125話 眠っていたことにしますわ
◆
「ティファ――そんな君が大好きだ」
ラファエルの大馬鹿野郎に耳元で囁かれ、思わず背筋がゾクリとしました。
酔っぱらったラファエルを座椅子にして、ちょっとからかってやろうと思っただけですのに……。
「ふぁっ……」
我ながら、間抜けな声が出たものです……。
だけどこの大馬鹿者――さらに畳み掛けてくるじゃありませんか。
「好きだ、ティファ――愛してる」
月明かりの仄かな灯りが私達を照らす中、密室で囁かれる甘い言葉。
同時に注がれる首筋へのキスの嵐。
それはまるで愛情を注射されているかのようで、私の心を甘美な暖かさが満たしていきます。
かつて今のラファエルと同じ様に、私のことを好きだと言ってくれた人がいました。
だけど私は自分の気持ちが分からなくて――好きかもしれないでもだけどどうして……なんて考えて。
結局彼は死んでしまったけれど……もしも生きていてくれたら、きっと気持ちに応えたのに――そんな事ばかり考え後悔する毎日。
たぶんきっと私は一生そうなんだろうなって、思っていたんですよ。もう二度と、男なんて好きになるもんかって。
だけど……。
「好きだ、ティファ――愛してる」
トクンと胸が高鳴って。
でもやっぱりそんな自分を認めることが出来なくて。
「愛してるなんて、簡単に言わないで。わたくし――迷惑ですわ」
「ランドのときも、君はギリギリまで自分の気持ちに気付かなかっただろう?」
自信に満ちたその言い方。
まるで私が、あなたのことを好きみたいじゃあないですか。
だったらランドのことは、今言う必要なんて無いでしょう。
「彼のことは……言わないで……下さい……んっ」
でもね――そうです、私はランドのことが好きになりました。
だけどそんなこと、認められるはずが無かったのです。だって私、男だったのですよ。
彼のことが好きだと認めたら、私は私では無くなってしまうような気がして……。
だから自分の気持ちに気付かなかったんじゃあ無く、気付きたくなかったのです。
ラファエル、あなたにだって言ったでしょう。私は男なんだって。
それなのに、しつこく好きだ好きだと言うなんて、どうかしていますよ。
だいたいラファエル――あなただってあの時はドナのことが好きだったはずでしょう?
それともあなたはもう、ドナのことを忘れてしまったと言うの?
人を好きになったり忘れたりって、そんなに簡単なことなのかしら?
だけどおかしいのは、私の気持ちです。
だって今あなたに『愛してる』って言われて、怒りよりも喜びが勝っている。どうして……。
ああ、そうか。
だってそれはラファエルが――唯一あの日、生き残った私の大切な仲間だからです。
私がそんな彼のことを、嫌いになれる訳が無いじゃあないですか。
あの日から、もうすぐ一年経ちます。
なのに私はランドのことを、ぜんぜん忘れられませんでした。
それどころか毎月、決まった日にち決まった時間に彼を思い出し、自分の復讐心に再び火を灯す……。
もちろんそんなことをしたって、亡くなった人は生き返ったりしませんけどね。
ただ私は恐かったのです。
ランド・ジェイクという人が風化していくことが……何より自分の気持ちが風化してしまうことが。
だけどラファエルに抱きしめられて首筋にキスをされていると、少しだけ気持ちが和らいで……。
あの日のことがあったから今の私がいる、ということが納得できそうになるのです。
だけど、これはいけないことなのです。
だって私達が結ばれることは、ランドやドナを裏切る行為なのだから……。
だから……はやく止めさせなくっちゃ。
なのに声が出せなくて……。
それどころか、こんなに求められることが私――とても嬉しいのです。
だけどダメ、ダメなの。
これ以上、ランドやドナを裏切りたくありません。
心を引き締めて――さあ、早く言いなさいな、私。「ラファエル、止めなさい」って。
だけど考えてみたら、ラファエルは親友です。
そして今日、私はイグニシアが隠し事をしていたことで怒りました。
もちろん、それには色々と事情もありますが……。
逆に私――ラファエルに隠し事をしています。
アイロスとの契約のこと、真実の愛のこと……。
だからもしも彼が私の秘密を知ったら、きっと怒るのでしょうね。
何が親友だ――って。
そう思えば今は――彼のやりたいように、為すがままになってあげてもいいでしょう。
つまりこの行為は、ラファエルに対するご褒美です。
だったら仕方ありません、もう少しこのままでいてあげましょう。
なんて――これが私の免罪符? 自己満足?
もしかしたらこれを隠れ蓑に、私自身がラファエルに惹かれてしまっている?
そんな――バカなこと……。
私は私が分からなくなりました。
これも全部お酒のせい……困りましたね。
困ったら、色々と冷めてきました。
私って、なんて醜いのかしら……。
あっ――ラファエルの手が胸元に伸びてきました。
もう、これ以上はダメです、本当に……馬鹿なのだから。
「……はぁ……こ、これで満足ですか? いいえ、ここまでしたのです、もう満足なさい。これ以上はいくら親友でも、ダ、ダメなのですよ……――」
それから頭も身体も心さえもクラクラするのを我慢して、少しだけラファエルと話していたのですが……限界でした。
話せば話すほど心が掻き乱されて、どうにもなりません。これはもう――眠ったフリをするしかないでしょう。
――パタリ。
ああ、ラファエルってば、ちゃんと紳士ですね。
きちんと私を藁束の上に寝かせてくれました。
スーッ、スーッ。
さ、寝たフリ、寝たフリ――っと。
あれ?
何となく圧迫感がありますよ……。
ラファエルの顔が近づいてくるような気がします。
“トクン、トクン”
何でしょう? 心臓の鼓動が早くなって――私、ドキドキしているのでしょうか……。
こいつ、まさか寝ている私にキスする気じゃあないでしょうね?
だったらここで目を覚まして、ぶん殴ってやろうかしら。
でもでも……そんなことをしたら「何で寝たフリをしたんだ」なんて聞かれたり。
本当にキスするのかしら? 流石にそれは無いですよね?
犯罪ですよ、痴漢ですよ、強制猥褻ですよ。だけどするなら、まあ――……。
とか思っていたら、不意に唇を塞がれてしまいました。
“チュッ――”
これって、これって――あーっ! あーっ! 本当に、あーっ!
私、今――キスされてます! どうしようーッ!
そうそう、こんな時こそ慌てない慌てない、一休み、一休み――してる場合かーッ!
まだキス終らないし、長いですし!
舌の挿入は絶対に許しませんからね! こんちくしょう!
「んっ、ん〜〜」
キスをされたまま、寝苦しいフリをしてみます。
するとラファエルのやつ、「あっ」なんて小さく声を出し、私の頬に軽くキス。
口から頬のコンボなんて、キザな野郎ですね!
だけど口から離れたのを幸い、私は寝返りをうって身体を丸めます。
こうなればもう、キスなんて出来ねぇはず!
ああもうッ! 私はそんな、安い女じゃねぇんですからねッ!
ん……? これってもしかして、ファーストキスでは?
あーっ! あーっ!
でも寝てたからノーカウントッ! 本当は起きてたけど、ノーカウントッ!
◆◆
ベチャベチャと何かが落ちる嫌な音で目を覚ますと、目に飛び込んできたのは真っ青な空でした。
ああ――……そうでした。ここはラファエルが案内された物置小屋で……天井にも大きな穴が開いていたのですね。
“クンクン”
なんだか、汚物の臭いが漂ってきます。
まさか私、昨日飲み過ぎて漏らしちゃったとか?
や ば い。
いや――そんな悪役令嬢ともあろう私が、リリアードの如く脱糞をかますなど有り得ません。
となるとラファエルが飲み過ぎて――なんて笑える事態になっていたり。
ん――そのラファエルはどこでしょう。
そう思って起き上がろうとしたら……。
「うわぁぁぁあああああ!」
なんと私の横にラファエルの顔が!
というか、あれ? 私がラファエルの腕枕で寝ていた? ――というアレですか?
もしかしてこれ、俗に言う「朝チュン」かしら?
「フォォォォォオオオオオオオオオオ!」
「目が――覚めたのかい? ティファ」
おいラファエル、爽やかに笑ってんじゃねぇですよ。
私いま全てを思い出しました。
テメェ昨夜、寝てる私にキスしやがりましたよね!
起きてたから分かってんですよ! ってそれ寝てないな、私!
「やいラファエルッ! 昨日はわたくしに対して――」
ラファエルの襟首を両手で掴み、ガックンガックンと揺さぶり制裁開始。
ラファエルは長い睫毛を上下に動かし目を瞬き、唖然呆然黙然としています。
「な、な、なんだい、ティファ!? 起きるなりいきなり怒ってるなんて!?」
いやまて私。
寝てるフリをしている時にキスされたことを突っ込んだら、実は起きてた事がバレてしまいます。
だったらどうしてキスを受け入れたんだという話になったら、何て答えましょう?
というか何で私、あのときすぐにコイツを弾き飛ばさなかったのか……。
ああ、いけません。顔が真っ赤になってしまいました……あわわわわ。
やっぱりあのキスは知らん顔して、ノーカウントという事にしましょう。
けれどそうしたら今の私が怒る理由、無いじゃあありませんか……。
そんな訳で気を取り直し、ラファエルを解放してやりました。
「ちょっと、朝食が無かったので取り乱しました」
「は、はは……こんな場所だからね」
ラファエルが苦笑して、身を起こしました。
彼は今、半袖のシャツを着ているだけ。
つい先ほどまで、あの腕が私の枕だったなんて……。
あ、そういえばあの臭い。まさかラファエルの腋から、なんてことは……?
ちょっと鼻を彼の腋に近づけて「クンクン、クンクン」
「ティファ、何をしているの?」
「うーん、ここからの臭いでは無いようですね」
顎に指を当て、名探偵よろしく私は推理します。
「だとすると、ワトソン君。ねぇ、あなた――……漏らしたりしていませんか?」
「まさか! 君といるのに漏らしたりなんてする訳ないだろッ! ていうか僕はワトソンじゃあなくラファエルだよッ!?」
「じゃあ、この臭いは一体どこから……?」
「ん? ああ――……この臭いか。これは……確かに酷いね」
ラファエルもクンクンと鼻をヒクつかせて、苦笑しています。
「でしょう? だからあなたが昨日飲み過ぎて、お漏らしでもしたのかと思ったのですけれど」
「まさか。でも、臭いの元なら分かるよ。ほら――ティファ、ちょっとこっちに来てごらん」
言うとラファエルが私の手を引いて、外へと連れ出します。
すると目の前に、積み上げられた汚物の山が広がっていました。
「うえっぷ……」
私は鼻を摘み、顔を背けます。
この男、何てモノを見せるのでしょうか。
「風向きが変わったせいで、臭いが漂ってきたようだね」
鼻の前で手の平をヒラヒラさせているラファエルを促して、私は「離れましょう。鼻が捥げて落ちそうです」と言いました。
慌てていたので私はラファエルと手を繋いだまま、風上へと向かって早足で歩きます。そうすることで、臭いから逃れようと思いました。
そうしたら、皆が私を捜してくれていたのでしょう。私を呼ぶ皆の声が聞こえてきました。
「ティファー」
「お姉ちゃーん!」
「ティファニーさまー!」
「ティファ、何処だ? 返事をし……ろ?」
丁度良いので、私も声がする方向へと足を向けます。
すると建物の間から、私を捜していたであろうイグニシア達が現れて――。
イグニシアが私とラファエルの繋がった手元を見つめ、首を左右に振っています。
それから視線を徐々に上げて私の首元で止まると――ワナワナ唇を震わせて言いました。
「お前等――……昨夜はずっと一緒にいたのか?」
「え、ええ――……まあ、お酒を飲みながら、語り明かしましたの! だってわたくし達、親友ですもの! ズッ友ですし! 誰かさんと違って、隠し事なんかしないのですわッ!」
言いながら、ラファエルをちらり。
本当は彼に隠し事をしていますけれど、今は昨日のイグニシアの言動が悔しくて。
だけどイグニシアったら、変でした。
何故か私の首筋を睨んだままポロリと涙を零し、下唇を噛んだのです。
「親友でズッ友ってのは、随分と色々やるんだな……」
思わず私は首筋に手を当て、それからラファエルを睨みました。まさかコイツ、跡を付けたのでは……?
彼は頭を掻きながら、「ははは、ごめん」と言い……。
「暗がりだったから、その……そんなにくっきり跡が付くとは思わなくて」
その言葉にドッカン爆発する所でしたが、何故か顔がカーッと熱くなって。
思わず私は両手で顔を覆い、赤面したことを隠します。
だけど自分では確認出来ないキスマークを、どう説明すればいいのでしょう。
とにかく私は誤摩化す為、イグニシアに言い募りました。
「こ、これは違います! 物置小屋の中に虫がいたのですわ! そう――ゴミ虫です! 寝ている間に刺されていたのに気がつかなくてッ! だから――」
「もういいよ、ティファ。とりあえず着替えて来いって――朝食を摂ったらラファエルを騎士にしてやるんだろ? お前の……お前だけの騎士に……さ」
「え、ええ――そうですわ。その通りですわね」
イグニシアは頷くと、一人でさっさと戻って行きます。
その背中は近寄り難く、私はボンヤリと見送ることしか出来ませんでした。
ていうか、何ですの。
キスマークがあるからって、最後まで至っているとは限らないし至ってませんし!
だいたい自分だって私に内緒で男と会っていたくせに、私がちょっとラファエルと会っていたら、あんな風に不機嫌になるとか! イグニシアったら意味が分かりません!
そもそもキスマークを知ってる時点で、イグニシアが婚約者と何をしているか怪しいモンですよ!
ぷんすこー!
ちなみにクロエとミズホ、それからわんわんはポカンとしていて、私とイグニシアの会話の内容が分からなかったらしく。
どうやら全員に誤解されるという事態は、何とか回避できたようですね。
と は い え!
キスマークにまでしやがった以上、これはぶっ殺し案件となりました。
「ラファエル〜〜……ここまでやっていいとは、わたくし一言も言っていませんからね?」
「目が……恐いよティファ」
「目が恐いのは生まれつきです、良かったですね。で……遺言があれば聞きますけれど?」
「え……え……僕は今日、君の騎士になるんじゃあ?」
「ええ、そうですわ。だから早速わたくしの為に死になさい――このゴミ虫がッ!」
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