
彼の胸に手を当て、私は癒しの魔法を唱えました。
ほんのりと青白く輝き、ランドの傷が塞がっていきます。
ですが塞がった傷は、すぐに光の粒子となって天へと登りました。
「無駄だ、ティファニー。そんな事をしても、その男を長く苦しませるだけのこと。いっそ楽にしてやれ」
私の後ろに立ったアイロスが、酷い事を言っています。
私は頭を左右に振って、彼の発言を無視しました。
「どうですか、ランド。楽になりましたか?」
「はぁ、はぁ……」
苦し気な呼吸音だけが聞こえます。
ランドは薄らと開いた目で、私を見つめました。
「ティファ……ありが……とうな……俺だって……狂化のことは……」
「言わないで下さい、ランド。あなたに言われたら、わたくしは……」
彼は手を私の頬に当てて、ニッコリと微笑んでいます。
「やっぱり……婚約は……破棄だ……ティファ……」
「何を言うのですかッ! わたくしを振るなんて許しませんわッ!」
「は……は……じゃあ……ヴァルキリア……獲らなくても……」
「いいですわ、そんなことッ! ただ……わたくしの側に居て下されば……」
駄目です……何度回復魔法を掛けても、その度にランドの身体が崩れていく。
涙がもう、止まりません。
「でも……駄目だなぁ……俺ぁもう……だけど、狂化は……役立った……ぜ」
「これからですッ! ランドッ! わたくし達は、これからなのですッ!」
「はは……ティファ……最後に……もう一度……だけ……顔を見せて……」
私の頬から、ランドの手が離れました。
赤い筋が頬に引かれて、それがランドの血で……。
「ああああああああああああッ! どうして――」
涙が滝のように溢れてきます。
ランドの身体、その大半が光となって天へと登りました。
代わりに私が抱きしめていたランドは、ぐちゃぐちゃの肉塊へと変わっています。
「ティファ」
後ろから、肩に手が掛けられました。ラファエルの手です。
「……ラファエル……ランドは……ランドは何処に行ってしまったのです?」
私はランドであった肉片を地面にそっと置き、立ち上がりました。
振り返ってラファエルを見ると、彼はドナの首を大切そうに左手で抱えています。
「ランドは既に死んでいたんだ。ドナも……」
「ドナ……そう……首を斬られていましたね。ええ、ええ、分かりますとも……ラファエル……あなたの辛い気持ちは、わたくしにも理解出来ます……でもランドはまだ……」
「ティファ、しっかりしろ。現実を見るんだ。僕達は助かった。皆に助けられたんだ――」
「え? え? わたくし達三人が、助けられたのでしょう?」
「ティファ。狂化がどういった魔法かは、君だって理解しているだろう?」
ええ、分かっています。
ラファエルが言う言葉の意味、頭では理解出来ます。
だけど――それを心で理解しろと言うのは、余りにも酷い。
「狂化だって、死んでいなければ……」
「ティファ! ランドは、既に死んでいたんだッ!」
え? 何を言っているのでしょう、ラファエルったら。
私達、勝ったのですよ。大勝利です。
敵を沢山倒しました。沢山、沢山……。
「あれ……そういえば先生、リュウ先生は何処ですか? わたくし達、勝ちましたわ。ねぇ、紫ババァ? 姿を見せなさい。ああ、ドナ、こんな所に……首だけなんて、何の冗談ですか? これはシュールですわね……」
「ティファッ!」
“パンッ”
ラファエルの右手が、私の頬を叩きました。
すぐに彼はドナの首をヒルダに渡して、私をギュっと抱きしめます。
「生き残ったのは、僕達だけだッ……! あの中で、僕達だけが生き残ってしまったッ……! だからティファ! 頼むから、しっかりしてくれッ! 頼むから、僕を一人にしないでくれッ!」
「あっ……あっ……うっ……うわああああああああああああっ!」
そうです……あの日、共に旅立った中で私達だけが生き残ってしまった。
もう、何も考えられません。
私はラファエルにしがみつき、ずっと泣いて。泣いて……。
そしてそのまま、意識を失いました。
◆◆
真っ暗な闇の中で、私を呼ぶ声が聞こえます。
「――ちゃん! お姉ちゃん!」
「ティファ! 目を覚まして! 覚ましなさいッ! もう太ったなんて言わないからッ!」
「ティファ! とっておきのメロンパンを持ってきた! 一緒に食べよう!」
何やら、随分と五月蝿いですね。
何ですか、太ったとかメロンパンとか……。
イラッとしたので私は闇を振り払う様に手を動かし、ぐっと目を凝らしました。
すると目の前に一本の光る線が入り――いえ――どうやら私は、目を開けたようです。
すると中空に手を伸ばし、ブンブンと動く私の手が見えました。
「お姉ちゃん! ずっと眠っていて……もう起きないかと思ったッ!」
ミズホが泣きながら、私に抱きついてきます。
相変わらず、甘くて柔らかな子供の匂い。
私はそっとミズホの頭を撫でて、笑いました。
「何を大げさな……」
ですが――話を聞けば、私はあれから何日も眠っていたようです。
多くの人が部屋の中にいて、私を見守ってくれていました。
眠っている間に、クロエやイグニシアも来てくれたようですね。
目を開けた私を心配そうに見つめる彼女達の瞳は、どれも涙を浮かべて真っ赤になっていました。
「ああ、そうですか……夢では無かったのですね……」
「ティファ……済まない。私が側に居てやれれば……」
ボンヤリと天井を見つめる私に、イグニシアが泣きながら声を掛けてきます。
何も泣く事は無いでしょうに。
あなたが側にいなくて、逆に良かった。
イグニシアまで失ったら、私、どうにかなってしまいますよ。
クロエが跪き、「ごめんなさい、ごめんなさい。私が離れたばっかりに!」と頭に床を擦り付けています。
何を謝っているのでしょうね、兎さんってば。これは、あなたのせいではないのに……。
私は身体をゆっくりと起こし、周囲に目を向けました。
どうやらここは、まだリモルの館で私に与えられた部屋のようですね。
皆の中にはパオラ・リモルの姿があって、その隣にラファエルが立っていました。
「ラファエル……」
私は彼を呼びました。
すると、パオラも近づいてきます。
「その……ティファニーさま。リモルの支配権を、返して頂きたいのですが」
揉み手をして、パオラが私に言いました。
彼は薄っぺらな愛想笑いを浮かべ、私を見下ろしています。
まあ、寝台で半身を起こしただけの私を長身の彼が見ているのです。そうもなるでしょうが……。
「パオラさま! それは、今言わねばならないことですかッ!?」
「黙れ、ラファエル! これは大切なことだ! ……はっきりとさせねば、ここがティファニーさまの館という事になるだろうッ!」
ふむ……パオラの言う事は尤もです。
確かに私は決戦の前、リモルの君主になりました。
そして未だ、パオラにその座を譲っていませんからね。
しかし、私はイラつきました。
パオラは血色も良く、怪我を一切していません。
一方ラファエルは頬に湿布を貼り、頭には包帯を巻いて、腕を布で吊っている。
どこをどう見ても、満身創痍に違いありません。
きっと、魔法で癒す事すら厳しい状態にあったのでしょう。
だから私は理解しました。
パオラは一切、あのとき戦っていないということを。
「そうですね……領地を返すのは構いませんが、今はまだ、わたくしが支配者なのでしょう?」
「はい、仰る通りです、ティファニーさま」
「だったらパオラ、まずわたくしに跪くのが筋ではなくて?」
「は?」
「それにあなた、あの日、何処にいましたの? 隣のラファエルがボロボロなのに、あなた、随分と元気そうだわ」
「た、戦っていました。戦さの指揮を執っていたのです。この館にて……」
「ふうん……後方で安全な所から、わたくし達の戦いを見ていたということですわね?」
私の言葉で、皆の視線がパオラに注がれます。それも、決して好意的では無いものが……。
「そ、それは……」
「にも関わらず、わたくしの親友であるラファエルを下僕の様に扱うとは、どういった了見ですか?」
「そ、それはティファニーさま! 私は貴族でラファエルのヤツは平民ッ……!」
「黙れ、パオラッ! わたくしの前では平民も貴族も等しくゴミだと、以前にも言ったはずッ! まず、わたくしにモノを申すなら跪けッ!」
私は手をパオラに翳し、風の魔法を唱えました。
風はパオラの膝裏に集中して当たり、彼の足を床に押し付けます。
「うぐッ!?」
強かに膝を床へ打ち付けたパオラが、顔を顰めました。
「わたくしを見下ろしながら口を開くとは、無礼千万――身の程を知りなさいッ!」
寝台から足を出して座り、踞るパオラの頭を踏みつけます。
「ラファエル、選びなさい。今後もこの馬鹿主君に尽くすか、それとも、わたくしに付くか……」
キョトンとして、ラファエルが私を見ていました。
だから私は、さらに言葉を続けます。
「……ラファエル、一人にしないでくれと言ったのは、あなたでしょう。わたくしとて、旅の仲間をあなた以外、全て失ったのですよ」
ラファエルは跪き、私の手を取りました。
彼は涙を流しながら、何度も何度も私に頷きます。
「ティファ……僕は君に仕えるよ。悩むまでもない……ずっとずっと、そうしたいと願っていたことなんだ……!」
「あら……でも別にわたくし、あなたに仕えろなどとは言っていません。せっかく親友になったのですから――堅苦しいのは嫌ですもの」
5章の終わりです。鬱展開にお付き合い頂き、ありがとうございました。
次章はもう少し軽くなる予定ですので、宜しくお願い致します。




