67話 誤解ですわ
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ランドがニヤリと笑って、ニンジンの皮を剥く私の手元を見ています。
「意外とティファニーは器用なんだな。クライン家ってのは、令嬢まで料理をするものなのか?」
そう言う彼は器用にタマネギの皮を剥き、見事なまでに均等なスライスを仕上げていました。
「あなたこそ、顔に似合わず丁寧な包丁さばきですわね」
「ウチは貧乏だったからな。旅から旅で、ずっとこんな暮らしをしていたら、自然と出来るようになった」
「そうですか――わたくしも別に、ずっとクライン家で育った訳ではないので」
「じゃ、クライン家に行く前に覚えたのかい?」
「……ええ、まあ」
面倒でしたが、これから命を賭けて魔物と戦う仲間だと思えば、多少のコミュニケーションは必要だと思って答えてやりました。
するとランドは調子に乗ったのか、私の真横に立って更に会話を弾ませようとします。
もう――会話なんて沈没すれば良いと思うのですけれど。
私は会話を途切れさせようと、無言で作業に没頭するフリをしました。
皮を剥いたニンジンを脇に避け、新たなニンジンの皮を剥きます。
……それにしても、ニンジン多いですわね。
エルフの奴等、嫌いな野菜を寄越したのかもしれません。
しかしランドは私の意図を無視して、またも会話を始めました。
ほんと、空気読めって感じです。
「クラインに行く前は、何処に?」
「ミールです」
「ミール? あの平民が自治をしているっていう?」
「そうなる前は、騎士領でした」
この男は、私のことを全く知らないのでしょうか?
それとも、知っていてトボけているのでしょうか?
どちらにしても、私としてはあまり面白くない会話です。
手短に、なるべくぶっきらぼうに答えましょう。
「騎士領なんて、ろくなモンじゃなかっただろうな」
新たなタマネギの皮を剥きながら、ランド・ジェイクは苦笑していました。
「……どういう意味です?」
「――そのまんまさ、ウチも騎士家でね。親父はいつも平民から税を取り立てるのに、ヒィヒィ言ってたのを覚えている。今思えば、相当恨まれてたと思うぜ」
「思う……というのは、お父さまはお亡くなりに?」
「まあね。あるとき平民が叛乱を起こしてさ、親父は必至で鎮圧しようとしたけど出来なくて――チェスター王国に支援を求めたんだ」
「その時に……」
「いや、違うよ。チェスター王国は平民の叛乱を押さえてくれたが――親父にそのまま土地を預けはしなかった。お陰で俺達家族は土地無し貴族さ。でも貴族なんざ、何の能もありゃしない。出来る事と言えば、せいぜい武器を扱うことと魔法が少々だ。こうなると、傭兵しか出来ないのは自明の理でね。結局――親父は最初の戦で死んだ。まあ、所詮は騎士だから、そんなもんだったんだろうなぁ……」
自嘲気味に言うランドは、包丁を動かす手を止めるでも無く、淡々としています。
ただ軽薄なだけかと思っていた彼に対する印象が、少しだけ変わりました。
私は僅かばかりの同情心を込めた目で、彼の横顔をチラリと見ます。
「そうすると残った家族は今、どうしているのです? まさか全員が亡くなったなどと……」
「まあ、俺に才能があったのが救いだったんだろうなぁ。世間にゃ小競り合いは山ほどあったし、戦に出れば俺は天下無敵。しかも出自が貴族だったんで、どんな国からも引く手あまた。
今はヴァルキリアが、俺の家族の面倒を見てくれている。あそこは内乱があったからね、稼ぐにはちょうど良かった。ああ、もちろん、ここの学費も出してもらってる。まあ――卒業したら士官しなきゃならないけどね」
想像以上に重い話でした。
もちろんランドは重くなりすぎないよう、冗談めかした自慢を交えて語ってくれましたが……正直、反応に困ります。
つまり彼が私のことをよく知らなかったのは、私が噂になっていた頃、噂さえ入らない程に苛烈なヴァルキリアの内乱を戦っていたからでしょう。そして結果を出し、現状を勝ち取った、と。
ある意味、私よりも遥かに厳しい現実を生きてきたようです。
そりゃ大盾くらい、似合う様になりますよね。
「俺の話なんて、どうでもいいだろう。それとも、多少は興味を持ってくれたかな?」
「いえ、ぜんぜん興味はありませんが……同情ならば多少は、しても良いでしょうね」
「ははっ、冷たいな。まあいい――今度はティファニーの話を聞かせてくれよ」
まあ、今更無言になっても仕方がありませんし、私は適当にかいつまんで、肝心なところをぼかしながら身の上話をしました。
ランドは大仰に頷いたり、顔を顰めたり、ある時は叱ったりしながら、私の話を楽しそうに聞いてくれます。
なので私も楽しくなってしまい――最終的には随分と笑っていました。
「そりゃあ、ははっ――凄いな。自分の親父と戦って、追いつめちまうなんて。俺もミールに行っとけば良かったぜ」
「あの近辺じゃ、傭兵家業は稼げないでしょう?」
「まあ、そうだなぁ」
悔しそうな表情を浮かべ、ランドが舌打ちをします。
ちょうどキリが良いので、私は話を変えることにしました。
だいぶ打ち解けたような気がしたので、選挙について話そうと思ったのです。
そもそも救援軍に参加することにしたのも、この事に関する打算ありきですしね。
「――そういえばあなた、生徒会長選は、当然アーリアに投票するのでしょう?」
「そりゃまあ、雇い主に票を入れない訳にはいかんだろう」
「でも無記名投票ですから、誰に票を入れてもバレませんわよ?」
「なんだ、誰か票を入れて欲しいヤツでもいるのか?」
「ええ、まあ」
「だったらティファニーの心がけ次第で、どうにかなるかもな」
ランドが包丁を置き、私の肩を抱きます。
私は手を払いのけ、距離を取ってランドを睨みました。
どうやら油断していたようです。
やっぱりコイツ、下心がありましたか。
「恐い顔しないでくれ、ティファニー。みんなやってるだろ?」
そういってランドが顎をしゃくって見せた先では、木の影でカレン・スミノフとメルカトル・ノードが肩を寄せ合い、仲睦まじ気に話しています。
あっ! メルカトルがカレンの頬にキスをしました!
あんのマッシュルームカット! 私が目を付けた緑髪美少女カレンちゃんに何をっ!
くそっ! サボリか! サボリなんかっ! 先生、サボリですよ〜! って、キャメロン先生! そこで何リュウ先生に絡み付いてるんですかっ! 何ここ! 何なの、ここ! エロゲの世界恐いっ!
と、目を丸くする私を、ランドが肘で軽く小突きます。
「ほら、楽しまなきゃ損だろ?」
「な、何なのですか? これから戦場に行くというのに、皆、緊張感は無いのですか?」
「――戦場に行くからだろ。もしかしたら、そう遠く無いうちに自分は死ぬかもしれない。そう思ったらやっぱり、さ」
「やっぱり、何なのです?」
「童貞や処女のまま死ぬのはイヤだろ?」
「ふぁっ!?」
思わずニンジンが滑り、宙に浮きます。そして包丁でざっくり、私は指を切ってしまいました。
「つっ……」
「おお、大変だ」
ランドが私の手を掴み、血の出た指を舐めています。
「だ、大丈夫です。こんなの、魔法ですぐに治りますので。というか、やめなさい」
私の言葉を聞かず、ランドが小声で魔法を唱えました。
それは簡単な回復魔法で、私の指の傷は見る間に塞がってゆきます。
流石に学院へ入学するだけあって、それなりに高い実力を持っているようですね。
と……そこへドンっと桶一杯の水が置かれました。
「ティファニーさま、水の準備が出来ました。ニンジンの方は、終ったのでしょうか!?」
あら? 何だかムスッとした顔のラファエルが、私を睨んでいます。
ドナと上手くいかなかったのでしょうか?
ドナも後からやってきて、息を切らしながら今、水の入った桶を置きました。
「ええ、あともう少しで終ります。あ、へっぽこ騎士。傷はもう大丈夫ですので、手を離しなさい」
「御意。姫の仰せのままに……」
そう言ってランドは大仰な仕草で、私の手の甲にキスをしました。
やめいっ! と言おうとした瞬間、ラファエルがランドの手を払いのけます。
「ティファニーさまには、アイロス・バルトという恋人がいる。ランド・ジェイク。あなたがいくら二年生でも、これ以上の行為は見過ごせない」
「おいおい、ラファエル。俺はティファニーの怪我を治しただけだぞ。変なところで突っかかるな」
私は呆然として、その場に立ち尽くしてしまいました。
何を誤解しているのでしょう。私は慌てて否定します。
「ラファエル。わたくしとアイロスは、そんな関係じゃありませんわ」
「だ、そうだ」
長身のランドが、未だ背の低いラファエルを見下ろしています。
ラファエルはランドから目を逸らし、私を蔑む様に睨みました。
「……ですがティファニーさま。あなたはあの時……もしかして、男なら誰でもいいのですか?」
「誰でも? 何を言っているのです、ラファエル。わたくし、男はだいたい苦手ですわ」
「じゃあ今、いったい何をしていたのですか、ティファニーさまはっ……!」
「ニンジンの皮を剥いていました」
「それでも……それでも聖女ですかっ!」
「いあ……その……だからニンジンを……」
ラファエルは頭を左右に振って、苦し気な表情を浮かべています。
はぁ……やっぱり予想通りでした。
あのときアイロスにおっぱいを揉ませたことで、ラファエルは勘違いをしたのでしょう。
そして今日、更なる追い打ちをかけた結果、私は見事にビッチ認定という訳ですね。
嬉しくて涙が出そうです。元男の私が、何を血迷ってビッチになるというのですか。
あ、そうだ。あのときといえば、思い出しましたよ。私、確か君主論を持ってきています。ラファエルに返そうと思っていましたからね。
コレコレ――っと。
私は腰につけた革袋から君主論を取り出し、ラファエルに手渡します。
「あなた、あのときに勘違いをしたのでしょう? 本まで落として……」
しかし、本にラファエルの手が伸びることはありませんでした。
視線を本のタイトルに落とし、彼は言います。
「……もう、こんなもの要りません」
「はぁ?」
彼はにべもなく、本を私に突き返してきました。
ちょっとイラっとします。
たとえ数百グラムとはいえ余分な荷物なのに、わざわざここまで持ってきたのですから。
それを「要りません」とは、不届きでしょう! なんとしても、押し付けねば!
「これは、あなたの本です。それに、せっかく手書きでここまで書いたものを……わたくしだって、ここまで持ってきたのです。要らないと言われて、はい、とは言えませんわ。何より――」
勿体ない――と言おうとした瞬間、ラファエルの手が私の手を払い、君主論は“ボトリ”と地面へ落ちました。
ラファエルは背を向け、再び沢へ向かって歩いて行きます。
その後をドナが、こちらを振り返りながらも追いかけました。
あああ、もう! 面倒くさい男ですねっ! 私、何にも悪くないですからねっ!
と思いつつ、再び君主論を拾って革袋の中に入れました。私、本が好きなので。
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