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124話 ラファエル・リット 3-2

 ◆


「まったく――最悪ですわ! 聞いて下さいよ、ラファエル! イグニシアが平民より貴族の肩を持つんですよ! だからなのかクソ兄貴ったら、イグニシアに求婚しやがったのですわ! だけどそしたらね、そしたらね、婚約者がいるっていうじゃありませんの! こんな辛い事ってあります? うわぁぁあああああん!」


 ティファを迎え入れると、彼女はいきなり泣き出した。


「えと……だれに婚約者がいたんだい?」

「イグニシアに決まってるじゃあないですかッ! うわぁぁぁあああん!」


 慌てて僕は彼女の肩を抱き、藁束を纏めてそこへ座って貰う。

 僕は彼女の正面に腰を下ろし――それから話を聞く事にした。


「――そんな訳だから今夜は語り明かしますわよ! わたくし達、親友なんですからねッ! ズッ友のッ!」

「……ズッ友?」


 座ったティファは涙を拭うと、ワインのボトルを取り出した。

 語り明かすと言うが、これは飲み明かす――の間違いじゃないだろうか……。


 それにしても、屋根の割れ目から覗く月明かりに照らされたティファは、本当に綺麗だ。

 赤いドレスが良く似合っていて、纏めた髪に鏤められた宝石よりも、彼女自身の方が輝いている。


「綺麗だ」


 思わず僕は言った。

 だけどティファは動じない。


「当然ですわ」


 僕と彼女は親友で、それは近いけれども谷より深い溝がある。

 この前提がある限り僕がどれほどの語彙を尽くしてみても、彼女の心は掴めない。

 だけれど親友という前提があればこそ、今ここにティファがいるという現実もまた――確かにあるのだ。

 喜びと切なさの二律背反が僕の中で渦巻いて、身体が真っ二つに引き裂かれそうな気持ちになる。


 ともあれ――そんな思いを露程も出さず、僕は彼女に言った。


「まあ――イグニシアは聖王国の姫君だもの――婚約者がいたって不思議は無いよ」


 ジロリ――ティファのブルーサファイヤのような瞳が僕に向けられた。まるで引き絞られた弓矢の様に、緊迫感を漂わせている。

 

「んなこたぁ言われ無くても分かっていますわ。でもね――いるならいるで、わたくしに教えてくれたって良いじゃあありませんの?」

「言う程の事じゃないと、思っていたんじゃないかな?」

「こんな重要なことを?」

「僕にはそれほど重要とは、思えないのだけれど。だってさ、ティファとイグニシアの関係は何?」

「決まっています。そんなの親友ですわ」

「じゃあティファは僕に婚約者がいたとして、こんなに取り乱すかい?」

「そ、それは……取り乱すわけ無いじゃありませんの……」


 キョロキョロと青い瞳を彷徨わせ、口元に手を寄せるティファ。

 僕が肩を竦めて見せると、ティファはワインのボトルに口を付けてグビリ。


「ただまぁ……こうして二人で飲むなんてことは、遠慮しなくちゃいけなくなるのかも知れませんけれど……」


 言い淀んだティファが先ほどまで口を付けていたワインボトルを僕に差し出し、「まあ、飲みなさいな」と言う。ドキリとした。


 ティファは僕を試しているのだろうか?

 これを飲んだら間接キスになる。だけど飲まなければ友情にひびが入るような気がして……。


 しかし僕の悩みなどティファは気にせず、グイグイと瓶を近づけてくる。

 思わず僕の方が彼女から身体を逸らし、頭を左右に振ってしまった。

 

「ちょっ、ちょっと待って。ええと空きっ腹にお酒は悪酔いするからね……先に――そう、先に何か食べ物は……ないかな?」

「空きっ腹? ああ、やっぱり! この家ときたら、本当にあなたの夕食、出さなかったのですわね! まったく酷過ぎますわ!」


 ティファはプリプリと怒って、左手に持っていた袋を開いた。

 中にはパンやチーズ、ジャーキー等があり、一人分の夕食ならば十分に賄えそうだ。

 他にもワインのツマミに出来そうなものが色々と入っていて、本当に彼女が僕と一緒に飲もうとしていたことが伺える。

 

「これを、わざわざ僕に?」

「ええ――当然なのだわ。だってわたくしがあなたを誘ったのだし、それで嫌な思いをさせるなんて真っ平だもの」

「そんな……気にしなくてもいいのに」

「あのね、気にしますわ。お友達なのだし……」

「でも、僕は平民だよ?」

「明日からは貴族でしょう。というか――それ以前の問題です」

「人として、ということかい?」

「ふん――そうですわ。流石にあなただけは、分かっていますわね」


 ティファが持ってきてくれた食事は、本当に美味しかった。

僕が料理の味を褒めると、彼女はショウマ・ユキヒーラという料理人が凄いのだと自慢げに語る。

チーズを片手にニコニコと話すティファは、本当に愛らしい。


 ティファは自分の顔つきが“恐い”だとか“悪役顔”なんて思っているようだけれど、こうして表情をコロコロと変える様を見れば、誰も恐いだなんて思わないだろう。


「ねぇ、ラファエル。さっきからわたくしだけワインを飲んでいますの。おかしいと思いません? いい加減、一人で飲むのは退屈しました。さあ――もうお腹も膨れたでしょう? さっさとあなたも飲みなさいな。そしてわたくしに追いつき、追い越しなさい――ヒック」


 赤ら顔で言うティファは、遠慮がない。

 肩を組んだかと思うと、僕の顔にワインの瓶をグリグリと押し付けてくる。

 少し酒臭い彼女の息が鼻に掛かって、僕は蕩けそうになった。


 ティファからボトルを受け取り、口を付ける。

 感動した。

 間接的だけれど、ティファと初めてキスをしたのだ。


 この気持ちはいったい、何に例えればいいだろう。

 深い滝壺へ飛び込むようであり、同時に天にも昇るようだった。

 そうして僕はティファが口をつけたボトルの先に唇を当て、ワインを飲んで――まるで彼女と一体になったかのような錯覚を味わっている。


 正直言って明日、騎士になる事よりも今現在の方が遥かに嬉しい。

 時間が止まってくれたら、僕はきっと神に快哉を叫ぶだろう。


「ラファエル、なにをニヤニヤしているのです。気持ち悪いですわ」


 ――けれどティファは、相変わらずだった。


「いやぁ……ティファがこうして、ここに来てくれたことが嬉しくてね、つい」


 じっと僕を見るティファの目は、ちょっと不審気だ。

 少し座った彼女の眼が、疑り深く僕を観察している。


「ふぅん……まあ当然でしょうね。友達思いのわたくしに、せいぜい感謝すると良いのですわ」


 どうやらティファは、もう酔ってしまったらしい。上半身を揺らし、フラフラとしている。

 

「ありがとう、ティファ」

「なんれすか、お礼なんて……今日はやけに素直れすね、ラファ――あははは♪」


 嬉しそうに笑い、僕の手から再びボトルを奪うティファ。

 コクコクと喉を鳴らしてワインを飲み、ジャーキーを大量に口の中へと突っ込んだ。

 すでにろれつの回らない口元には、少し零れたワインが垂れている。


「むぐっ、むぐっ……このジャーキー、固いれすわ」

「そうかい?」


 ティファの手からジャーキーを一つ貰い、齧ってみる。

 固いけれど、噛む程に旨味が染み出す良いジャーキーだ。


「ねえ、ラファエル。酷いと思いません? わたくしはイグニシアのことを親友だと思っていたのに、彼女ときたら婚約者がいること――わたくしには関係無いっていったのですわよッ!」


 ティファの目に、みるみる涙が溜まった。酔いのせいか、感情の起伏が激しくなったらしい。

 僕はどうすれば良いか分からず、ティファの隣へ行って肩を抱いてやる。


「関係無い、か。まあ――……普通の友人ならね。誰と結婚しようが余程の事がなければ、口出しはしないけれど」


 ティファは下唇を噛んで頭を振った。納得出来ないようだ。

 彼女の頭を撫でてやると、悔しそうに「うー」と唸る。

 けれどティファは僕の手を振り払おうとしなかった。

 

「関係あるのれすわ。だってイグニシアは、わらくしの嫁なのに……ぐしっ」

「ん――……? いやそれは違うよティファ。ちょっと理屈に合わない」


 思わず、ツッコミを入れた僕を――ティファが三白眼で睨む。

 そして僕の腕の中にあった彼女の頭も、シュババッ――と離れていく。

 しまった。せっかく良い雰囲気になれそうだったのに……。


 きっと僕もワインで酔ったのだろう。それで無用のツッコミを入れてしまった。


「おいラファエルゥゥ〜〜お前は明日からわらくしの騎士になるのれぇすよぉ〜〜! なのに〜〜ご主人さまに逆らおうと言うのれすかぁ〜〜」


 ティファが四つん這いで迫ってきた。

 良い雰囲気からエッチな雰囲気に大転換だ。

 天は未だ我を見放さず!


 ティファのドレスは胸元が大きく空いているから、谷間が暴力的に自己を主張している。

 例えるならば、これは牛――ああああ、違うぞ、ラファエル! 何を考えているんだ、僕は!

 ティファは牛じゃない! だけど牛ならおっぱいを絞れて……うわあああああ!

 しかもティファ、酔っぱらっているから四つん這いのまま転んで、僕の股間に顔を埋めてしまった。


「うぐっ!」


 突如として下半身に走る激痛――だけど同時に熱い吐息が僕の股間を包み込む。

 ああ、痛いのに気持ちいい。

 酒で感覚が鈍っているはずなのに、下半身だけがやけに敏感だ。


「あふぅっ……痛いですわぁ……」


 ティファの頬が股間を擦り、熱いリビドーがドクンと脈打って。

 そのまま這い上がる様に、ティファが僕の肩に手を乗せた。

 

「あはははは!」


 何かがツボだったらしい……彼女は笑いながら僕を背もたれにして、再び飲酒。

 いつの間にか僕は、ティファの座椅子になっていた。

 動けない――というか動きたく無い。


 ティファのお尻が僕の股間に当たっていて――彼女が笑うたびにモゾモゾと刺激されて……。

 ああああ……一体全体、今ここで何が起こっているのだろう……。

 明日世界は滅ぶのだろうか――否――滅びても一辺の悔いとて無いさ!

 けれど酔っぱらったティファは、自分が話したいことに夢中なのだろう。

 彼女は僕の股間の熱膨張にも気付かず、言葉をどんどん紡いでいく。


「あのね、あのね……イグニシアがね、隠そうとしていることなら聞きたいと思わないのですわ。婚約が幸せに繋がるのなら、悲しいけれど祝いもしましょう。だけどね――あの子、ずっと辛そうな顔をしていますのよ……そんなこと、わたくしはお見通しですの。

 なのに、なのにわたくし、何の力にもなれなくて……むしろこんなところに連れてきて、政治の話なんか聞かされて……そうかと思えばラファエル――あなたはこんな所に入れられちゃって……ぐすんっ」


 手の甲を瞼に当てて、ティファが涙を拭っている。

 ああ、僕は最低だ。

 今のティファは、友人を助けたくて、だけど助けられずに仲違いをして――。

 それでも僕がお腹を空かせているだろうからと、ここまで来てくれたというのに……。


 こんなとき、カッコいい男ならどうするだろう――。

 ああ、そうだ。ランド――お前ならこんなとき、どうする?

 分かっているよ――考えるまでもないことさ。


 ティファのうなじからは、仄かに甘い香水の香りが漂ってくる。

 僕はそのまま後ろからティファを抱きしめ――彼女の首筋に強くキスをした。


「ティファ――そんな君が大好きだ」

「ふぁっ……」


 ティファから空気が漏れる様な声がして――。

 だんだんと気持ちが抑えられなくなってくる。

 でも、これでいいんだ。

 男なら、自分の気持ちを正直に言う。

 少なくともランドだったら、そうしたはずだ。


「好きだ、ティファ――愛してる」

「愛してるなんて、簡単に言わないで。わたくし――迷惑ですわ」

「ランドのときも、君はギリギリまで自分の気持ちに気付かなかっただろう?」

「彼のことは……言わないで……下さい……んっ」


 幾度もティファの首筋にキスをして、キスをして……。

 不思議とティファは、抵抗しなかった。

 僕はティファが受け入れてくれたと思った――だから嬉しくて彼女の身体をぐっと掴み、抱きしめたまま正面を向かせると……。

 ティファは困った様な笑みを浮かべて、こう言った。


「……はぁ……こ、これで満足ですか? いいえ、ここまでしたのです、もう満足なさい。これ以上はいくら親友でも、ダ、ダメなのですよ……――」


 彼女の言葉で、酔いが一気に冷めた。


「そんな言い方、無いだろう。まるで我慢をしていたみたいじゃあないか。というか――嫌なら嫌と言ってくれ。そうしたら、無理矢理なんてしないから……」

「い、嫌だなんて。これはお礼でもあるのだし――言えないじゃあないですか……」

「お礼?」

「いろいろとわたくしの我が侭を手伝ってくれたり……今回だって騎士になってわたくしに仕えると言ってくれたり」

「はぁ……そんな理由で……受け入れてくれたのか……ごめん。僕が悪かった」


 ティファは首を傾げ、眉根を寄せていた。


「あ、謝らないで下さい」

「――僕は、君の気持ちに付け込んだのかも知れない」

「いいえ、その……あなたのことなんてちっとも少しも全然好きにはなっていないのですけれど、あなたが好き好き五月蝿いから――この程度ならさせてあげてもいいかなぁって――それだけですわ! そう、つまりこれはご褒美ですの! だからそれはそれで、気になさらないで良いのです! 悪くはないのですからッ!」

「――それってさ、僕はまた、フラれたってことでしょう?」

「振ったとか振られたとか、わたくし達は親友でしょう。そういう話になること自体がおかしいのです。でも――」

「でも?」

「な、何でもありませんわ……はぁ――……」


 ティファが熱い吐息を漏らしている。

 潤んだ瞳で僕を見つめあと、慌てて目を逸らすと彼女は口を閉ざしてしまった。


「でも」とは何だろう……?


 彼女の頬が赤くなっているのは、ワインのせいだけだろうか。

 何となく、そうは思えなかった。

 もしかしてティファは今、揺れているのだろうか?


「確かめたい」


 唐突にそう思い、僕は彼女をもう一度抱きしめた。

 その瞬間――ティファはカクンと首を落とし。


「くぅー……――」


 眠りに落ちて……。


「はぁ……ティファ。ここで眠るなんてズルいよ……」


 僕はティファを藁の上に横たえ、残っていたワインを呷る。

 二本あったワインも、残り少なかった。


 今日は間違い無く、人生で一番ティファに近づけた日だと思う。

 けれどそれを喜ぶべきかは、全く分からなかった。


 彼女の言葉通りに受け取るなら、僕達の仲は親友のままで。

 けれど親友の僕があまりにも求めるから、首筋にするキス位は許してやった――と言っているわけで。


 うーん……。


 何だか、だんだんとハラが立ってきた。

 そんなの、馬鹿にしすぎじゃあないか……。

 悔しい。


 悔しいけれど規則正しい寝息を立てるティファの顔は、誰よりも綺麗で。

 気がつけば僕はその唇に、そっと自分の唇を近づけていた。

 眠っている間にキスするなんて反則だけれど、親友という立ち位置を崩さない彼女の唇は、こうでもしないと奪えない。

 ましてや僕は騎士になってしまえば、絶対の忠誠が求められるのだ。

 だったら――二度とこんな機会は巡ってこないだろう。

 

 トクン――……。


 心臓の鼓動が聞こえる。

 ティファのだろうか――バカな。眠っているティファの心臓が、高鳴るはずなんて無い。


 生涯最初で最後かもしれないけれど――僕とティファの唇は、こうして重なった。

お読み頂き、ありがとうございます。


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