130話 ミリア・ランドルフ 3−2
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ゲイヴォルグさまに頭を撫でられていたら、黒い靄の中から少しくぐもった声が聞こえてきた。
「ゲイヴォルグ、ここは一体――? それにこの魔法、まるでティファニー・クラインじゃねぇか……」
むっ――女の声。そう思ったのも束の間、実際に黒い靄の中から現れたのは背の高い女で……。
女の髪は金に黒が混ざっていて、その上に猫のような耳が乗っている。
ギザギザの太い眉と骨張った顎が特徴的だけど、だからといって不細工ではない。それどころか女の私が見ても、悔しいくらいに美人だ。
ケーニヒス学院の制服を着ているからゲイヴォルグさまの学友かもしれないけれど……腰に吊った大剣が妙にものものしい。なんていうか――戦場の匂いがした。
この女、人を殺すことに馴れている……。
だけど、そんなことはどうでもいい。
私が許せないのは、この女がゲイヴォルグさまに対して馴れ馴れしい口をきいていることなんだから。
「おい貴様――無礼だぞッ!」
だから私はゲイヴォルグさまから離れて剣を抜き、女の鼻先に突き付ける。
女は鳶色の目をジロリと動かし、私を見下ろした。長い睫毛を上下に揺らし、薄い唇の片端を持ち上げている。
「アタシに剣を向けるなんざ、いい度胸じゃねぇか。おい、ゲイヴォルグ――こいつは殺してもいいってことか?」
この女――明らかに私を見下しているな。剣で私に勝てるとでも……。
大剣に手を掛けたところで、ゲイヴォルグさまが女の手にご自身の手を重ねた。
すると女は顔を赤くして、そっぽを向いてしまう。なんだか怪しい雰囲気だ。
「お、おい、ゲイヴォルグ……」
「それは困るな、アーリアさま。彼女は私の大切な部下だ。それはつまり――今後のあなたにとっても、有用な存在になると思うのだが?」
「そ、そうなのか? そういうことなら、そうなのだろうな……分かった」
「なっ……ゲイヴォルグさま……!?」
私は驚き、思わず目を丸くした。今まで唯我独尊だと思っていたゲイヴォルグさまが、この大女を尊称で呼んでいる。
ゲイヴォルグさまはすぐ、私の驚愕に気付いたらしい。薄い笑みを浮かべ、目を細めて言った。
「必要なことなのだ……」
それで私も何となく理解したから、剣を収めることにして……。
「はは……――聞き分けの良いミリアは大好きだよ」
また、ゲイヴォルグさまが私の頭を撫でてくれた。
大女は不満そうに眉を顰め、私を睨んでいる。
「ミリア、紹介しよう。この方はヴァルキリアのアーリア・アーキテクト・ゴールドタイガーさま。いずれ私が軍師としてお仕えすることになる、そういうお方だ」
「え……ゲイヴォルグさまが軍師として?」
「ああ、そうさ――……私だっていつまでも、ブラブラとしている訳にはいかないからね。なにせアーリアさまは八君主の一人だ。となれば私が力をお貸しするのも、当然のことだろう?」
そう言って片目を瞑り、ゲイヴォルグさまは悪戯っぽく笑う。
むむむ……多分これには意味があるはずだ。
だってゲイヴォルグさまは、ご自身が世界を手に入れようとしているはずなのだ。それも、ただ世界を手に入れるだけじゃあなくて――異世界との門を開く為だと仰っていた。
ああ、そうか……八君主。
その為にも八君主の一人は絶対に必要だと仰っていたから、それで……。
私は了解した旨を伝えるため、ニッコリと笑ってみせた。
するとゲイヴォルグさまは頷いてから、アーリアに向き直り……。
「うむ、ミリアも分かってくれたようだね。では……アーリアさまにもミリアとニックを紹介しよう」
「お、おう……いきなり連れてこられて、正直意味が分からねぇからさ……二人きりになれるところだって聞いてたから……」
「ははは。それは申し訳ないことを……だけど心配しないで。夜には二人きりになれるさ」
――……顔が青ざめた。
ゲイヴォルグさまは、この女を利用するだけじゃあないの?
夜を一緒に過ごすって、一体どういうこと?
私じゃあ無くて、この女を選んだってこと?
私が八君主じゃあ無いから? それとも作り物だから?
アーリアが大きな身体をくねらせて、ゲイヴォルグさまの胸をポカポカと叩いている。
「こ、こらゲイヴォルグ! 人前で夜とか、そんなこと言うなぁ〜〜!」
「ごめん、ごめん」
私は思わずよろけてしまって――ニックが身体を支えてくれた。
私がこんな辛い気持ちになっていても、ゲイヴォルグさまの様子は変わらない。
ポカポカと叩くアーリアの腕を掴み――どうやら……私達の紹介をするようだ。
「話を戻していいかい、アーリアさま」
「お、おう……」
「ミリアは召喚術士として有能でね、どんな魔物だって従える力を持っている。例えばそれが、悪魔だったとしても」
「へえ――……悪魔も従えるなんて、まるで魔王だな。ははは――……」
笑い事じゃないぞ……この獣人!
私は本物の魔王――、ミリア・ランドルフなんだからな!
まあ……代わりは、いっぱいいるけれども!
ギリッ……!
奥歯を噛み鳴らして、アーリアを睨む。
けれどゲイヴォルグさまが私の頭に手を乗せ、ポンポンって軽く叩いてくれて――……。
「ああ、ミリアは優秀だ。きっと大陸統一の力になってくれるだろう」
し、しかも、そ、そんなに褒められたら……私……はぅぅうう……。
「そしてニックの方は弓の名手だが――それだけではなく、大魔導のスキルと軍師のスキルが両方ともSなんだ。だから、ゆくゆくは彼を副軍師としても良いだろう」
「アタシが二人も軍師を? ちょっと前、セフィロニアさまに捨てられたのが嘘のようだよ……」
「その名を聞くと、少し妬けるね」
「あっ……――ごめん、ゲイヴォルグ。今はさ……もうお前だけのアタシだから」
――ゲイヴォルグさまは両手を広げ、笑顔を浮かべている。それからアーリアをギュッと抱きしめ、背中を撫でていた。
ああ、悔しい!
悔しいけれど今の言葉を聞けば、まだ私は必要とされているのだと分かる。
――処分される訳じゃないと思えば、何だか安心もした。
あ、そうだ!
せっかくゲイヴォルグさまが来てくれたのだから、さっきニックと話していた、エイジス湖の水竜を捕獲する計画を伝えておこう。
「あ、あの、ゲイヴォルグさま!」
「ん、なんだい、私の可愛いミリア」
「そ、その……! 青竜のことなのですがッ……!」
「ああ、今はね、そういった話は――……」
「でもでもゲイヴォルグさま!」
私はアーリアを押しのけ、ゲイヴォルグさまに抱きついた。
まだまだ私だって、負けた訳じゃない!
私が有用だって分かって下されば、夜のお相手だって! そうしたら処分される可能性だって減るんだから!
「ミリア……――今は……」
瞬間、ゲイヴォルグさまの紫色の目が細くなって私を睨み……それが逸らされると指をパチンと弾いてニックを呼んだ。
その時の目は、とても冷たくて……。
「ニック――……きちんと調整をしているのか? どうして、こうなる?」
ニックが慌てて私を後ろから羽交い締めにし、ゲイヴォルグさまから引き離す。
「申し訳ございません……少し興奮しているのかと」
「寿命ではないのか?」
「いえ――それはまだ……――」
何? 何の話をしているの、ねえ、ゲイヴォルグさま。
寿命って何? 私のこと?
ニックが眉を顰めて私を見つめ、それからゲイヴォルグさまに報告をする。
「それより、ご報告したき事があるのですが……少々お耳を拝借してもよろしいでしょうか?」
「……うむ。青竜の件であれば、別室でな」
ゲイヴォルグさまが立ち上がり、私を手招きしている。
「ミリア――ちょっといいかな?」
私はゲイヴォルグさまに付いて行き、隣の部屋に入った。
後ろから憎たらしいアーリアの声が聞こえる。
「お、おい、ゲイヴォルグ! アタシは?」
「あんたはね、お呼びじゃないのよ! ベーッ!」
舌を出し、目の下を指で押さえたあっかんべーだ!
「て、てめぇ! ゲイヴォルグの部下なら、てめぇだってアタシの部下だろうがッ!」
「まだ正式にゲイヴォルグさまがあんたの軍師になった訳じゃないでしょ!」
「そ、そりゃ、そうだけどよ……でもすぐだぞッ!」
「そうなったら、そんときちゃんと頭を下げてやるわッ!」
――ま、表面的には、だけどね!
隣の部屋に行くと、もう既にニックがゲイヴォルグさまに説明を終えていたらしい。
それほど長い話でもないから、そりゃそうなんだろうけど……。
ソファーに座ったゲイヴォルグさまが、足を組み替えながら言った。
「ミリア、水竜の話はニックから聞いた。君が思い付いたなんて、凄いじゃあないか、感心したよ」
「――え?」
ニッコリ微笑むゲイヴォルグさまが、また手招きをしている。
私が隣に座って頭を寄せると、またまたゲイヴォルグさまが撫でてくれて……。
はぁ〜幸せ。
ニックは正面の椅子に座って、頬を少しだけヒク付かせていた。
って、そうよ! 変じゃない!
この計画ってニックが言い出したのに、どうして私が考えたことになってんの!?
「ミリアは、やれば出来る子なんですよ」
違うわよ――これはあんたが言い出したことで……。
「うん、そうだね。私もそう思うよ」
「ところでゲイヴォルグさま――あなたがここへ来たということは、何かしらの用事があったのではありませんか?」
「さすがは私のニックだね。その通りだ」
ゲイヴォルグさまがニッコリ笑って頷くと、扉がドンドンドンと叩かれた。
どうせアーリアとかいうデカ女が騒いでいるのだろう。
「ゲイヴォルグ! アタシも入れろー!」
「アーリアさまは少し、そこで待っていてくれないか。そうだね――例えばバルコニーから広がる景色でも見たら、価値観が変わると思うのだけど……」
「お、おい――話ならアタシだって……って! うぉぉおおおおお! なんだ、ここ! なんだ、この景色ッ!?」
あの女、基本的にバカなのかな?
景色を見たら、大人しくなったみたいだけれど。
「さて、私がここへ来た目的は、君達にやって貰いたい事があったからなのだけれど……」
するとゲイヴォルグさまは懐から小さな水晶玉を取り出して、ニックとの間にあるテーブルに乗せた。
「遥けき彼方にあるものなれど、我はいま見んと欲す。我が願いを聞き届け給えかし」
水晶の表面を撫でながら、ゲイヴォルグさまが呪文を唱える。するとその中に大きな城が映し出され、拡大すると細かな人の動きまでもが良く見えた。
「これは……――魔導王国の浮遊城」
ニックが息を飲み、額に汗を浮かべている。
私はそんなもの、知らない。だからゲイヴォルグさまとニックを交互に見て、聞いた。
「なに、それは?」
「うん、ミリア――これはね、もともと戦艦だったのだよ。かつて悪魔の国――即ちこの浮遊大陸を攻める為に作られた、人間達の武器だったのさ。
昔はそれこそ、百や二百ではない数の戦艦があったのだがね……今でも稼働しているのは、これだけなんだ」
ゲイヴォルグさまに説明されても、いまいちピンと来ない。
「今回君達には、これを破壊して貰おうと思ってね」
「破壊……ですか?」
「ああ、そうだ。重要な任務だよ。水竜の捕獲と同じ位に重要だ。人間側の手に浮遊城がある限り、ここの安全性が担保されているとは言えないからね」
……なるほど。ゲイヴォルグさまは浮遊大陸を見つけ出されて、人間に攻め込まれることを事前に防ごうというのか。
「わかりました、私にお任せ下さい!」
私は立ち上がり、大きく頷いた。
だってゲイヴォルグさまの命令を拒否するなど、私には考えられないのだから。
そんな私をゲイヴォルグさまはじっと見て、口元を綻ばせる。
だけどニックは俯いた顔を上げると、こう言った。
「戦艦と言うからには、相当な防御力があるのでしょう? ましてや相手は魔導王国です。これを僕とミリアの二人だけで落とせなんて、無茶が過ぎませんか?」
「なに、大丈夫さ。今回も魔将を一人、召喚することを許すよ」
「魔将、ですか。それでも――……」
「ニック、君は何か勘違いをしている。私は命令をしているのだ。浮遊城を落とせ、とね。その程度の事が出来ないような無能者を、私がいつまでも側に置いておくと思っているのかい?」
紫色の視線が私の頬に突き刺さる。
やっぱりゲイヴォルグさまは、私の失態を許してはおられないのだ――……。
つまり私は、次に失敗されたら消されるということ。
思わず奥歯がガタガタと震えて。
全身から冷や汗が吹き出して。
「だ、大丈夫だわ! い、命に代えても、や、や、やり遂げてみせるものッ!」
立ち上がって、私はニックの手を引いた。
「よろしい。それでこそ私のミリア・ランドルフ。良い結果を期待しているよ……――」
「は、はいッ!」
私はすぐに指笛で炎竜を呼ぶと、その背に乗る。
気付けば目から水が落ち、それは止めどなく流れ――やがて私は意識を失って。
再び気が付いた時にはニックが肩を支えてくれて……それが少しだけ、ほんの少しだけ嬉しかった。
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