69話 ラファエル・リット 2−1
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ランド・ジェイクにティファニーさまのことを聞かれたのは、初日の夜。共に見張りに立った時のことだ。
僕達二人はコンビを組み、二時間ほど周辺を警戒していた。
その最中に見せた彼の人懐っこい笑みは、七三でピシッと分けた髪型に似合わない軽薄さを思わせる。
「なあ、一年の代表。ティファニー・クラインって美人でいいよなぁ。俺、他人を全部見下したような、あの冷たい目、好きだぜ〜」
「ティファニーさまは他人を見下したりなんか、していませんよ」
「へぇ……そうなのか、代表。でもクライン家のご令嬢だろ? 生半可な王族なら、足下にひれ伏すって聞いたぜ?」
「そりゃ、八大列強の一つに数えられる国ですから……ていうか、代表って言うの止めて下さい。僕にはラファエル・リットという名前があります、先輩」
「ああ、悪い。じゃあラファエル。代わりと言っちゃ何だが、お前も先輩って言うのは止めてくれ。ランドでいいぜ。敬語も必要ない。俺は貴族と言っても名ばかりだ、お前と変わらん。借金も含めてな――ハハッ」
「借金?」
「どうせお前も、国に金を借りてるんだろ? 奨学金とかいうさ。難儀なもんだよ」
軽薄そうに見えて、ランドは人の心を掴むのが上手い。
この二時間で、僕とランドの間にあった壁は消えた。
お互い、望まない主君に仕えなければならない。
けれど彼は野心を持っている分、僕よりも輝いて見えた。
能力もまだまだ伸びるだろうな――そう思わせるだけの、力強さがある。
そんな彼がまたもティファニーさまの名前を出したのは、翌日の夜だ。
リュウ先生が僕達を気遣って、焚き火を囲み踊ろうと言ってくれた。
きっと移動中の皆が、よほど思い詰めた顔をしていたからだろう。
実際、ティファニーさまとランド以外、皆は随分と蒼白な顔をしていた。
対人であれ対魔物であれ実戦経験があるのは、先生を覗けばこの二人だけだからだ。
皆が極度の緊張を強いられても、当然だろう。僕だって恐いのだから。
「キャンプファイヤー」
横顔を赤い炎に照らされながら、つまらなそうな声でティファニーさまが呟く。
彼女は、超然としてた。生も死も、つまらない物語の中にあると思っているのだろうか。この世のあらゆる出来事を、ただ受け流しているように感じられる。
僕はそのとき、彼女の氷の様な青い瞳に揺れる炎に見蕩れ、ぼんやりとしていた。
後で聞いたらランドも、そんな彼女を見つめていたらしい。
ティファニーさま以外は互いに手を繋ぎ、輪になってゆく。いつの間にか僕の手はドナに握られていた。
学院でも同じクラスだし、決して仲が悪いわけじゃない。僕はドナに頷き、輪の中へと足を進めた。
その時ランドは、ジュリアから差し出された手を断っている。
といってもジュリアはすぐにウィリアムとスコットの二人を捕まえると、楽しそうに笑っていた。
ヒルダもそうだけど、湾口都市同盟の人々はどこか享楽的だと思う。僕には真似できそうも無い。
リュウ先生がリュートを弾き、キャメロン先生が合わせて笛を吹く。
わざと明るい曲を選んでくれたのだろう。僕達は盛り上がり、互いの結束を深めていった。
次第に恐怖感は腹の底に納まり、敵を討とうという勇気が湧いてくる。
けれどそこにティファニーさまの姿はなく、聞けば先に天幕へ戻った、とのことだった。
「寂しい人なのかな?」
一緒に天幕へ戻る時、ランドが口にした言葉だ。
彼が顔を向けた先は、一人で見張りにつくティファニーさまの後ろ姿だった。
夜風に流れる髪を右手で押さえ、彼女は一人遠くを見つめている。
「そんなことは無いだろう」
僕もティファニーさまの後ろ姿を見つつ、言う。
彼女の中に寂しさを感じたことは無い。けれど、それが無性に悔しかった。
だから僕は、必至で理由を探す。
彼女にはイグニシアさまやヒルダ、ニアという友達もいるし、リリアード先輩とも仲が良い。
何よりアイロス――耳にキスをされて胸を触らせていたんだ、恋人に違いない――がいる。
そんな彼女が、寂しいはずなんて無いと思った。
多分――そう思いたかった。
僕は知らず、奥歯を噛み締めていたらしい。
「なんだ、ラファエル。ティファニーが寂しいと不満なのか?」
額に落ちる髪を指で流し、ランドが笑っていた。
僕の身長では長身の彼を、どうしても見上げる恰好になる。
そうすると、何をしても彼が余裕なように見えて羨ましかった。
だからだろう――つい不機嫌になった僕は、端的に答えている。
「違う」
そんな僕をランドは、からかうように細めた目で見つめた。
それから彼は身体をこちらに向けて、人差し指で僕の胸を突つく。
「ていうかお前さ、何でティファニー・クラインのこと、そんなに詳しいんだ?」
「そ、そりゃ委員会で一緒だし、一緒にケーキを食べに行ったこともあるし……」
顎に指を当て、ランドは視線を虚空に漂わせる。そしておもむろに右の口角を上げ、笑った。
「あ、デートしたのか! お前、もしかして彼女とヤった?」
「ば、ばばばばばば、馬鹿なことを言うなよ! そんなこと、ある訳ないだろ! 僕は平民だし、彼女は大貴族で……!」
「ふぅん……それがどうした?」
「……ど、どうしたって、だからムリだろ、そんなこと!」
「それで、お前は彼女を諦めたのか? イイトコまでいっときながら?」
「だから、そんなんじゃない! 僕とティファニーさまはっ!」
「そうか? そうか――ヤッてないんだな? ブハハハハハハッ! じゃあお前、童貞?」
「いいだろ、そんなことはどうでもっ!」
「そう言うが、お前、俺達はこれから魔物と戦うんだぜ? それも迷宮のように、階層によって強さの知れた魔物じゃない――」
「……それが、どうしたんだよ」
「つまりさ、死ぬかもしれないってことだ。お前、童貞のまま死んでもいいのか?」
「そりゃ……嫌だけど」
「だったら、敵に会うまでに何とかしないとなっ! まあ、お前の場合はドナもいるし、そっちの方がいいか? 彼女は平民だし、ああ、そうだ! そっちに行っとけ!」
僕の背中をバシバシと叩くランドは、夜の闇を斬り裂く様に笑っている。近寄ってきた狼も遠巻きにしただけで、尻尾を丸め逃げてゆく程だ。
「お、おい! ドナをティファニーさまの代わりみたいに言うな! 彼女に失礼だろ!」
「そうか? まあ、そんな訳でな……ティファニー・クラインは貰うぞ」
「も、貰うって、どういう意味だよ?」
「そりゃ、俺の女にするってことだ。悪いか?」
「……僕にダメだとか……止める権利は無い。ていうか、お前も童貞なのかよ? それで焦ってるなら……」
「いいや、俺は童貞じゃないぞ? だけど気になる女がいて、明日死ぬかもしれない状況なら――悩むことじゃないだろ」
「そりゃ……そうかもしれないけど」
「じゃ、決まりだ。俺はティファニー・クライン。お前はドナ・アップルス。ハッハーッ! 頑張ろうぜっ!」
「勝手に決めるなよ……」
その時、僕はアイロスの顔が脳裏に浮かんだ。
銀髪で褐色の肌をした、凄まじい美少年。
あのとき彼は不敵に笑ってティファニーさまの耳たぶを噛み、胸を触っていた。
考えてみれば、恋人以外にあんなことを許す間柄というのは考えがたい。
だけどティファニーさまは、あの時どんな顔をしていただろうか?
無表情だった――いや――少しだけ恍惚として、すぐに自分を戒めるよう、唇を噛み締めていなかっただろうか。
それに僕の姿を見て、アイロスを投げ飛ばした。
本当に恋人なのだろうか?
どちらにしろ彼女に確認するまで、この件は誰にも口にしない。
僕はそう決めていた。
そして今日――ついにランドが動き出す。
エルフの森の入り口で、ランドは悠々と彼女に近づいたのだ。
その後は、本当に早かった。
夕食の準備だけで、こんなに距離を縮めるなんて。
いや――これに関して、半分は僕のせいだ。
本当は僕が、ティファニーさまと水を汲みに行くはずだった。
毅然としてドナの提案を退けていれば、こんなことにはなっていなかっただろう。
だけど正直、僕はあんなに笑うティファニーさまを初めて見た。
どうしようもなく、悔しい。
だってティファニーさまは男とあまり口をきかないし、話しても大抵の場合ムスっとしている。
彼女と一番長く話せるのは、僕だと思っていた。
僕だけが、彼女の心に踏み入ることが出来るのだと考えていた。
そう思いたかった。
だけどそれが、こんなに簡単に破られるとは思わなかった。
僕は沢で汲んだ水を感情に任せて地面に置き、言い放つ。
「ティファニーさま、水の準備が出来ました。ニンジンの方は、終ったのでしょうか!?」
何を話していたのか、気になる。
けれど、とてもそんなことは聞けない。
何より、ランドはティファニーさまの肩を抱いた。
確かに彼女はすぐに手で払い、怒った様に見える。けれど今も、ティファニーさまはランドの側にいた。
だから僕はついに、言ってしまったのだ。
「ティファニーさまには、アイロス・バルトという恋人がいる。ランド・ジェイク。あなたがいくら二年生でも、これ以上の行為は見過ごせない」
最低だ。こんな台詞を、怒った言い訳にするなんて。
アイロスは恋人だと、ティファニーさまは言っていない。
実際に彼女は「誤解」だと言った。
頭の中がグルグルして、どうしようもない。
アイロスが恋人でなければ、ティファニーさまは誰にでも、あんなことをさせるのか?
それなら、このまま放置したら、ランドはティファニーさまと……。
そんな馬鹿な。
じゃあ、ティファニーさまとランドが恋人に? 違う――ティファニーさまは誰とでも?
気が遠くなりそうだ。
そんな時に、ティファニーさまが本を差し出してきた。
“君主論”
僕がティファニーさまを題材にして書いた本だ。
理想を押し付けた書だと言ってもいい。
だから目の前にいるのは、僕の思い描いたティファニーさまじゃない。
あれ?
そもそも、ティファニーさまは僕が思い描いたモノではないし……こんなことを考えるのは理不尽だ。
けれど僕は、ティファニーさまの手から本を払い落とし、早足に去ってしまった。
とても悪い事をした気がするけれど、振り返る気になれない。
こんなに好きなのに、想いを伝える事さえ不可能だ。
やっぱりティファニーさまには、ランドのような男が相応しいのだろうか?
彼は背が高く、力強い。そして知的で……勇敢な騎士だ。
僕のようにウジウジとしていない。
何が軍師だ。そんなスキルがあったって、好きな人を振り向かせることも出来ないじゃないか。
背も伸びない。
あ、いや――入学してから、少しは伸びたけどランドに比べたら全然だ。
「ラファエル! どうしたのよッ!」
ドナが早足で僕を追ってくる。
彼女は無言で、僕の背中を抱いてくれた。何よりも暖かい。
だけど今の僕には、彼女に優しくされる権利なんて無いはずだ。
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