92話 これが魔将ですわ
◆
隕石召還の攻撃があってから、三日が過ぎました。
今も館を囲う壁の周囲に、魔物達の姿がびっしりとあります。
まるで死んだ昆虫を狙う蟻の大群。おぞましくて恐くて、身震いしてしまいます。
ですが今、敵は襲って来ません。これには、理由があるのです。
――――
昨夜遅く、物見台から魔物を狙撃していたカレンが殺されました。
三日前、浴場で私を叱った雑草ババァです……。
彼女は敵を矢で射殺さんとしていた所、突如現れた魔人に胸を貫かれたのだと。
すぐに私とスコットが向かったのですが、既に彼女は手の施しようも無い状態でした。
それでも、諦めきれるものではなく……。
スコットはカレンを抱き抱え、治癒の呪文を必至で唱えました。
「カレンッ! カレンッ! 目を開けてくれッ!」
でも、彼女の目は開きません。
代わりに口からゴポリと血を零し、スコットの腕の中で息絶えました。
そのときです、突如として空気がざわめきました。
歪んだ夜の闇から浮かび上がったのは、一人の魔人の姿です。
魔人は私を見つめ、三日月のように歪めた口で笑いました。
「……ティファニー・クライン。これは大物だね!」
魔人は小柄でした。
鷲のように尖った鼻、赤く光る奇妙な瞳。薄い白髪と、老人のように深い皺の刻まれた顔――そして子供のような溌剌とした声。
実に特徴的です。そんな男が、真っ黒いローブに身を包んでいました。
もちろん私は彼をゲームの中で見て、知っています。
「魔将、リーバ・ベルト」
名を言いつつも、お腹の奥がキューっとなります。恐い……。
彼はゲーム中で私の配下となるのですが、特に残虐な男でした。
身体をあらゆるものに変態させることの出来る、変態さんです。
敵対した君主を倒した場合、あらゆる陵辱を加え、バッドエンドに導くという悪魔。
イグニシアのバッドエンドが思い出されます……。
「へぇ。俺の事、知ってるんだ? ハハッ! じゃあさ、ティファニー、俺と楽しもうよォォォオ! その女、すぐに壊れちゃってつまらなかったんだァアアア! フハハハハハッ!」
「雷撃」
嬉しそうに手を叩く魔将に、私は“雷撃”を叩き込みます。
雷がリーバを穿ちました。
“パンッ”
風船のように弾けたリーバが、再び闇の中から浮かび上がります。
「フッハハハハハッ! そんなものでッ!」
まあ、この程度で死ぬ様な相手なら、苦労はありません。
といってコイツは本来、かなり後半に登場する人物。
つまり私自身、相当に強くなった後じゃないと従えることが出来ない相手です。
しかもどうやら、今のコイツは敵のよう……。
「この場で殺しちゃってもいいけれど……それじゃあちょっと、楽しく無いねぇ……」
魔人が私をまじまじと見て、言葉を続けます。
「そうだな……一つ選択肢をあげる。明日中だよ。明日のうちに、この城を出た者の命だけは、助けてあげる」
弓なりにした細い目、そして目と逆にしなった口でリーバが言いました。
「明日中、ですか? そんな話を、わたくしが信じるとでも?」
「信じなくてもいーよ。残ってたら、全員殺すだけだから」
「出ても、どうせ皆殺しにするのでしょう?」
「フッハハハハハッ! さあ、どうだろうね? 約束を守るかもしれないし、守らないかもしれない――それを考えるのが、君達さ」
この場で戦っても、リーバには勝てません。
空を飛べる私はともかく、スコットは確実に殺されてしまうでしょう。
ならば時間を稼ぐべきだと思い、魔将リーバに答えました。
「分かりました。では――相談してみます」
「へぇ――向かってこないんだ、賢明だね。わかったよ――じゃあ俺は明後日、必ずこの城を攻める。それまで残っていた者は、皆殺しだ――いいね?」
「分かりましたわ」
私の返事を聞く事も無く、リーバは闇の中に紛れて消えていきます。
視線を落とすと、そこにはカレンを抱えるスコットの姿がありました。
彼は悔しそうに下唇を噛んでいます。
「あいつなの? あいつがカレンを殺ったの?」
「そうですね……カレンほどの者であれば、並の相手には敗れないでしょう。ですから――」
「あいつ、絶対に許さない。逃げるなんて言わないよね――ティファ」
「逃げるも何も……あいつは遊んでいるだけですわ。一人だってわたくし達を逃がそうとは、思っていませんもの」
私とスコットがカレンの死体を抱えて広間に戻ると、ちょうど別の場所から戻ったメルカトルと鉢合わせました。
彼はカレンの恋人です。
床に寝かせたカレンの亡骸に、メルカトルは縋り付きました。
「こんなことって……こんなことって!」
ドナとジュリアも、嗚咽を上げて泣いています。
キャメロン先生に続いて、カレンまで……。
本当に、この戦いは厳しいものになりました。
結束がどうの、正義がどうの――などと言っても、死んだら何にもなりません。
私は泣いたりしませんでしたが、いつの間にか身体が震えていたようです。
そうしたらランドが私の横に立ち、肩を抱いてくれました。
人の温もりを感じるというのは、悪く無いですね。安心します。
それにしても、人の命は儚い……それが身に沁みて分かりました。
「お前だけは――死なせない」
見上げると、口を真一文字に結んだランドの目から、光るものが零れています。
「あなたも死なないように……」
ランドの胸に軽く頭を置いて、私は言いました。
友人が死んでしまうのは、とても辛い。
キャメロン先生が亡くなった時も辛かったのですが、友人となると、また別です。
だけどここで、ランドに甘える訳にはいきません。
私はリュウ先生とリモル伯の所へ行って、リーバが語った先ほどの話を伝えました。
もちろん、自分の意見も添えます。
「――わたくしは、嘘だと思います」
そう断言するからには、理由がありました。
かの魔将リーバ・ベルトは、ゲーム中で裏切りの悪魔と呼ばれています。
そんな奴の提案が、信じられる訳がないでしょう。
一応伝えたのは、スコットも話を聞いていたからに過ぎません。
そのスコットも、私に同調しています。
「あんな奴とは、断固戦うべきです」と。
ですがリモル伯が、この提案を検討し始めました。
「そう仰るが、ティファニーさま。これ以上籠っていても、勝利の見込みはありませんぞ……どうせ負けるのなら、一縷の望みに縋るというのも一考かと」
「わたくし、これは罠だと申しています。それに各国からの援軍も集まるのでしょう? ならばここは、耐えるのみです」
私に援護射撃をしてくれたのは、リュウ先生でした。
「ああ。悪魔の言を信じて罠に嵌れば、死んでも死にきれん。第一カレンの死は、それほど安いモノではない……」
こう言われても、リモル伯は考えを曲げません。
結局リモル伯は自らに付き従う民を率いて、息子であるパオラと共に城を出ることになりました。
「愚かな……」
絶句したのは、ラファエルです。
といっても、彼の家族は館に残りました。
それだけではありません。
ラファエルの妹は、去り行く兵に代わって敵と戦う、とのこと。
ちなみにラファエルの妹――ミカエラは、やばい位に綺麗です。
空色の髪に銀色の瞳、小さな唇と真っ白な肌は、私達メインヒロインである八人に勝るとも劣らない。
流石は、幻のヒロインでした。
◆◆
私達は館の最上階に集まって、廃墟と化したリモルの城下町を行進する三千人を見下ろしています。
一応、今のところ魔物の襲撃はありません。
もしかしたら、本当にリーバは約束を守ったのでしょうか。
だとしたら、私の意見が間違っていたことになりますが……。
リモル伯に付き従った民は、兵士を含めて三千五百人。全体の凡そ三割です。
残った私の判断が間違っていたとしても、今日中に館を出れば大丈夫。
少しずるいですけれど、彼等で様子を見た様なものですね。
などと私が算段を立てていたら、大地が鳴動して空を震撼させました。
見れば、巨大な火柱が何本も何本も立ち上っています。
それが豆粒大になった人を飲み込み、巻き上げ、燃やし、すり潰して――。
「イヤァアアアアアアアアアアア!」
「助けてェエエエエエエ!」
遠くから、無数の悲鳴が聞こえてきます。
私は掌を翳し、魔法を撃とうかと考えました。
けれど、火柱を消したところで飲み込まれた人々を救うことは不可能。
せめてものことと、リュウ先生が軍を出して館へ戻る人々を援護します。
やっぱりこれは、罠でした。
きっと今の出来事だけで、千人以上の人々が命を落としたことでしょう。
行列の後方に居た人々が、慌てて館に引き返してきました。
ゴブリンやオークが、彼等を追っています。
その中には、リモル伯とパオラの姿もありました。
どうやら彼等は自分達の安全確保の為、後方にいたようですね。
私達も戻る人々を援護するため、館の外へ出ました。
そしてリュウ先生の指示のもと、戦闘配置につきます。
けれど、敵は襲ってきません。
ゴブリンやオークが、一斉に距離をとりました。
その間から、リーバが姿を現します。
老人のように深い皺を刻んだ顔に、満面の笑みを浮かべて。
「いやぁ、ゴメンねぇ。館に残った者の命を助ける――だったよォ! 言い間違えちゃったぁ! これは失礼! 逆だったぁ! フッハハハハハッ!」
そう言って、顔を蒼白にしたリモル伯の前にリーバが立ちました。
リモル伯は馬上からリーバを見下ろし、剣に手を掛けます。
「うーん、せっかく助けてあげようかと思ったのに、反抗的な態度なんだねぇ……」
軽く跳躍したリーバが、右手を水平に振るいました。
ブォン――と凄まじい音が鳴り、ついでリモル伯の首がゴロリと落ちます。
無詠唱の“風刃”でした。
次にリーバはパラオに目を向け、手を翳します。
「ねぇねぇ……住民を見捨てて逃げるってぇ、どんな気持ち? ねぇねぇ、どんな気持ちィ?」
首を傾げ、ニヤニヤと笑って馬上のパオラにリーバが近づいていきます。
パオラは馬上で震え、ジョバジョバとお漏らしをしていました。
でも――それを笑う事なんて出来ません。
この威圧感は、それ程のものなのですから……。
「うわぁ、汚ったなぁい! 早く死んでよね〜!」
リーバが人差し指以外を閉じて、その指先をパオラに向けています。
何らかの攻撃が、きっと繰り出されるのでしょう。
死を覚悟したパオラが、目を閉じました。
ですがそこで――
リュウ先生が飛び、リーバの手を蹴り上げます。
「あっ!」
リーバがよろめき、たたらを踏んでいます。
隙が生まれました。
これを見逃す、私達ではありません。
私は片手で印を結び、魔法の詠唱を省略。
「凍れ、大気よッ!」
言葉と共に魔法を放ち、リーバを瞬時に氷らせました。
ランドの剣が唸りを上げて、敵を真っ二つに斬り伏せます。
――が。
二つに割れた氷がズズッと動き、合わさったと思えば光に包まれました。
すぐに小柄な老人が現れて、元気な声で笑います。
「フッハハハハハハハッ!」
それからクルリと身体を回転させて、奇妙な踊りを始めました。
衣服が、赤と白のタキシードに変わります。
「分かったよ、館は攻めない! せいぜい明日まで、生き残る為の方策を考えておきなよォ? フフ、フハ、フハハハハハッ! じゃあねぇ〜〜!」
背中から黒い皮膜の翼を生やし、リーバが飛び去りました。
「逃がしませんわッ!」
私は「氷槍」「炎槍」「雷撃」を立て続けに繰り出しました。
でも、意味なんかありません。リーバは、その全てを中空で叩き落としていました。
あの強さは、どう考えても異常です。
後ろを振り返ればパオラが顔をくしゃくしゃにして、泣き崩れていました。
まあ、この様な状況では仕方が無いでしょう。
軟弱者の彼が、父親を目の前で殺されたのですからね。
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