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119話 イグニシア・シーラ・クレイトス

 ◆


 夏休み前、最後の休日――おれは会いたくも無いヤツと学院の外で会っていた。

 ティファに教えて貰った“爽やかな光(フレシャスライヒ)”という喫茶店で、テーブルを挟んで目の前に座る男がニコニコと笑っている。


 コイツは饒舌だった。

 さっきから、ひっきりなしに喋っている。

 今まで適当に相槌を打っていたけれど、流石に我慢の限界だった。

 はやく会話を打ち切って、さっさと寮に帰りたい。


 だいたい何で貴重な休みを、好きでもないヤツと過ごさなきゃならないんだ。

 相手がティファだったら何時間一緒にいても苦痛じゃないのに……。

 って、おれは一体……何を考えてんだ?

 そんな風に上の空、テーブルに手を乗せボンヤリとしていたら、目の前の男がおれの指先をそっと撫でた。


 うわ、気持ち悪ッ!

 慌てて手を引っ込めると、おれは男を睨んだ。


「やめろ! 気持ち悪いッ!」


 嫌悪感で目に涙が溜まり、おぞましくて鳥肌が立った。


「国に帰れば私達は夫婦になるのですから、そう邪険になさらなくとも良いでしょう」

「親同士が決めた婚約だし、好きで夫婦になる訳でも無い。だったら仲良くする理由なんて無いだろうがッ!」

「だからと言って反目する理由もありません。違いますか?」

「分かっているから、こうして会っている……それ以上を求めるな……」


 結婚は王族の仕事だ。父がそうせよと言うのなら、絶対に従わなければならない。 

 しかし、それはやがて目の前の男に身を委ねるということで……考えるだけで苦痛だった。

 下唇を噛んで胃から込み上げる不快感を麻痺させようにも、原因となる現実が網膜に映り笑っている。

 まさかこんなことで、生まれの不運を呪う日が来るとは思わなかった。


「まあまあ、そう仰らずに。ここのケーキは美味しいと評判ですから、どうぞ。私としては少しでも姫の心に近づきたくありますので、ね」

「この店の評判なら知ってる。たまにティファがケーキを買ってきてくれるから……」

「やれやれ……またティファニー・クラインですか。まあいい――でしたらお好きなハズでしょう? なのに何故、お食べにならないのですか?」


 おれは目の前の冷めた紅茶を見つめ、軽く溜め息を吐いた。チーズケーキも手つかずのままだ。

 頬杖をついて窓の外を見れば、燦々と降り注ぐ陽光が街路に反射している。

 店の中は風の魔法で冷やしてあるが、外に出たらかなり暑いのだろう。


 きっと帰省する頃には、もっと暑いに違いない。

 それなのにおれは、この男と二週間も同じ馬車に乗って国に帰らなければならないとは……。

 考えれば考えるほど、吐き気が込み上げてくる。何かを食べたり飲んだりする気になど、なるものか。

 自然、溜め息が出た。

 

「姫――何か心配事でも?」


 目の前の男が身を乗り出して、心配気に見つめている。


「ふん……」


 この男の名はスイフト・ムーア。新たに我が国の宰相となった男の息子だ。

 ムーア家はもともと名門の家柄で、スイフトは今年ケーニヒス学院に入学してきた。

 成績も優秀らしく、どこかのクラスで委員をやっている。

 まあ……興味が無いので、どのクラスかは知らないけれど。


 ちなみに我が国の宰相は代々ムーア家かシュテッペンのカラコルム家が主に排出しているのだが――去年のことがあってから、カラコルム家は没落の一途を辿っている。従って今後、暫くの間はムーア家が宰相職を独占することだろう。


 まあ、それも当然か。

 

 先の宰相シュテッペン・カラコルムが、我が国の宝である“破竜の剣”を持ち出したのだ。本来ならば一族が全員処刑される程の大罪である。

 けれどカラコルムは家名の存続を許された。

 理由は様々あるようだけれど、主な理由は二つ。


 一つはシュテッペンがエルフであり、彼の血族を処刑した場合エルフの国――即ちロムルスとの関係悪化を招く恐れがあったこと。

 それからムーア家の援助があったから――という話だ。


 それにカラコルム家とムーア家は、王家の分家として始まった公爵家。

 以前は犬猿の仲だと噂されていたが、それでも王家の屋台骨には違いない。

 結果としてムーア家に助けられたカラコルム家は、その恩義を返そうとしているのだろう。

 だからムーア家がおれを嫁に迎えたいと言い出した時、賛成した。


 流石に王家と云えどもムーアとカラコルムの二家が結託すれば、無碍には出来ない。

 それだけではなく――王家としても増大するムーア家の力を警戒したのだろう。

 おれを嫁に出す事で、結びつきを強化しようと考えたらしい。

 

 こうしておれとスイフトの結婚話が、真しやかに持ち上がったのだ。

 そんな最中、スイフトは昔からおれに憧れていた――などと言って父上やムーア当主の機嫌をとったらしい。

 となればもはや両家に反対する者はおらず、おれの意思を無視して話が纏まってしまった。

 結果――去年の末には正式に婚約が成立し、現在に至る――という次第。

 

 もちろん、こんな話をティファに出来るはずもなく……。

 だからスイフトに会う時は、必ず学院の外で――と決めていた。

 それをコイツはどういう訳か勘違いして、おれがデートを楽しみにしていると思っている。

 正直言って、おれには苦痛でしか無い時間なのだが……。


「別に――何でもない。で、今日呼び出した理由は何だ? なるべく早く寮に戻って、予習の一つでもしたいのだがな……」

「理由が無ければ、会っては頂けませんかな?」

「……理由も無しに会うほど、おれ達は仲良しじゃあないだろ」


 スイフトが両手を広げ、苦笑している。

 それから仕方なく――といった口調で語り始めた。


「まあ、ありますよ……理由。実はですね――来週には夏休みが始まるので、国へ帰る方法を相談しようと思いまして」

「は? 馬車で二週間。立ち寄る街は、テーベ、リベルタ、クリアミハタ、イペリナラ、トラバーオ。去年と同じで良かろう。竜を手配してくれたら、その方が助かるがな」


 スイフトは茶色の髪をポリポリと掻いて、内心の読めない笑みを浮かべている。 

 

 この男……見た目だけで言えば、いい男の部類に入るのだろう。

 優しそうな顔とサラサラの髪質。線は細いが引き締まった肉体は剣士と言うに相応しく、軍師スキルも持っている。

 身長もそれなりに高いし、ラファエルと並んだって見劣りしないはずだ。


 だからなのかスイフトは、おれがこの婚約を喜んでいると思って疑いもしない。

 ことあるごとに近寄ってくるし、触ろうとする。

 おれとしては極力避けたいので、ひたすら風紀委員の仕事に邁進する日々だった。


「そのルートも考えてはいるのですが……」

「だったら、相談するまでもないだろう」


 そう言っておれが立ち上がろうとしたら、ギュッと手を握ってスイフトが首を振る。


「お待ち下さい」


 ああ、気持ち悪い。

 こんな男とおれは、一生暮らすのか……?

 いや……これも王族の務めだ。仕方が無い。


 嫌悪感を隠し、手を払って再び椅子に座った。


「せっかくの長い休みですから、リモルやルーヴェへ寄って行きませんか?」

「……去年、魔将が現れた場所か。研究でもしようと?」

「嫌だなぁ、まさかですよ。ルーヴェには海があるし、リモルには山がある。つまり――夏のバカンスをしましょうと。夫婦になる前に、きちんと二人だけの思い出を作っておきたいと思いましてね!」

「おい――去年リモルやルーヴェでは、多くの人々が死んでいる。その場所でバカンスだと? ましてやリモルでは、ウチの教師や生徒も犠牲になっているんだぞ」

「……弱者は、死んでも仕方が無いでしょう? あは、あはは……」

「なんだと? お前……」


 ああ、腹立たしい。

 こんなヤツとおれは、本当に結婚しなきゃいけないのか?


「もっとも、これは相談というより確認です。なにせ、国王陛下にも許可を貰ってますからね。あはははは!」


 大きく口を開き、目を細めて笑うスイフト。その目がおれの胸元に注がれている。

 ちらりと視線を下げれば、おれは今、胸元が大きく開いたシャツを着ていた。

 ボタンも二つほど開けている。

 なんというか、出かける前にティファが「谷間が見たいですわ!」と恥ずかしいことを言ったせいだ。忘れていた……。


 ティファ……。

 あいつ――あろう事がおれが谷間を見せなかったら、廊下に寝転んでジタバタと駄々をこねたからな。


「見ーたーいー! イグニシアの胸の谷間が見ーたーいーでーすーわー!」


 とかって。

 幼児か! と思ったが……実はたまらなく可愛かった……ハァハァ……。

 

 そんなことはいい。

 問題は、目の前の男だ。

 正直、もう我慢出来ない。

 おれは席を立ち、スイフトを一人残して店を出た。

 店員に金を払うとき、スイフトが追いすがってきたが蹴飛ばしてやった。


「ま、待ちなさい、イグニシア!」

「お前に呼び捨てにされる筋合いなど、無いッ!」


 ああ、もう。

 こんな男と結婚するくらいなら、聖王国なんて出て行ってやる。二度と帰るものか!

 しかし、出て行く理由はどうする?

 

 そうだ――破竜の剣を探そう。

 あれは国宝。それを探すと言えば、結婚せずに済むかもしれない。

 実際、王国に破竜の剣は不可欠なのだから。


 それに、シュテッペン――じいが最後に残した「世界の成り立ちを知りたかった」という言葉も気になる。

 “破竜の剣”が“世界の成り立ち”に関わっているのか、それとも“破竜の剣”を奪ったヤツ等が“世界の成り立ち”を知っていたのか。


 とはいえ結局、一度は国へ帰らなければならないだろうな……。


 ああ、やっぱり気が重い。


 ◆◆


 色々考え込んだせいか、昨日はまったく眠れなかった。

 夏休み前、最後の週だから気合いを入れようと思っていたのに……。

 

 朝――教室に入ると、昨日の気持ちはどこへやら。おれは真っ先に机へ突っ伏した。

 国を出る事なんて出来ないし、夏休みだってスイフトと一緒に帰る羽目になるのだろう。

 結局のところおれは、意思が弱い。だから王族の責務から逃れるなんて、出来っこないのだ。


「はぁ〜〜……」


 思わず大きな溜め息が出た。

 そこに、朝から騒々しいヤツが現れて……。


「あ! 休み明けで何を疲れ果てているのですか! しかもいきなり寝ようだなんてイグニシア、本当にあなたはたるんでいますわねッ! そんなことでは将来、だるんと垂れ下がったおっぱいになりますわよッ! あ、まさかあなた! それはそれで、需要があるとか思っているのでは!? うわぁぁ……最っ低ですわ!」

「最低なのはお前だろ、ティファ……ったく、五月蝿いな」


 眠い目を擦って起き上がり、腰に手を当て頬を膨らませたティファを見上げる。

 相変わらずキラキラしてんな……可愛いし……。


「あら、五月蝿いだなんて酷い!」

「あー、そうか? じゃあなんて言えばいい?」

「うーん? おはようございます、ティファニーさま、かしら? ほらほら、お日様が眩しいからって、そんなに目を細めていないでッ!」


 首を傾げて悩むティファニーは、青い瞳を斜め上へと向けていた。それからビシリとおれを指差し、巻くし立てる。 

 切れ長の青い瞳は絶対零度の冷たさを漂わせているのに、言動の暖かみがそれを中和して。

 朝日を浴びてキラキラと輝く髪が、千年を生きるエルフ以上に神々しい。


 なあ、ティファニー。

 おれが目を細めてしまう理由――それはな、朝日が眩しいからだけじゃあないんだぞ……。


「昨日、あんまり寝てないんだ。それでさ……」

「あら、まあ……ねえ、そんなことよりイグニシア! 実はわたくし、相談がありますの!」

「だから何だよ、朝っぱらから……寝てないって言ってるのに」

「いえ、もう――相談というより、これは命令なのですけれど」


 酷い前置きだ……しかもおれの話をまったく聞いてない……。

 なのにおれは、コイツに命令されることが少しだけ嬉くて。

 だけど悟られたくない、複雑な気持ち。


「あ〜夏休みの宿題なら、自分でやれよ?」

「ち、違います! そういった話ではありませんの!」

「じゃ、なんだよ?」

「あのですね、今年の夏休みですけれど、一緒に魔導王国へ行きません? なんだかセフィロニアが、寂しくって死んじゃう病に罹患したそうですの。ですから来てくれ来てくれと、しつこいんですわ」

「死なせとけよ、イケメンなんて」

「その意見には同意しますけれども、そうではなくって……なんでも魔導王国には素敵な湖があって、楽しく泳げるらしいですわ」

「ふぅん」

「それに魔導王国の有名な浮遊城、見てみたいと思いません? バルスって言ったら崩れるかしら? 人間がゴミのようですもの! ねえねえ、イグニシア。わたくしと一緒に思い出作り、魔導王国に行きましょう! だからわたくしを大佐と呼びなさいな――目が、目がぁぁああ!」

「いやそんな魔法で崩れたら困るし人間はゴミじゃあ無い。それからどうしてお前は大佐になり、目に何があった?」


 相変わらずクルクル巻き毛の金髪で、肩で風を切るおれの大親友。

 聖女と呼ばれているくせに、誰より怠惰で卑怯で暴力的。

 絶世の美貌は他の追随を許さず、なのに変なところで間が抜けている――。


 今だって言ってることもやってる事もメチャクチャだ。

 でもそんなこと、おれにとってはティファニー・クラインが世界一可愛ってことの証明にしかならない。だから思わず、笑みが零れた。


「――そんなの全部、どうでもいいじゃありませんか」

「うん。そんなの全部、お前が言ったことだしやったことだぞ」

「――いいんですよ。だって暗い顔をしていたあなたが、笑顔になったのですから。ねえほらイグニシア、だから一緒に行きましょうよ。素敵なメロンパンだってあげますから」


 中腰で媚びるように笑顔を見せて、おれの顔を覗くティファニー。

 おれは目を逸らすと同時に、全ての責任や義務感を放棄した。


「そうだな、行く」

「はぁ……やっぱり駄目ですか。そりゃあ、あなたも国に帰ればおひい様ですものねぇ……」

「いや、行くって言ったんだ。今年は国へ帰らない。帰りたく無いし……素敵なメロンパンが気になる……から……」


 ティファが目を丸くして、おれの両手を握った。


「えッ! やった! イグニシアって、驚くほどメロンパンが好きなのですね! メロンパンの為なら国すら裏切るのではありませんか? あはははッ♪」

「余程のメロンパンだったらな」

「あら、例えばどんな?」

「そうだな……ティファの手作りとか」

「あら素敵。じゃあわたくし、さっそくメロンパンを作ってみようかしら? でも作り方が分かりませんわね……う〜ん」


 顎に指を当て、考える仕草を見せるティファニー。

 何と言うか……ようやく気付いたよ。

 おれはきっと、コイツのことが好きなんだ。


 女なのに女が好きだとか、おれは少しおかしいのかも知れない。

 だけどもう、気持ちを偽るのは止めよう。

 この夏、おれはティファに本当のことを話す。

 

 やがてはスイフトと結婚しなければならないこと。

 ティファに対する気持ちのこと。

 決して後悔しない為に……。

お読み頂き、ありがとうございます。


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