82話 リュウ・イー・チェン 1
明けましておめでとうございます!
◆
リモル領最西端の街バーフット。
そこは壁に囲まれた、人口二千人ばかりの小さな街だった。
俺は生徒達を率いて、街の大手門を見上げている。生徒達も唖然としていた。
「なんや、これ……」
ジュリアの飲み込む唾の音が、聞こえてくる。
「陥落したということだ」
「先生ッ! じゃあ、中の人はどないなっとるん……!?」
「生存者がいるかも知れないし、全滅かも知れない。入ってみない事には、分からんな」
赤毛で小柄なジュリアは、男子生徒から人気が高い。
というより彼女の気さくな人柄は、誰からも好かれるのだろう。黒目がちな愛くるしい彼女の瞳は、まるでリスを思わせる。
時折、三白眼で睨んだり、毛虫でも見る様な目で他者を見下すティファニー・クラインとは、対極かもしれない。
今も唇を噛む彼女の左右を、ウィリアムとスコットが挟んでいる。どちらも気を惹きたくて、必至なのだろう。
しかしジュリア自身はランドが好きなのだと、物知り顔のキャメロンから聞いた。
当のランドはティファニーに執心というのだから、だれも報われない話だ。
それは、ひとまず脇に置くとしよう。今はこの地が問題だ。
この、ひび割れ打ち破られた門では、バーフットが外敵を阻むことは出来ない。
それどころか、中は既に魔物の巣窟となっているだろう。
実際、門衛の代わりに現れたのは、蚊を大きくしたような虫型の魔物だった。
“ブーン”
響く羽音は耳障りで、生徒達は瞬間的に耳を押さえている。
しかしそれが油断出来ない敵である事は、大きさを見れば一目瞭然だ。
虫は人間の子供ほどの大きさ。それが群れを成して飛べば、脅威である。
まして細長い口の先は、極太の針。刺されば最後、致死量の血を奪われ、絶命するのだ。
「抜剣ッ!」
指示を下すと同時に、俺は弓を構えた。立て続けに二矢を射て、最初の敵を射殺している。
それから剣を構え、周囲を伺った。
虫型の魔物を相手にしたとき、武術は効率が悪い。
そもそも武の真髄は、人体を破壊することにある。
しかし関節を折ったり、骨の隙間を狙い、臓物を破壊する――こういった技術が、虫型の魔物には通用しない。
何しろ奴等には痛覚が無いのだ。だから壊れた手足を振り回して戦うし、内臓が破壊されても、全ての機能が失われるまで気付かない。
だったら、武器を使った方が効率が良いというものだ。
次々に現れる蚊型の魔物は、二十匹にも達した。
まぁ、だからと言って俺が魔物に弱いという話ではない。
俺は武術科の主任だ。あらゆる戦い方に精通している。
剣も槍も弓も――苦手な武器は無いのだ。
指示に従って、ウィリアムは剣を構えた。
メルカトルは短槍を回転させつつ、俺の前に馬を進める。
「こんな奴等、俺達だけで十分です」
「……さよう、ここは拙者に、あッ、お任〜せ〜あ〜れ〜!」
メルカトルとウィリアムが、更に前へと進んだ。
それにしてもウィリアムの芝居がかった口調は、どうにかならないだろうか。非常に面倒だ。
もしかして、アレでジュリアの気を惹いているつもりか? だったら逆効果だぞ……。
「プッ……ウィーやん、最高やんなぁ! ププッ!」
あ、ウケてる。案外これでいいのか? 最近の若い奴等は、よく分からん。
「神の加護をッ!」
スコットが防御力強化の魔法を唱え、全員の身体が白く輝いた。
と、同時にジュリアのチャクラムが舞い、二匹の魔物の頭を刈り取っている。
あとはメルカトルとウィリアムが、数を競う様に魔物を倒していった。
敵を片付けるまでに掛かった時間は、十分弱。
バーフットの街を破壊された怒りもあったのだろうが、皆、見事なものだった。
――――
「あら、お見事」
バーフットの門を潜ったところで、キャメロン・ルーが拍手をする。
今回、彼女は何もしなかった。
もちろん危険があれば、いつでも魔法を放つ構えではいたのだ。
しかし生徒達の戦いは、見ていて惚れ惚れする程に安定したものであった。
まあ――敵はモスキートロードだ。
レベルも20に達していないし、ケーニヒス学院の生徒に掛かれば、こんなものだろう。
しかし、ここの守備隊にすれば、荷が重かったはずだ。そう思ったからこそ、キャメロンは思わず拍手をしたのだろう。
大体において、レベル15を超える人間は稀だ。
これを超える者は、それだけで武将となる素質がある。
そしてケーニヒス学院の入学基準は、レベル15に達すること。
年齢ではない――つまり、そういうことなのだ。
全員の顔に、まだ余裕が見える。
先日、反乱軍と戦ったことで、腹をくくったのだろう。
それに今、モスキートロードと戦ったことも、良い経験となった。
とはいえ、壁の中はやはり廃墟が広がっている。
瓦礫の溢れた街路、三分の二を失った屋根、血を吸われて乾涸びた死体が散乱していた。
クロウラー退治に行った者を宿で待とうと思っていたが、そういう訳にはいかないようだ。これで宿が通常営業をしていようものなら、それこそ悪魔が主人であろうから。
「ここからは、戦場だと思え」
俺の言葉に、生徒達は無言で頷いた。皆、良い顔をしている。
暫く目抜き通りと思しき道を歩くと、物陰から音が聞こえた。
素早くカレンが弓を向けると、中年の男が手を挙げている。
「あんたら、人間……だよな?」
薄汚れた服を着た、平民風の男だ。腰帯に棍棒を差している。
「そこで何をしている?」
鋭い誰何の声を発し、カレンは弓を引き絞った。
「ひぇっ……!」
馬上で弓を構えられれば、それだけで威圧的だ。中年男は狼狽え、後ずさって尻餅をついた。
人間に化ける魔物もいると、カレンには教えてある。彼女はその事を思い出し、表情を引き締めているのだろう。
「しょ、食料を探していたんだ! し、仕方ないだろうっ!」
キャメロンがカレンの腕に触れ、弓を下ろすよう伝えた。
きっと鑑定を使ったのだろう。相手が人間であれば、牽制する必要も無い。
「街の生き残りね? まだ大勢いるのかしら?」
微笑を浮かべて、キャメロンが問う。男はオドオドとして、首を縦に振った。
「あ、あんたら、一体何なんだ? 魔物の仲間だったら――」
男は怯えながら、キャメロンを見上げている。
ああ、キャメロンの顔か。
彼女の紫色の唇は、いかにも悪魔を思わせる。
ルー家の魔術特性を考えれば仕方の無い容姿ではあるが――家と縁を切りたい彼女にしてみれば、随分と不愉快だろうな……。
――――
俺とキャメロンが出会ったのは、もう十年も前になる。
俺が三年生の時、彼女がケーニヒス学院へ入学してきたのだ。
彼女は当時の代表だった。
頭脳明晰、眉目秀麗な侯爵家の令嬢。まったく、俺とは釣り合う部分が何一つ無い。
それでも俺と彼女が話すようになったのは、生徒会があったからだろう。
当時の俺は会計担当で、一年生の委員長達と接する機会は、当然ながらあった。
「武闘科なんて、何の役に立つのか全然分からないわ」
会うなりキャメロンは俺に、こんなことを言ってきた。
俺は当時、武こそが最強だと考えていたし、正直に言えば今でもそう思っている。
しかし彼女は、魔導の大家たるルー家の令嬢だった。
今思えば、本心からそう思っていたのだろう。
だから俺がイラッとした目を向けると、不思議そうに首を傾げていた。
「魔法こそ、己の命一つ救えんのだな……」
そう返した俺は、彼女の首筋に手刀を付けていた。殴らなかったのは、彼女が女だったからだ。地位や身分は関係無かった。そして、こう付け加えた。
「俺がその気なら、お前の頭は胴体に別れを告げていたぞ。これが武闘科の意味だ」
キャメロンの唇は、当時から紫色だった。
その唇を震わせて、彼女は消え入りそうな声で言った。
「無礼な――」と。
けれど以来キャメロンは、何かと俺に話しかけてきた。
武闘科の意味について話し合ったことはアレ以来無いが――今の彼女なら俺の手刀を防ぐ程度のことはするだろう。
そういう成長をしたということは、彼女の立ち居振る舞いからも良く分かる。
キャメロンが卒業する頃、俺は既に講師となっていた。
その頃の俺は、多分キャメロンに夢中だったと思う。けれど駆け出しの講師が、生徒を口説くなど出来る訳もなく――ましてや相手は大貴族の令嬢だ――だから何も言えず、何も伝えられず――ついに卒業式の日を迎えたのだ。
きっとキャメロンは、魔導王国に帰って名家に嫁ぐのだろうと思っていた。
だから彼女が学院に残った時は、驚いたものだ。
お互いの気持ちを確かめるのに、さらに二年。俺達は足踏みをした。
俺の家とルー家は、まったく釣り合わない。
それが俺に、告白を躊躇わせた理由だ。
彼女にもそれが分かっていたから、何も言えなかったらしい。
けれどある日――なけなしの勇気を振り絞って、俺は聞いた。
それは彼女がいつも、長期休暇を学院で過ごす理由だ。
彼女は、こう言った。
「実家に帰れば、縁談の話が進んでしまうわ。でもここに居れば、リュウ先生がいるから……」
俺は彼女を無言で抱きしめた。彼女も拒まなかった。
けれど俺の力では、彼女をルー家から自由にしてやることが出来ない。
それに紫色の唇が、彼女とルー家の絆をどうしたって可視化してしまうのだ。
愛しくもあり、恨めしいキャメロンの唇。それはルー家の力を現す、毒魔の象徴だった。
だが、この任務が終われば俺は英雄となるだろう。そのときには、ルー家にも俺の名が轟く。
これ以上、彼女との関係を曖昧には出来ない。
俺と彼女がこの任務を引き受けた理由は、これだ。
俺は英雄となって、ルー家に認められる必要がある。
しかしだからといって、生徒達を危険な目に遭わせるつもりはない。
俺とキャメロンこそ、学院で最強だ。これも、間違いの無い事実なのだから。
――――
尻餅をついたままの中年男に、俺は名乗った。
「ケーニヒス学院から来た、リュウ・イー・チェン。リモル領における、魔物討伐の任を受けた者だ」
男の目が輝き、頬の肉が緩んだ。尻の埃を払って立ち上がる。
「本当ですか?」
「嘘を吐く理由など、無い。今もそこで――モスキートロードを倒してきた」
信じてくれたらしい。俺の言葉に頷くと、男は振り返り、瓦礫が積み上がった方向を指差して言う。
「こっちに、早くこっちに来て下さい! まだ大勢生き残っていますからっ!」
どうやら、仲間の元へ案内してくれるらしい。
俺は頷き、男の案内に従った。
「これが街の生き残りです……大勢って言いましたけど……」
「これだけか?」
「はい……」
男は肩を落としながら、俺を見上げている。
廃墟の中で暮らす人々は、百人に満たなかった。
他にも同じ様な集落があるのかも知れないが、連絡は取れていないとのことだ。
「あの……この街を魔物から解放して貰えるんでしょうか!?」
男の言葉を聞き、薄汚れた顔の人々が、目を爛々と輝かせてこちらを見る。
ほとほと、魔物にはウンザリしているのだろう。
俺は苦笑して、後ろの生徒達を振り返った。
「向こうはクロウラー、こちらはモスキートロードだ」
ジュリアが頬をポリポリと掻いてから、馬を下りた。
ぬいぐるみを引き摺る少女が、ジュリアを見上げている。
「はぁ……どっちが貧乏クジか分からんなぁ――」
少女の頭に手を乗せ、ジュリアが諦めた様に言葉を続けた。
「この有様見せられて、やらんとは言えんやろ、先生」
キャメロンは微笑を浮かべている。
「モスキートロード位なら、私達で何とかなるわ。クロウラーの相手をするよりは、マシね」
ジュリアも大きく頷いていた。
「……せやな。ティファやん達がクロウラー倒しとる間に、あたし達はここを解放したらええねん! なっ! 先生ッ!」
正直に言えば、これも無駄な戦いだ。
しかし放置してリモルの領都に向かえば、この地の人々は全滅するだろう。
もちろん、モスキートロードだけが相手なら、何の問題も無い。
だが――敵がモスキートロードだけでは無かった場合、どうする?
けれど全員が、既にやる気を漲らせていた。
ここで、やらないなどと言えば――きっとキャメロンは、許して貰くれないだろう。
ティファニー・クラインのような冷酷さが、彼女には無い。
それこそが、俺の彼女に惹かれる理由だった。
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