129話 ミリア・ランドルフ 3−1
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ここはケーニヒス大陸北方の山脈を越えた先にある不毛の土地、忘却の大地。この地には草の一本も生えない。
それはかつてケーニヒス貴族達の呪法により、精霊達が根付く事さえ許さぬ大地へと変えられたからだと云う。
それ以前は麗らかな陽光が降り注ぎ、大きな湖が青々と煌めいて、樹木が生い茂る緑豊かな大地であったらしい。しかし今はもう、見る影もなかった……。
けれど、だからこそ私のような者が潜むには恰好の場所だ。
誰にも見られず誰にも邪魔されず……自由気ままに暮らす事が出来る。
ここは私の生まれた場所。だから地下には大勢の私と私と私と私がいて……。
あの作戦が成功していれば、今頃私はこんな場所にいなくて済んだ。
そうだ――あの作戦さえ成功していればぁあああ……!
思い出すだけで、奥歯がギリギリと鳴ってしまう。
迷宮都市キーマを奪えなかったのは、ティファニー・クラインが邪魔したから。
リモルの街を奪取出来なかったのも、ティファニー・クラインが邪魔したから。
貴重な戦力であるシュテッペンを失ったのだって、ほとんどあの女のせいだ!
許せない、許せない、許せない!
あああ……考えるとすぐにも脳裏に浮かぶ、あの金髪高飛車女。
大量の氷槍を打ち込んで来たり、熱々の紅茶を頭に掛けてきたり……。
それだけでも十分腹が立つのに、あの女ときたら“あの方”から借り受けた魔将まで殺して……。
いや――実際に魔将を殺したのは妙な男だったけれど、ティファニーとは確実に何らかの関わりがあるようだった。ていうか全部あの女のせいだッ!
そんな事を考えていたら、いつの間にか夜が明けていて。
窓の外からキラキラとした陽光が降り注いでいる。
それがあの女の金髪を思い起こさせ、余計に感情が爆発しそうになっていく。
くそ、くそ、くそ、くそーッ!
そして――私は自分の失態を思い出す。
結局ティファニー・クラインに勝てなかったのは、私が弱かったから。
弱い私を“あの方”は許してくれるだろうか?
――否。
処分される。
だって私の代わりは、いくらでもいるのだから……。
朝日が燦々と部屋に降り注ぐ中、私はベッドの上で掛け布にくるまり踞った。
ガチガチガチガチガチ――――……。
全身が震え、奥歯が鳴り続けている。
恐い、恐い、恐い、恐い恐い恐い恐い恐いい恐い恐い恐い恐い。
私は失敗した。あの方に殺される。廃棄される。
私の代わりは城の地下にいっぱいいるのだから、敗者になんて価値はないの。
だけど私が最高傑作だって言っていたのに、なんでなんでなんでなんで……。
「ミリア」
「恐い恐い恐い恐い恐いぃ」
「ミリアッ!」
なに? 耳元で誰かが私を呼んでいる。
ニック? ああ、気持ち悪いニック、何であんたが私の側にいるのよ!
「ミリア、これを飲んで――……」
ニックが強引に掛け布を取って、私の顎を掴み……。
何? ナニ、ナニナニナニ? 何なの?
キス? キスされたの? ゴックン――。
ニックの口が近づいたと思ったら、何か粒状のモノを飲まされた。
「ふぅー……はぁー……ぐぅっ……――ニック……?」
「大丈夫かい、ミリア?」
「大丈夫よ……ていうか私、薬は自分で飲むって言ってたよねッ!?」
私の身体を抱いていたニックをベッドの下に蹴り落とし、自分の胸元に手を置いた。早まっていた鼓動が落ち着きを取り戻し始めている。
ベッドの横にあるナイトテーブルの上には白い錠剤の薬と水差し、それからコップが置いてあった。
私が震えていたのを見て、ニックが用意してくれたのだろう。
正直、意味わかんない。
こんなに拒絶しているのに、なんでコイツは私の面倒をみてくれるのか。
いくら幼馴染みに似ているからって、こんなのコイツ、変態じゃない!
だいたい私、大丈夫なのよ。
自分が何でこんなに不安になっているのか、よく分かっているもの。
だってこの一月、あの方から何の連絡も無いから。
もちろんやるべき事はあるし、その経過だって報告をしている。
けれど今、あの方が何を考えているのか、私を必要としてくれているのか――そういうことがハッキリ分からないと不安になるのよ。
ようやく動悸が収まったから、私は床に降りて窓辺へ寄った。
石の床がひんやりとして心地良い。季節は夏だというけれど、ここはいつだって丁度良い温度だものね。
私が今いる場所は、古い城。
所々がひび割れて、建物の一部だって倒壊しているけれど。
それでも固定化の魔法で崩落を防ぎ、ある程度の家具を入れれば十分に暮らせるの。正直に言えば、何不自由の無い暮らしだわ。
ただ足りないのは“あの方”の存在。
私は“あの方”の役に立つ為に生まれたのだから、役立たないなら存在の意味すら否定される。
だけど私は知っていた。
私は酷く未完成。
常に薬を飲み続けないと、精神の形状を保てないんだって。精神の形状って何よ、そんなもの。
あと私の寿命は、普通の人の半分以下。二十年――生きられたらマシな方。
だけどいいの、代わりがいるから。私が死んだら新しい私が“あの方”の役に立つわ……――。
私は窓から雲海を眺めた。
城の直下は断崖で、広く大きな穴が広がっている。
かつてここは湖で、大きな大きな港があったらしい。
港といってもそれは海を行く船の港ではなく、天駆ける空船の港。
そういったもろもろさえ全て消し去る、かつての魔法の恐ろしさに少し身震いをして……。
さらにその先へと目を向ければ、真っ白い雲が海の様に走っている。
だからなに、いつもの景色じゃない――そんなもの。
私は頭を左右に振って、一人溜め息を吐く。
椅子に座り本を読み始めたニックの視線が、こちらを向いた。
あんなヤツと会話なんてしたくはないけれど、ここにいるのは私とニックの二人きり。
そりゃ――首無し騎士を呼んでもいいのだけれど、わざわざ魔力を消費してまで退屈しのぎはしたくない……。
「はぁ〜あ……ねえニック、あの方から連絡は、まだ無いの?」
「無いね。学院も今は夏休みに入ったから、正直どこにいらっしゃるかも分からないし」
「なによ……つまんない」
「いいじゃないか……休暇だと思えばさ」
「嫌よ、あんたと二人だけの休暇なんて。あの方と二人きりだったら、そりゃ嬉しいのだけれど……あっ……」
「――ん、どうしたの、ミリア」
ぼんやりと外を眺めていたら、だいぶ大きくなった炎竜が円を描く様に飛んでいた。たぶんもう、大きさだけなら紅竜に匹敵するだろう。
「炎竜、大きくなったなぁって……」
「確かにね……」
目を凝らすと、少し離れて白い竜と黒い竜も飛んでいる。どちらも以前に捕獲した下位竜だ。
けれど黄竜は白竜に匹敵するほど白く輝いているし、茶竜も黒竜に劣らないほど黒い鱗が光っていた。
「ねえ、ニック! これならもう、三頭とも色竜と言ったっていいわよね!?」
「ああ、そうだね。これもミリアの手柄さ」
ニックも私の横に立ち、目を細めて空を旋回する三頭の竜を見つめていた。
「手柄……ね、でも中途半端よ、失敗だってしているし。だってあの女に邪魔されなければ私達、こんな所に居る必要だってなかったじゃない……! そうよ! キーマやリモルを治める領主になっていたはずなんだからッ!」
「そうかな? 僕はこれで良かったと思うよ。キーマにしたってリモルにしたって、街を治めるとなれば別の苦労がある。その点、ここの方が安全だし静かでさ、ゆっくり休むことだって出来るだろう?」
「そうだけど、それは私が失敗したからで……あの方がどう考えていらっしゃるか……」
「だからさ……あとは青竜をどうにかすれば……」
「それで、許して下さるかしら?」
ニックはニッコリと笑って頷いている。
「ああ。むしろ褒めてくれるさ」
そうか……褒めてくれるなら頑張ろう。
私は足りないあと一色の竜のことを考えて、顎に指を当てた。
でも駄目だ。いくら考えても名案なんて浮かばない。
「……ああもうッ! そんなこと言ったって、青竜はニア・ローランドが手懐けたって言うじゃない! そうなった以上、配下の氷竜を手に入れようったって簡単じゃあ無いのよッ!」
「うん……そのことなんだけどさ。水竜も青竜に進化するらしいんだ」
「水竜? そんなの――どこにいるのよ?」
ニックは広い石畳の部屋を歩き、ひび割れたバルコニーへ出た。
「ミリア、こっちへ来て」
「なによ?」
「いいから、さ」
この男は、たまに何を考えているか分からない時がある。
そんな時は彼の銀色の髪と灰色の目が、神話に出てきそうなくらい綺麗に見えるんだけど……。
だけど基本的に気持ち悪いから、私は頭を振った。こんな男を魅力的に思うなんて、絶対無いんだから。
だけど質問の答を聞いていないので私も渋々、彼の後に付いていき……。
「ほら、下を見てごらん」
ブォオオ――と風の音が聞こえ、目の前の雲が一気に晴れた。その先には一点の曇りも無い青空が広がっている。
そう――ここは地上一万メートルの上空に浮かぶ大陸なのだ。
かつてこの大陸で生まれた高度な魔法文明が、空飛ぶ巨大な艦隊をもって地上への侵略を開始した。
そして地上の人々と戦いを繰り広げ、領土を拡張して王国を築き上げ――……彼等はやがて悪魔と呼ばれたのだ。
なんて――まあ、そんな歴史はどうでもいい。
とにかく悪魔は人間に敗れ、本拠地であった浮遊大陸は破壊し尽くされたのだ。
その結果、この城も放棄されてから既に千年以上の時が流れている。
だから私とニックがこうして隠れ住んでいても、誰一人文句を言わないのだ。
「下って……普通に地上の大陸が見えるだけじゃない」
「あっちかな……南は――……」
バルコニーから眼下を指差すと、ニックが言う。
手前には未だ溶けない雪と思しき、白い稜線の山々が見えた。その先に、ようやく緑と褐色のコントラストが美しい大地がある。方向は南――というが……。
「あっちに魔導王国があってね」
「魔導王国がなによ?」
「うん。魔導王国には大きな湖があってね」
ああ、要領を得ない話し方……イライラしてくるわね。
「ねえニック、話は簡潔にしなさいよねッ! 分かりやすく、短くが鉄則よッ!」
「あ、ああ……ごめん」
「謝らなくていいからッ!」
「つまり魔導王国の大きな湖――エイジス湖に水竜が住み着いているというんだ。これを捕えて進化させれば、僕達の使命も果たせるんじゃあないかと思ってね」
思わず私はニックの両手を握り、ブンブンと上下に振った。
「それよ!」
あの方に任務を与えられてから、もう何年になるだろう?
「色竜を集めるなど、容易いことではない。まだ時間はあるし、他の仕事だってあるのだから……」
いくら“あの方”がそう言って下さっても、不安は尽きなかった。
だって私の代わりなら掃いて捨てるほどいるし、何より寿命の心配だってある。
けれどこれで色竜を全て集められたなら、私は本当の意味であの方の役に立ったということ。
胸が高鳴る――私はニックに言った。
「行くわよ、魔導王国へッ!」
私が指笛で炎竜を呼ぼうとしたところで、不意に冷気が全身を包んだ。
でも決して嫌な冷気じゃあない、これは――……。
冷気は薄い靄を作り、それが徐々に黒く変わっていく。
黒い靄は、その中心を目指して渦を描きながらも広がっていた。
“ヴゥゥウウウウウウン”
空気が震えている。いや、もっと根源的なものが震えているような音。
だけれど私は、これが何かを知っている。転移の魔法だ。そして、この魔法を使う人のことも――……。
私の期待は裏切られず――靄の中から現れたのは“あの方”だった。
私は“あの方”の腕に抱き付き、大声で名前を呼ぶ。
「わぁ! ゲイヴォルグさまッ! 直接いらしてくれたんですねッ!」
「やあ、私のミリア・ランドルフ。元気だったかい?」
ゲイヴォルグさまは優しくギュッとしてくれたあと、頭を撫でてくれた。
それだけでもう、私は最高に幸せな気分になれたのだ。
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