36話 ブレスですわ
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どうしたことでしょう、まったくやる気がおきません。
私は今、迷宮都市キーマの領主を下僕とし、住民達から下らない陳情を受けています。
民や兵士や冒険者が、首無し騎士を倒した私こそ、領主に相応しいなどと言い始めたせいですね。
私としても、ソワールとか言う俗物の下風に立つ気はありません。ですから塵も残さずさっさと殺し、扱い易い血縁者にでも地位をくれてやろうと思っていたのです。
なにしろソワールは、禿、髭、デブで男爵、こうなれば死を逃れる術などありませんからね。
ところが……
「だ、男爵位を差し上げますので、どうか命ばかりはっ!」
ソワールが、こんなことを言いやがりました。
禿で髭でデブですが、そこから男爵を抜けば何とか生存も可能。
親戚筋だというゲイヴォルグも特に反対せず、それどころか、
「世は遠からず、弱肉強食の時代を迎えます。ソワール男爵が天寿を全うなさりたいと思うなら、ティファニーさまの傘下に入られるが得策でしょう」
などと言う始末です。
しかも当のゲイヴォルグは昨日、出て行ってしまいましたしね。
本当だったらアイツに領主を押し付けて、私が帰ろうと思っていましたのに。
お陰で私は男爵の執務室に入り、次から次へとやってくる人々の言い分を聞かなければなりません。
そんな訳で私は朝から、火事場泥棒を捕まえただの、浮気した夫をどうすれば良いか――だの、どうでもいい話しばかりを聞かされています。
「次は何ですの? この程度の話は代官でもよろしくてよ……」
夫に浮気をされたという女性を宥め、手をヒラヒラさせて追い返すと、私はゲンナリとしたまま次の客を招きました。
訪れたのは、くたびれた髭面の男です。
彼は帽子を両手で握りしめ、決意を込めた瞳をこちらへ向けていました。
その太ももに、五歳くらいの少女がしがみついています。
「ティファニーさま、実は迷宮近くで宿を営んでいるのですが、今回の件で首無し騎士に破壊されまして……その、建物を修理する資金を貸して頂ければと思い、参上いたしました」
「……ました……パパを助けて、お姉ちゃん」
「貸して頂けなければ、一家で路頭に迷ってしまいます」
「迷っちゃうの、お姉ちゃん」
なんですか、このおっさんと幼女の絶妙なコンビネーションは。
しかもお姉ちゃんなんて、ああ、もうっ!
こんな幼女に頼まれては、仕方がありませんね。
「よろしい、望むだけ貸しましょう。利子は不要です。返すのはいつでも良いですからね」
「ちょっと! ティファニーさま!」
私の肩を揉んでいたソワール男爵が、素っ頓狂な声を上げます。
「良いじゃないですか、ソワール。どうせわたくしのお金じゃありませんし」
「ですから、それは私の貴重な資金でして……」
「ソワール! おまえ、税を七割も取っていたのでしょう? だいたい、財宝を溜め込み過ぎなのですわ」
「いや、それは迷宮からそれだけの財宝が出ますし、何より軍備の維持には資金が必要だからでして……」
「その自慢の軍備とやらが、今回の件で役立ったのですか?」
「そ、それは……」
「だいたい軍備と幼女、どちらが大切かなんて自明の理ですわ!」
「軍備ですな」
「幼女ですっ!」
私の指示を受けた黒竜騎士が袋に金貨を詰めて、親子に手渡しました。
幾度も幾度も二人は私に礼を述べ、退室して行きます。
「ありがとうございます、ティファニーさま」
「ありがと、お姉ちゃん! あたし、いつかお姉ちゃんのお嫁さんになるね!」
「ええ、待っていますわ」
むふん――と鼻を膨らませた私を、白い目で見る獣がいます。
ああ、兎さんでした。
彼女は私の斜め後ろに立って、警護と言う名の暇つぶしをしています。
「ティファ、変態……」
「クロエには、幼女の良さが分からないのですか?」
「いや、可愛いとは思うわよ。でもお嫁さんにしてどうするのよ? むしろあなたが誰かのお嫁さんにならないと」
「……え?」
「何よ、ティファ、もの凄く嫌そうな顔ね……」
「わたくし、男なんて嫌いですわ」
私は頭を振って、嫌な想像を払いのけました。
「そんなことより、次は誰ですの?」
「今日は終わり。他は昨日ティファが任命した官僚が、上手く回しているわ。便利なものね、鑑定のスキルって」
「ええ、ですからゲイヴォルグに、全てを押しつけようと思っていたのですけれど……」
「最低ね、うん、ティファって最低」
クロエが唖然としながら、ミズホの側へと向かいます。
もう、警護は終わりだということでしょう。
むしろ、「お前なんか警護する価値なし」という表情を浮かべています。
私は部屋の隅にいるミズホに声を掛けました。
「今日も行くのですか?」
「うん!」
首無し騎士から奪った篭手を嵌めながら、ミズホが元気に頷いています。
ミズホ達は当初の予定通り、首無し騎士狩りを始めました。
といっても、ミリアを抱えて逃げた名有りを見つける事は出来ず、また、ミリア本人も見つかっていません。
昨日はゲイヴォルグとアレンがパーティーを率いて迷宮の奥深くまで潜ったそうですが、それでも発見出来なかったそうです。
「もう、ここには居ないのかも知れません」
ゲイヴォルグはそう言って、迷宮から戻ると何処へともなく去って行きましたが。
ヤツが側にいれば貞操の危機もあるので、正直なところホッとしてもいます。
まさか私に限ってチョロインなどということは無いと思いますが、主要な男性キャラとの接触は、控えた方が身の為でしょう。
クロエがミズホの鎧を身に着ける手伝いを始めました。
「迷宮に入ると、結構レベル上がるのよねー」
そう言うクロエは、すでに首無し騎士の鎧を身に着けています。
首無し騎士の鎧はどれも光沢を放つ青、いわゆるメタリックブルーでした。なので黒竜騎士団の鎧と比べると、キラキラ輝いて美しいのです。
そんな鎧を身に着けると、みんなテンションも上がるのでしょう。
ミズホとわんわんが、ずっとニコニコしています。
迷宮へ行くことが、とても楽しそうですね。
もっとも、私は面倒なのでパス。
迷宮へ行くパーティーの引率は、アレン・マシューにお願いしましょう。
彼はグレイの弟子だったとのことでミズホも懐いていますから、ちょうど良いのです。
準備ができると、全員が私の前に並びました。
アレン、ミズホ、わんわん、クロエ、それからルドルフ以外の騎士が二人、というメンバーです。
ルドルフは身体が大き過ぎて、迷宮で引っ掛かるかも? という理由でメンバーから外されました。哀れですね。
「ティファニーさま、それでは行ってきます!」
背筋を伸ばし、わんわんが勢い良く言いました。
アレンは癖のある黒髪をワシワシと掻き回して、頷いています。
「面倒くせぇ」と言わないのは立派ですが、ボンヤリとした顔を見れば、二日酔いであることは一目瞭然。駄目人間の鏡ですね。
「じゃ、行ってくる。目標は首無し騎士の名有りだ。……ヤツを操って詳細を聞き出せば、ミリアの次に行く場所が分かるかもしれねぇ」
アレンが踵を返し、私に手を振って出ていきます。
皆も彼に続き、ぞろぞろと部屋を出ました。
アレンの正体は、連邦王国の諜報員です。
彼は昨日、ゲイヴォルグが去った後、そのことを私だけに打ち明けました。
彼によると、世界各地で魔物が組織的に暴れることが増えている、とのこと。
その背後には、ピンク髪の少女の影が常にあるそうです。
だからこそアレンは、あえて捕まりミリア・ランドルフを監視していた、と語りました。
ならばさっさと彼女を捕まえれば良さそうなものですが、いざ捕まえようとすると、先日のようにするりと逃げられてしまうらしいです。
「なぜ、わたくしに事情を?」
そう問うと、アレンは苦笑しながらも答えてくれました。
「クライン公国に、次の災禍が訪れないとも限らないからなぁ」
私は別に、クライン公国をどうとも思っていません。
だからどのような災禍に見舞われようと、気にしないのですが……。
まあ、世間的には公爵令嬢なので、何かの時には対応して欲しいということでしょうか。
住民からの陳情も終わり、皆は迷宮へ行き、私の肩揉みを終えたソワールも休息の為、部屋を後にしました。
私は椅子を百八十度回転させると、大きな窓から外を眺め、平和そうに青空を飛ぶ白い鳥を眺めました。
「長閑ですわね」
「御意」
扉の側から、声が聞こえます。
見れば、天井に兜の先端が付きそうなほど大きな騎士が、槍を片手に佇立していました。
フォン・ルドルフですね。
「迷宮へ行けなくて、残念ですわね」
「我が輩、姫のニオイが大好きでござるゆえ」
「……うん、出て行け」
いっそ殺してやろうかと思いましたが、彼は何だかんだで忠義者。
ウザイからといって殺していたら、私には部下が一人もいなくなってしまいます。
そんな葛藤をしていると、窓から差し込む日差しがやけに眩しくなってきました。
「あら、太陽が大きくなりましたの?」
目を細めて窓の外を見やると、太陽がどんどん大きくなっていきます。
「あら、あら、違いますわね……これは一体、何かしら?」
窓がビリビリと音を立て、大きなシャンデリアが揺れています。
おかしいですね――そう思いながら紅茶に口を付けたとき、「何か」は既に眼前に迫っていました。
と、同時に、私に覆い被さるフォン・ルドルフの巨体。
「姫、竜のブレスにござるっ……! 御免っ!」
「ブレス?」




