111話 アーリア・アーキテクト・ゴールドタイガー 2
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「ア、アーリアさま……アーリアさま!」
水の中にいて、外の世界から声を掛けられたような気分だった。
「アーリアさま!」
たゆたうように身体が揺れている。いや――揺らされているのか……?
どうやら、眠っていたらしい。
目を開けると、そこは見慣れた武芸棟の一区画。いつの間にか専用となった長椅子の上で、アタシはキリキアに身体を揺すられていた。
アタシとしたことが、随分と油断をしたものだ――キリキア如きに、これほどの接近を許すのだから。
だけど仕方がない、とも思う。
セフィロニアさまの居ない学院の生活なんて、肉の無いハンバーガーのようなものなのだから……。
身体を起こすと、目を軽く擦ってから辺りを見渡した。
窓の外は濃紺の空が広がっていて、地平線すれすれがギリギリ赤みを残している――といったところ。
夕方から夜に変わる境界線が、徐々に下がっている。なら、もう夜でいいか。
随分と寝ちまったな。
「アーリアさま! 大変なんですよ!」
そのまま首を巡らせて見ると、キリキアが大量の――何だ? 乾麺? を持って立ち、申し訳無さそうに眉を落としている。
そんなキリキアの後ろには、顔をパンパンに腫らしたラフィーアがいて、シュトラウスとノトス、ラトスも肩をガックリと落としていた。
「とりあえず、その乾麺はなんだ?」
「これはサラステラからのお土産で、アーリアさまによろしくって」
「ふぅん……そりゃ大変だな。敵に蕎麦を貰うなんざ……」
「いやいや! 大変なのは蕎麦じゃなくって!」
「そんなの、見りゃ分かんだよ。誰にやられた?」
まずキリキアを睨む。それから順に全員を見ると、皆、怯えた様に首を竦めて項垂れた。
ちっ……こんな有様だから、負けて『はい、そうですか』と戻って来ちまうんだ。
アタシだったら、勝つまで挑み続けるっての。
「相手はイグニシアか? それともミズホか?」
「……ミズホです。すみません」
答えたのはラフィーアだった。
彼女の顔は、三倍くらいに腫れ上がっている。目は糸状になっているし、腫れたほっぺの内側にある口は、まるで蛸のようだった。
ともすると笑ってしまいそうになるのを堪え、アタシは頷いてみせる。
「そうか――仇はとってやる。でもな、お前……サラステラにも負けてたよな?」
「すみません……」
「弱ぇんだよ。鍛え直せ」
「はい、もう二度と負けません……」
ラフィーアが土下座をした。それを見たキリキアが、「そ、それが! アーリアさま、違くって!」と口を挟んでくる。
ったく、ウゼェな。「ああん」と一睨みしたら、大人しくなった。
「キリキア、てめぇは蕎麦の土産貰って来ただけだろうが。アタシは今、やられたヤツに話を聞いてんだよ」
「しゅびばしぇん……でも違くて……」
「うるせぇ。次、シュトラウスは誰にやられた? ラフィーアがミズホなら、てめぇはイグニシアか?」
眉間に皺を寄せ、シュトラウスが悔しそうに答える。
「俺は、その――ニアです」
「なに? ニア・ローランドか?」
「はい……」
なるほど――確かにニアなら、コイツを倒すことも出来るだろう。
けど、シュトラウスの傷は比較的少ない。もしかしたら服に隠れて見えないだけかもしれないが、目視できる範囲では、見事に膨れた額のたんこぶくらいだ。
「傷は、そんだけか?」
「え……?」
「ほら、おでこの」
「はい」
その言葉で、イラっとした。
「てめぇ……そんなの傷のうちに入らねぇぞ。なんでもっと喰らい付かねぇ? 勝てたかもしれないだろうが」
「いえ……その……勝てるイメージがまったく――出来なくて……」
アタシが睨み続けているとシュトラウスは膝をついて、額を床に擦り付けた。
「すみません……戦場で会ったら、死んでも殺しますッ!」
「そんなの、当たり前だ。しかしニア・ローランド……ナメた真似しやがって。アイツも潰してやる」
左手の平に右拳をパンッと当てて、アタシは奥歯を噛み締めた。
そんな時にキリキアが、またもつまらない事を言う。
「あ、あの、ア、アーリアさま、それがですねぇ〜〜」
「ああん!? うるせぇって言ってんだろ! てめぇのギザギザ歯ぁ、全部折るぞッ!」
「い、いえ……しょの〜〜やっぱり何でも何でも、ありましぇ〜〜ん」
「何でもないなら、ちょっと黙ってろ!」
キリキアがビクンッと直立して固まった。
それから身体を左右に揺らし、「しゅいましぇ〜〜ん。おしょばって、美味しぃんでしゅよ〜〜ホホホ」などと言って誤摩化している。何なんだ、コイツは。気でも狂ったのか?
まあいい、次はノトスとラトスの兄弟だ。
そう考えてアタシは、二人に目を向けた。
「で、ノトス、ラトス――テメェ等は一体、誰にやられたってんだ? ププッ……ていうか……ちょっと待て」
思わず笑ってしまう。
二人とも同じ、極太の眉毛があったのだ。
しかもそれは、黒い紙の様なもので作られていた。
「どっちがノトスで、どっちがラトスなんだ?」
「酷いっ! アーリアさまなら分かってくれると信じていたのにッ!」
「兄貴、服を脱げば筋肉で分かってくれるんじゃねぇかなぁ?」
二人が顔を見合わせ、ああでもない、こうでもない、と言い合っている。
「お前ら――巫山戯てるのか? まず、ププッ……その眉毛を取れ……ププッ」
「その、それがアーリアさま……アタシ達……」
「いや、兄貴……取ろうぜ。アーリアさまの命令は絶対だろ?」
「ええ、そうね……ラトス」
二人が意を決して眉毛を取ると――今度はどっちにも眉毛が無かった。
「ぶわっはははははははははは!」
アタシは腹を押さえて転げ回り、長椅子から落ちてしまった。
床から顔を上げて、再びノトス、ラトスの顔を見ると――「あーっはははははははははは!」
全然、笑いが止まらない……ははははははは! これは見ちゃあいけないヤツだ!
「や、や、や、やっぱり付けていてくれッ! あはははははははは!」
そう命じると、二人はいそいそと眉毛を付けたが――「あははははははははははは!」
ダメだ――今度は眉毛の位置が悪い。片方が困り顔になって、もう片方が怒っているみたいだ。
「お、お前等、アタシを笑い死にさせる気かッ!」
「す、すんません! 俺も兄貴もそんなつもりじゃなくて!」
そういうラトスの眉は吊り上がり、怒り顔だ。それなのに小さくなっているから、またも笑いを誘う。
なんとかアタシは二人から顔を背けて、息を整えた。それから身体を起こし、椅子に座る。はぁ……。
「ひっひっふー……」
と、笑ってる場合じゃなかったな。
「ええと……お前らは、誰にやられたんだ?」
二人は顔を両手で覆いながら、同時に声を発した。
「「リリアードとマリアードです」」
「そうか……眉毛を……ププッ……ノトスが剃られたってことだな?」
「そうなのよぉ、アーリアさまぁ! 酷いでしょお!」
「それだけじゃねぇんです、見て下さい、アーリアさま!」
そう言ってラトスの方が、頭頂部をアタシに向けて来た。するとそこには、ピョロリと伸びた三本の毛が生えている。
「マリアードのヤツが『サービスじゃ!』って言って髪を生やしやがって……」
「そ、それで、三本だけ生えて来たのか……ププッ」
「そうなんです……『しっぱいじゃった!』とかぬかして!」
どうしようも無い話ではあるが――それでも配下がやられたことに変わりはない。
ちょうど退屈をしていたところだし、明日にでも纏めてぶっ飛ばしてやろう。
だからアタシは、皆にこう言った。
「分かったよ、纏めてツブしてやる。まあ今日はもう遅いから――今度な。じゃ、解散、解散」
ノトスとラトスは頷き合って背を向け、シュトラウスも会釈して踵を返した。
けれどキリキアとラフィーアがこの場に残り、モゴモゴと口を動かしている。
すると突然キリキアが涙を零し、土下座をはじめた。
手に持っていた蕎麦の乾麺がボロボロと零れ、その上に彼女の涙がポタポタと落ちている。
「すみません――私、私――作戦に失敗して……もう、手遅れで。アーリアさまは、動けないんです……明日、生徒会が辻試合を規制する校則を発布するから……だからもう……みんなの仇を取れないんです! 私達、負けっぱなしのままなんですッ! ごめんなさいッ!」
「は? どういうことだよ?」
「実は……」
それから訥々とキリキアは今日の出来事を語り、最後に「殺して下さい」と私に縋り付いてきた。
まあ、別に殺す程のことじゃあ無いが――ナメられてやり返せないってのは腹が立つ。なので半殺しで許してやろう……。
アタシが指の骨をボキボキ鳴らすと、ラフィーアも土下座してきた。
「待って下さい、アーリアさま! 責任なら二度も負けた私も同罪! どうかキリキアを殺すなら、私もッ!」
「いや、殺すかよ。なに勘違いしてんだよ……」
二人が急に顔を上げて、明るくなった。
「あっ、だったらアーリアさま! とりあえず、お蕎麦食べません? 『熱湯六分冷やして二分を守れば、美味しいお蕎麦の出来上がり』って言ってました!」
「キリキア、やっぱテメェぶっ殺すぞ」
「待って下さい、アーリアさま! メロンパンを食べたら不死身だって聞きました! 殺すなら、キリキアにメロンパンを食べさせてからにしましょう!」
「ラフィーア……テメェはイグニシアに何をされた?」
もう我慢ならん。
そう思って二人に拳を振り上げたら、見覚えのある男がツカツカと歩み寄って来た。
「やあ、アーリア先輩。今日も暴れてますね」
「あ? 誰だ?」
「去年、委員会で色々お世話になったんですけどね……覚えていませんか?」
「ああ……そういや書記の仕事、何度か手伝ってくれたっけな……確か、お前――ゲイヴォルグ・ファーレン――だったか?」
「はは……忘れられていたら、どうしよう――って思いましたよ」
◆◆
目の前に立っているのは緑色の髪に紫色の瞳っていう、毒々しい色彩の色男。相変わらず、何を考えているか分からない野郎だ。
確かに去年、生徒会の手伝いをしてもらっていたな。
セフィロニアさまが自分以上だと評していた男の一人だが……それが、いったい何の用だ?
いや、そもそも本当にセフィロニアさま以上なのか……鑑定してやる。
――――――――
ゲイヴォルグ・ファーレン
年齢 16 職業 学生 Lv39
スキル
剣術S 槍術SS 格闘B 大魔導A 軍師SS ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― 鑑定S
ステータス
統率98 武力95↑ 魔力94 知謀108↑ 内政109↑ 魅力95
――――――――
「気に入って頂けましたか?」
肩を竦め、苦笑するゲイヴォルグ。見せてやったと言わんばかりの態度だ。
「隠している部分は、何だ?」
「ああ、恥ずかしいので。例えば眼鏡とか……そういうスキルって、恥ずかしいでしょう?」
まだ床に踞っているキリキアが、ビクンと肩を弾ませる。
ああ……コイツも眼鏡スキル、あったんだっけ。
確か眼鏡を掛けていると知力が上がって、魅力は下がる……だったかな。
ほんと、どうでもいい。そう思っていたらキリキアが喚き出した。
「め、眼鏡を馬鹿にするなぁ! 眼鏡スキルはなぁ、Sを越えると魅力も知力も掛けたら上がる、スーパーなスキルなんだからなぁ!」
そうなのか……。
とはいえ、確かにこのステータスならセフィロニアさまにも引けは取らない。
だが、それ以上かと云えば……分からんな。
しかし、私に何の用だろう?
まったく分からん……素直に聞くか……。
「で、何しに来たんだ?」
「何しに来たと思います?」
「アタシに挑もうってのか?」
「まさか。単純な武闘で先輩に勝てると思うほど、俺は自惚れていませんよ」
「だけど、ここに来たんだ。アタシが逃がすと思うのかい?」
「思わないけれど、今の先輩が戦うとも思えないかな」
「なんで、そう思う」
「耳」
「耳?」
「そう――だって今の先輩の耳が、正面を向いてじっと動かないから。興味津々の猫、といった感じですよ。それとも、何か不安でも?」
「なっ――!?」
コイツ……人のことを読みやがって……。
「単純なことですよ……先輩を助けてあげようと思って、ね」
「助ける、だと?」
「そうですよ。だって――」
ゲイヴォルグは人の良さそうな笑みを浮かべて、ラフィーアに回復魔法を施した。見る間に顔の腫れが引き、元の顔に戻っていく。
「あ、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
ラフィーアに軽く手を挙げて、そのままゲイヴォルグは話を続けた。
「先輩は、生徒会長を引きずり降ろそうとしていたんでしょう? だから、手伝ってあげようと思って」
「その計画なら、頓挫したところだ」
「そうかな――さっきから話を聞いていたけれど、まだ手はあるよ」
「なに?」
「いいかい、先輩。敵は今頃、勝利に浮かれているんだ――つまり油断している」
「そうかも知れねぇな、だが――」
「だからこそ、ここで間髪入れず、敵の尤も弱い所を衝くんだ」
「……意味が、わからねぇ」
「だからね、つまり――」
いつの間にかアタシはゲイヴォルグの話に聞き入り、納得をしていた。
内容は、大したことじゃない。
会長の進退を掛けて、リリアードに辻試合をさせれば良い――というものだ。
それも、あちら側から申し込ませる方法があるという。
アタシは頷きながら、ゲイヴォルグの策を聞いてみた。
良い案だとは思うけれど、少し卑怯なような気もする。
いや、それよりも気になったのは、何故コイツがアタシに手を貸すのか――だ。
「なるほどな……悪い方法じゃねぇとは思うが」
「そうでしょう」
「くぅぅ……同じ軍師として、なぜ思い付かなかったのか……」
キリキアが情け無さそうにションボリとしていたが、それも仕方が無い。
軍師スキルBとSSの差だし、知力も20以上の開きがあるのだから。
「ゲイヴォルグ――お前、何でアタシに手を貸してくれるんだ?」
「ああ、そんなこと。だってアーリア先輩のことが好きだから」
「なっ……おっ……おまっ……からかってんじゃねぇよ!」
「いいや――俺は本気だよ。その良く動く耳も可愛いらしいし、ギザギザの眉毛もキリッとしていて綺麗だ。もともと先輩は美人だし――何より、その真っ直ぐな性格を好ましく思っている」
思わず顔が赤くなってしまったので、後ろを向く。
「ア、アタシは……そんな風に女を簡単に口説く男は嫌いだ……それに、この作戦も……マリアードを攫って人質にするなんざ――」
「どうしてだい? マリアードを人質にすれば、リリアードは皆の前で試合を受けると言わざるを得ない。そのマリアードも、辻試合の結果として捕えるんだよ?」
「だけど、時間が足りないだろ」
「大丈夫……校則の発布は慣例で終礼時だから昼休みなら間に合うし、実際の施行には一週間程度の期間がある。だからその間にリリアードがこちらへ挑むよう、仕掛けるんだ」
「お、おう。けどよ、人質なんてのが、そもそもアタシは……」
「大丈夫、弱みを握って戦おうって言うんじゃあない。リリアードに試合を挑ませたら、それで解放する。あとの勝負は正々堂々とやればいい」
そう言われると、そんな気がしてきた。
それにアタシなんかを好きだと言ってくれる男なんて――今後いるのかなって……そう思ったら。
――つい、言ってしまった。
「そ、そうか……そうだな。だったら、やってみるか……」
お読み頂き、ありがとうございます。
実は平成最後の更新! とかやりたかったのですが、令和最初の投稿になりました。
令和元年おめでとうございます。
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