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122話 飲み明かしますわ

 

 ◆


 イグニシアの発言に気を良くしたのは、私の隣に座るイリスラでした。


「イグニシアさまの仰る通り――いやあ、まったく我が妹ながら道理を弁えぬ者で困っておりました。ですがあなたがコレの学友として学院にいらっしゃるのなら、兄としては安心です」


「コレ」と言った時にイリスラが私の頬をグニグニと突つきやがりまして。私の怒りが頂点に達しエクスプロージョンするところだったのですが、幸いと言いますか――ちょうど次の料理が運ばれてきたのです。


 冷製クリームスープ。


 夏の暑さを凌ぐには最適な逸品ですね。

 クライン家はろくでもない場所ですがシェフ達が一流なので、食に困ることはありません。

 たしか総料理長の名前はショウマ・ユキヒーラ。

 どこかで聞いたことがあるような名前ですが、彼は数々の料理人達を倒して現在の地位を得た、天才料理人です。


 彼の特製クリームスープも、そりゃあもう絶品でした。

 冷たいコーンポタージュに柔らかなクリームを垂らし、具は塩味と甘味の絶妙なハーモニーを醸し出す鴨の肉。

 それを柔らかく包み込むのは厳選された肉や野菜から取ったであろうブイヨンで、これがしっかりとした旨味を舌の上で演出しています。


「はぁ、美味しい」


 瞬く間にスープを飲み干して、ホッと一息。

 

「ティファは、こんなに美味しい料理を毎日食べていたんだな」

「ん?」


 イグニシアがにこやかに私を見つめ、スープを口に含んでいます。

 どうやら私が食べ物によって軟化したと思ったのでしょう。彼女は続けて言いました。

 

「おれ――いや――私の家では毒味役が十人もいてな……暖かいモノは冷めてから、冷たいものは温くなってから出されるのが常だった。だからクライン家が羨ましいよ」


 どういうつもりか知りませんが、イグニシアはクライン家に媚びているようです。

 というか、この料理が美味しいのはショウマ・ユキヒーラの腕のお陰であって、クライン家に帰するものではありません。


 私はナプキンで口元を拭い、答えました。


「そりゃ、聖王国と言えばケーニヒス随一の伝統ある家柄。それに比べてクライン公爵家なんて、武力で成り上がった新参者ですし、言ってしまえば軍事国家の上将軍家、ゴールドタイガーと何ら変わりませんわ。

 となれば蛮族の如く暖かいモノは暖かく、冷たいモノは冷たく食べたいだけのこと。毒味という概念すら未だ備わらぬ、地方の田舎貴族に過ぎないのです」


 これに反応したのが、アルフレッド・クラインです。

 彼は眉をつり上げ、声を低めて言いました。不快感を表しているのでしょう。

 しかしイグニシアの手前――私を窘める――という態度を崩しませんでした。


「ティファニー……――栄えある公爵家である我が家と、貴族とはいえ獣人の家を一緒にしてはいかん」

「ふぅん――お父さまは未だに獣人を差別なさっているのですわね?」

「そう言うが、ティファニー。お前とて生徒会で、ヴァルキリアの獣人と揉めたのだろう? そのお前が、まさか我が家とかの国の獣人を同列に語るとはな……」


 なんと――この男、私の学院での行動を知っていたのですか。

 これは油断しました。

 ……と、ここで魚料理が来ましたね。うわぁ〜〜美味しそう。


「――まあ、そんなことは、どうでも良いのですわ」


 もうね、これ以上話してもきっとイライラが募るだけ。

 だったら料理に舌鼓でも打っていた方が、幾分かマシというものです。

 神経を目の前の料理に集中――集中――っと。


 ――――


「あはは――イリスラさまは女を褒めるのが、とてもお上手です」

「そんなことはありませんよ、イグニシアさま。あなたが本当に美しい女性だから、私は本心を申しているだけのこと」

「いえ、普段は剣ばかりを振っていますもの。きっと学院にこられたら、そんな私の姿にイリスラさまは、幻滅なさいますに違いありません」

「それもまた、魅力的でしょう。むしろ、ぜひ見てみたいものです」

「そのようなおっしゃりよう……照れてしまいます」


 ぬおー!

 メインの肉料理を食べてたら、いつの間にかクソ兄貴がイグニシアを口説いてたー!

 事故です、事故が起こっていました。


 私、もっきゅもっきゅ食べている場合じゃありません。

 ここは何とか、彼等の邪魔をしなければ――。


「ねえ、イグニシア――あなた、どんな男性が好みですの?」

「あ――え? ティファ……――いきなり、なに?」


 そう、イグニシアは極度の潔癖性。ですから露骨に男の話を出せば、イラつくか話題を変えるかするはずです。

 だと思ったのですが――イグニシアったら中空を見つめ、手を止めました。考える仕草を見せています。


「高潔な魂を持っていれば――まぁ、男性に限定したものではないけれど……私が好きになる方は、つまりそういう方だ」


 私の目をじっと見て、イグニシアが答えました。

 ほんのり頬を赤く染めたイグニシアは、何だか可愛くて――。


「そ、そうですのね……」


 思わず私が目を逸らしてしまいました。

 隣では、バカ兄が大きく頷いています。


「なるほど、なるほど。やはり貴族とは高潔な魂の持ち主でなければならぬ――だからこそイグニシアさまは、そのような精神性を求められるのですね?」

「え、ええ――まぁ、そういうことです」

「やはり我々は、気が合うようだ」

「はは――ティファニーさまの兄君に気に入って頂けたなら、私としても望外の喜びです」


 その後――イグニシアとイリスラは妙に話があったのか、あれやらこれやらと話を続けていました。

 何となく私が口を挟める雰囲気でも無くなって――何だかなぁと思っていたら……。

 なんと公爵夫人がイグニシアに爆弾を投下しました。


「イリスラ殿もすっかりイグニシアさまを気に入ったようで、何よりですね」

「私を? あ、いえ――恐縮です」

「イグニシアさまは、どうでしょう? イリスラをどう思われますか?」

「どうと申されても――素敵な殿方だと思いますが」

「あら、まぁ! それは良うございましたわ! どうかしら、イグニシアさまさえ良ければ、将来、我が家に嫁ぐというのは?」

「へ?」

「いえ――今すぐに答えが欲しいという話で無くてね、二人の仲が進展したら――ということで良いのだけれど」

「私と――……イリスラさまの仲が進展?」


 鳩がマシンガンを喰らったような表情を浮かべたイグニシアは、即死どころか跡形もありません。

 私も流れ弾に当たったようで、ポカーンとしてしまいます。

 そこに大鑑巨砲主義のアルフレッド・クラインが乗っかって、主砲を斉射。

 

「そうだな……政略としても聖王国と我がクライン公国が姻戚となれば、大変な意義を持つ。その上二人が想い合っているなら二国の繋がりは、より強固なものとなるであろう。何より次代のクライン家に、聖王家の血が交わるなら――それは大変に目出たいことだ! うわっはっはっはっは!」


 どかーん!


 まあ待て、髭モジャ公爵よ。

 まさかこんな話に、イグニシアが乗る訳が無いでしょう。


 あれ――? でも……。


 ねぇ、イグニシア――どうして俯いちゃって、モジモジとしていますの?

 もしかしてだけど、もしかしてだけど……イリスラなんかを気に入っちゃいましたか?


「あ、その……」


 イグニシアが顔を赤くしつつも、何かを言おうとしています。

 まさか前向きに検討するとか、そんなことを言うんじゃあ無いでしょうね。

 そんな時はあなた――全力で気絶させますわよ!

 さっきからあなた、妙に貴族ぶってるから私、腹が立っていますしね!


 けれど何かを言おうとするイグニシアを、アルフレッドが手を振って遮りました。


「なに、大丈夫。今すぐの答えなど、流石に望んではおりませぬ。国へ戻られ聖王陛下ともよくご相談の上、お返事を下されば良いのです。とはいえ、な――イリスラ? お前はイグニシアさまを妻に迎えること、異存はあるまい?」

「父上――まさか、そのような。もしもイグニシアさまを妻に迎えること叶えば、私はケーニヒス随一の果報者! 元より良縁の無き身なれば、願っても無い光栄に存じます!」


 うっわ……赤毛の父と子がウンウンと頷き合っています。イラつきますね……。

 イリスラに良縁が無いのは、単にモテないだけだろーと思うんですが。

 ここでようやくイグニシアが顔を上げて、頬を指で掻きながら言葉を発しました。


「お、お申し出は大変有り難いのですが、実は私――婚約者がおりまして……」


 ぬあああああんと!?

 イグニシアも爆弾を持っていたようです。

 思わず私、食後のコーヒーを吹き出す所でした。

 

「ほ、本当ですか、イグニシア?」


 私の問いに、イグニシアは小さく頷いて。


「うむ。宰相の息子で――学院にも在籍しているのだが……スイフト・ムーアという男だ」

「なんと……」


 兄が額に手を当て、項垂れています。

 私も何だか力が抜けて、呆然としてしまいました。


「その様な相手がいたなんて……というか今まで――どうしてわたくしに言ってくれなかったのです?」

「それは――ティファには関係無いことだし……」

「関係無いって、あなた……もしかして……休日の度に外出していたのって……」

「うん、まあ――外で彼と会っていた。あまり目立ちたく無かったし、ティファに知られたくも無かったから……」


 ああ、そうですか。

 親友だと思っていたのは、私だけだったのですね……。

 私に隠して、こそこそと恋人と逢瀬を重ねていたなんて……。

 いいんですよ、しょせん女の友情なんて――男の前では紙切れ同然。

 破れたらゴミ箱にでもポイして下さいな。


 だけど、はぁ〜あ……何だか私、ヤル気が根こそぎ持っていかれた感じです。

 もう、こんな場所には一秒だって居たくありませんね……。


「……ごちそうさま。美味しかったとショーマ・ユキヒーラに伝えて下さい」


 私はフラリと席を立ち、食堂を出ました。

 後ろからアルフレッドやイリスラが「戻れ!」などと言っていましたが、公爵夫人の一声「放っておきなさい」という言葉で私は解放されて……。

 

「ティファ……――」


 イグニシアが呼ぶ声も聞こえましたけど、でもねぇ……。

 所詮彼女は、私と違う人種なのですよ。

 婚約者もいるし、イリスラの相手も丁寧にこなす。

 もしも婚約者がいなかったら、イグニシアはイリスラの妻になったのでしょうか?


 まあ――王族の女も貴族の女も基本は政略の道具。

 となれば、そういった未来にも疑問を持つ事は無いでしょう。

 

 この夜、私は改めてイグニシアが王族であることを認識しました。

 つまり私と彼女の間には、決して埋まらないであろう価値観の溝が存在することを理解したのです。


 結局のところ私の価値観というのは貧民として育ったティファニー・ミールと、その中に埋もれていた日本人の集合体。こんなものをこの世界で共有出来る存在なんて、いないのかも知れませんね。


 ただ、もしかしたら分かってくれるかも知れない――なんて希望を僅かでも抱ける人がいるとしたら……それはこの世界における本来の主人公。

 

 それはつまり――ラファエル・リットだけでしょう。


 だってアイツは平民として生まれ、やがては世界を制する君主の夫になる男。

 最底辺の価値観を持ちながら、彼は最高の地位に昇るのです。

 だったらそれは、今の私と価値観が近くたって当然でしょう。


 でもアイツは――……。

 だけど、話してみようかな――……。

 うーん……というか、アイツは何処にいるのかしら?


「はぁ」


 食堂を出て溜め息を吐きながら廊下を歩き、クロエとミズホの為に用意された部屋に入りました。

 そこにはわんわんもいて、三人でテーブルを囲み食事を摂ってます。


「あら、ティファ。もう晩餐会は終ったの?」

 

 クロエが立ち上がって、もう一つ椅子を用意してくれました。

 だけど、ここにはラファエルの姿がありません。いったい彼は、どこに行ったのでしょう?

 

 私は椅子に座ることなく、彼女達に聞きました。


「終ったというか――出てきたというか……ねぇ、ラファエルはどこですか?」


 三人は顔を見合わせ、「さぁ?」と首を傾げます。

 それからわんわんが「あっ!」と言って人差し指を立てました。


「なんでも平民はこっちだって、お城の奴隷に案内されていましたよ!」

「奴隷に? 平民だからと?」

「はい。それで俺達と引き離されて――」


 そんな物言いのわんわんに、イラッとして。


「ねぇ、わんわん、あなたねぇ! なんで奴隷の言うがまま、ラファエルを渡してしまいましたの!?」

「え、でも――お城のルールかと思ったので……逆らったらティファニーさまにご迷惑が掛かるからって、ラファエルも言ってたし……」

「あああああぁぁ……もういいですッ! わたくし、ラファエルを探してきますわッ!」

「あ、じゃあ俺も――」

「あなたはいいです! 仲間が一人だけ別の場所に連れて行かれるのを黙って見ているなんて、そんな薄情な犬だとは思いませんでしたわッ!」

「あの――俺、狼なんですけど――……」

「お黙りッ!」


 私は部屋を出て、それから――厨房へ向かいました。

 どうせ我が家のこと、平民に食べさせる食事など無いとかなんとか言って、ラファエルには何も出していない気がします。

 

 厨房に入ると、ショウマ・ユキヒーラが「お粗末!」とか言っていました。

 だから彼に相談して、お弁当になるような料理を色々と袋に詰めてもらい――。


 はぁ……――さっきのイグニシアのことを思うと――ぐしっ……涙が出てきて……。

 そうだ。こんな時は親友と飲み明かすって、相場が決まっているのですよ。

 そもそも、ちょっとアイツと話したいなって思っていたのですし。


 ショウマに事情を話すと、彼は快くワインを二本くれました。


「どうせ公爵さまのワインだ、おあがりよッ!」

「恩に着ますわ、ショウマ!」


 こうして私はワインと食事、それからツマミを持って、ラファエルが案内された場所を探したのです。

 そして見つけた先は、なんと薄汚い物置小屋の中でした……。

お読み頂き、ありがとうございます。


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