110話 束の間の勝利ですわ
◆
マリアードが身体を低くして駆けます。金色の髪を靡かせ、ラトスの懐に飛び込みました。
刹那――空を切って鉄球が迫り、彼女の頬を翳めます。
“ブォン”
避けた! と思ったのですが、攻撃はこれだけではありません。
空を切った鉄球は、そのまま弧を描く様にしてラトスの下へと戻ります。軌道上にはマリアードの後頭部があって……。
あっ! ――と思ったら、マリアードがピョンと飛んで、後ろから迫る鉄球を踵で蹴りました。
“グン”と加速した鉄球が、ラトスに迫ります。
しかし流石にラトスも、自分の武器で傷つくほどの間抜けじゃあありません。
彼は器用に鎖をたぐると、棍棒部分を近づくマリアードへ叩き付ける様に振るいます。
しかしマリアードの素早さは、ラトスの全てを上回っているようでした。
叩き付けられる寸前で再び跳躍したマリアードが、ラトスの禿頭に短剣を突き付けています。
「はい、勝ち〜〜!」
マリアードがラトスの頭をペチペチと叩きながら、ニコニコと笑いました。
「参ったと言ったら、刺さないのじゃ!」
いや、そこは……参ったと言わなくても刺したらダメですよ、マリアード。辻試合で殺人は御法度です。
「て、てめぇ!」
しかし、この程度で降参するラトスではありません。
怒りにかまけて身体をブンブンと左右に振り、マリアードを振り解こうとしています。
けれどマリアードは肩車のような状態で、ラトスに乗り続けていました。
「離れろ、チクショウッ!」
喚きながら、ラトスが腕を背中に回します。何とかマリアードを掴もうと、必至なのでしょう。
ですがマリーアドは「きゃっきゃっ!」と笑いながら、攻撃の手を緩めません。
彼女はラトスの左腕に足を引っかけ、器用に絡み付くと、徐に身体を回転させました。
「やぁー!」
気の抜けた掛け声が響くと、続いて嫌な音が聞こえます。
“ボキボキベキッ”
あ〜〜……これは残虐……。
骨が砕ける音がして、ラトスの左腕が奇妙な方向へと捻れています。
「ぐあッ!」
しかし……呻き声を上げつつも、ラトスは怯みません。
むしろ目を血走らせて、彼は更なる闘志を燃え上がらせています。
ラトスが武器を捨て、残った右手でマリアードを掴みました。
そのままブンと投げ、マリアードは壁に叩き付けられます。
“ドゴォォォン”
こちらもさっきと負けず劣らず、嫌な音が響きました。
「かふッ!」
きっと、勝ったと油断していたのでしょう。一瞬だけ、マリアードが唖然とした表情を浮かべました。
「痛いのじゃ……」
え……? 反応はそれだけですか?
ムスッとして眉を吊り上げたマリアードが、再び走ります。
ノトスは武器を拾い、再び鉄球をマリアードの額めがけて放りました。
マリアードは仰け反る様に鉄球を躱し、短剣を突き上げます。
伸びきった鎖にマリアードの短剣が刺し込まれると、ジャリン――と響く音。
そのまま鉄球は、とあるカップルの横を通り過ぎ、壁にめり込みました。
「どうじゃ――武器を壊したぞ。これでもマリアードの勝ちを認めないなら、治療できる範囲でお前を壊してやるのじゃ」
細められた両目は、正しく未来の猛将マリアードです。顔に傷が無いので、こっちの方が愛らしいですけれど。
「う……くっ……参った――」
ラトスはがっくりと両膝を付き、マリアードの前に頭を垂れました。
――――
一方ノトスの方は、もっと簡単に勝敗が決したようです。
どれほど棍棒を振るっても、ただの一撃さえリリアードには届きません。
タン、タン、ターンと宙を舞うリリアードは、もはや眠そうに欠伸をする始末。
彼女の振るうレイピアが、オーケストラの指揮棒のように動けば、その先にいるノトスの衣服が斬り刻まれていきます。
もちろんそれは、離れた場所からの攻撃でした。
いい加減、戦闘に飽きたのでしょう。リリアードが降伏勧告をします。
「そろそろ降参した方が、良いと思うのじゃがのう?」
「ひ、卑怯だわ! ちゃんと戦いなさいッ!」
「嫌じゃよ、わし。だってそんな棍棒に触れたら、武器が折れてしまうではないか」
「だからって、何よ、これはッ!」
「ん? 風の精霊にな、ちょっと頼んで刃となってもらっておる」
なるほど――それでリリアードがレイピアを動かす度に、ノトスが切り刻まれているのですね。
「じゃが、まぁ……そんなにいうのなら……」
“ビュビュン”
レイピアを交差させる様に振るうと、リリアードが動きをピタリと止めました。
風の流れが止まって、同時に浮いていた身体がストンと地面に落ちます。
瞬間――ノトスの衣服が後ろに靡きました。何か、攻撃を仕掛けたのでしょうか?
しかしノーダメージだったらしいノトスが、ニタリと笑ってリリアードに突っ込みました。
「こけ脅しをっ!」
「別に、そういう訳でも――」
リリアードが言い終えるよりも早く、ノトスの攻撃が迫ります。
――ヴォン――真横にノトスの棍棒が弧を描き、轟音と風を周囲にまき散らして……。
けれどリリアードは重心を下げて踏み込み、ノトスの攻撃が空を切りました。彼女の頭上数センチを翳めています。
そのままリリアードの身体がノトスの腹部に吸い込まれていき……ドンッと鈍い音が響きました。
ノトスの巨体がグラリと傾き、後ろにゆっくりと倒れます。
あッ! まさか、あの馬鹿――勢い余ってノトスを刺しちゃったんじゃないでしょうね?
私は立ち上がり、倒れたノトスに駆け寄ろうとしました。
すると――。
レイピアを鞘に納め、左の肘を前へ突き出す恰好で止まっているリリアードの姿が目に入ります。
どうやらリリアードはカウンターの要領で、ノトスの胃に痛撃をくわえたようでした。
「ほっ……」
私が胸に手を当て、ストンと椅子にお尻を落とすと、ラファエルが笑って言います。
「だから言っただろう――大丈夫だよ――って」
“ズゥゥゥン”
ノトスが仰向けに倒れると、そのとき、彼の眉毛がハラリと地面に落ちました。
「ふっふ――眉毛を斬られたことも気付かぬ男がわしに挑むなど、千年早いわ」
いや、リリアード。
この人から眉毛を取ったら、ノトスとラトスの外見が一緒になっちゃうでしょうが……。
あっ……マリアードが何かを二人の顔に、くっつけています。えっ……海苔?
「お主らは負けたのじゃから、この眉毛を付けて行くのじゃ! これは罰なのじゃぞ!」
い、いやぁ……マリアードって、けっこう酷いです。
◆◆
「ふんが、ふんが! 勝ったぞ、勝ったぞ!」と鼻息の荒い駄エルフ二人を伴って、私達は生徒会室へと戻りました。
するとそこには、お腹をパンパンに膨らませたキリキアが横たわっています。何だ、サラステラに妊娠させられたのか? と思ってしまいますね。
その隣にはズタボロになったラフィーアもいて、こっちは口にメロンパンを突っ込まれていました。
もちろん、ラフィーアの口にメロンパンを突っ込んだ犯人はイグニシアです。
「……ほらッ、喰えッ! 傷が治るからッ!」
「かふッ……せめて飲み物を……!」
「五月蝿い! 果汁が入っている! メロンの果汁だ、滋養強壮にも良いし、消毒にもなる」
ならねぇよ! とツッコミたいところでしたが、タイミングを逃しました。
イグニシアの腕を、サラステラが掴んだからです。
「顔、パンパン。メロンパンじゃあ、怪我なんて治らない……ここは蕎麦つゆの出番」
「ん……?」
イグニシアは首を傾げ、サラステラの手にある褐色の液体を見つめています。
「サラステラ先輩、蕎麦つゆをどうするんだ?」
「大丈夫、蕎麦つゆは万能。塗って良し、飲んで良し」
「ちっ……薬だったのかよ」
そんな訳ないだろ――と思いながらサラステラの蕎麦つゆを奪い、私はラフィーアの口からメロンパンをとり上げました。
「むしろ怪我人に蕎麦つゆを塗って、メロンパンを突っ込むなど拷問ですわ」
「え、そうなのか?」
イグニシアがギョッとして、ラフィーアに「すまん」と謝っています。
サラステラの方は、呆然と私を見つめていました。言外に「信じられない」と言っているのでしょうが、ここは無視します。
ともあれ――こんな状態ですから、「イグニシア達がラフィーアを倒した」のは間違いありません。
私はポカンと口を開けて状況を見守るミズホに、確認をしました。
「ラフィーアとの戦い、どうでしたか?」
「あ、お姉ちゃん」
くるんと首を巡らせて、ミズホが私を見ます。そのまま彼女は首を上下に振って、ニコニコと笑いました。
「えとね、けっこう強かったけど、こう――回し蹴りでやっつけたよ!」
言いながらミズホが身体を捻り、回転させます。
頭が床の方へと傾き、つま先が私の頭の高さまで上がり――ブォンと空を斬る音が響きました。
私の前髪がふわっと浮いて、直後、烈風が駆け抜けていきます。
「あら、ミズホが戦ったのですか?」
「うん!」
「それも、格闘で?」
「そうだよ!」
「でも、蹴っただけなのでしょう? だったらどうして、顔がこんなに……」
「ああ、それはね――なかなか参ったって言わないから、馬乗りになって、こう――」
ミズホが打撃を交互に打ち降ろす仕草を見せてくれます。
うわぁ――これ、想像以上に容赦が無いですね……痛そう。
だけど、この子、双剣だけじゃなくて、格闘のスキルまでSになっていますよ。これで斧もSですから――どんな状況でも戦えるってことでしょうか。
それに騎乗スキルもSになっていますし、これつまり、戦闘機だって乗りこなせるってことですよね。あれば、ですけれど。
それはそうと、私は横たわるキリキアに目を向けました。
「この状況、ご理解できまして?」
「さあ……?」
「じゃあ、頭の悪いあなたに、しっかりと教えて差し上げますわ。わたくし達が無傷で戻ったということは、つまり――ノトス、ラトスもリリアードとマリアードが、完膚なきまでに叩き潰した――ということですの」
「……それで?」
キッとキリキアが私を上目遣いで睨みます。
しかし口の端からお蕎麦が一本、ピョロンと「こんにちは」しているので、迫力がありません。
「ラフィーアも大勢の前で、武器すら使わないミズホに伸されたようですわね?」
「だから、それが、どうしたって言うんだ?」
「あなたの目的は、わたくし達の権威を失墜させ、相対的にアーリアの支持を集めるというものだった――違いますか?」
見下ろす私の視線から目を逸らし、キリキアが「そうだ」と言っています。
「ですが、この状況です。失墜したのはアーリアの武名でしょう?」
「そ、そんなことは無い! アーリアさまは不敗のままだッ!」
「ええ、そうですわね。戦わなければ、不敗ですもの――ですから、それでいいのです。もはやアーリアが戦う機会は巡ってきませんわ」
「なん、だと?」
「だって、そうでしょう。あなた方が行った無軌道な辻試合行為は多少の被害を出したものの、現生徒会執行部により、主犯格が全員敗退――これは情報委員より、明日の学院新聞で告知されることとなりますから」
私の発言に、少なからず驚いたのでしょう。キリキアが目を丸くしています。
「そんな記事、いつの間にッ!?」
「あなたは、本当に馬鹿ですわ。わたくし達は、勝利すると決まっていたのですよ。ならば記事も、事前に用意してあるのが当然ですわ」
「く、くそ! 汚いぞッ!」
「あら、お褒めに預かり光栄ですわ。あはっ♪ しかしながら、これだけでは根本的な解決ではありませんの。となれば――新たな規則を作り、辻試合そのものを厳正化しなければなりませんからね」
「だったら、まだ我々にも逆転の機会が……」
「もちろん、そんなものは、あ り ま せ ん わ! だって新たな規則の発布は、明日ですもの! アーッハハハハハハ! ――つまり、あなた方は負けたのですわ」
「クソッ! クソッ! クソッ!」
キリキアが下唇を噛みながら、私を睨んできます。けれど、もはや何の力もありません。
「もっとも――施行までには多少の時間がありますがね。しかしだからといって、今更あなた方が動けば逆効果。生徒達の支持は、もはや集まらないでしょう」
ニヤリと笑って見せながら、私はミズホにキリキアの縄を解くよう指示します。
悔しそうに私を睨み続けるキリキアの両手に、サラステラがお蕎麦の乾麺を大量に乗せました。
「お土産。アーリアにも食べさせて」
いや……今かっこいい所なのに……サラステラの馬鹿は何をしてくれているのでしょうか……。
「え、あっ……そりゃ、お蕎麦は美味かったが……」
「遠慮しないで。いずれ世界の主食になるのだから」
「いやっ、それはならないかと……」
「なん、だと……?」
「あっ、そのっ……副会長……ありがたく頂きます」
「そう、良かった。じゃあ、またね。アーリアにもよろしく」
こうしてお蕎麦を抱えたキリキアが、怪我をしたラフィーアの手を引き去っていきます。
私がいくら脅しても、黒髪のお蕎麦大使が歓迎ムードを出すので、結局はおかしなことに……。
「ふっふっふ……これでアーリアも、お蕎麦の良さが理解るはず」
いや、お前の理解らせるって、優しいな、オイ! ――と心の中で毒づいて、と。
「でもまあ、勝ったんだろ?」
イグニシアの言葉に、私は頷きました。
「まあ、そうですわね」
何だか釈然としない気持ちを抱えつつも、勝利の余韻は確かにありますので。
「じゃあ――乾杯でも、しましょうか」
私の一言で、ようやく皆が歓声をあげました。
窓の外は地平線だけが紅く、日中の残滓を残しています。
けれど空を見上げれば既にいくつもの星々が瞬き、夜の様相に変わっていました。
その中間は曖昧な色で、本当の境界線など有りはしないのでしょう。
あら、私ってば少しセンチメンタルですね。
ともあれアーリア本人と戦わずに、事件を収束出来るのは助かりました。
あとは規則の施行まで、何事も起きなければ良いのですが……。
まあ、軍師のキリキアがアレですから、もはや何も対策など無いでしょう。
そんな訳で――私達はお茶とお茶菓子で、軽く乾杯を。
本当は“爽やかな光”にでも行ってケーキを食べたいところでしたけれど……。
暫くワイワイ騒いでいると、やがてミズホは鼻提灯を出して眠り――サラステラとリリアード、マリアードは何故かしりとりを始めて……。
いつの間にかラファエルとイグニシアが、私の左右に陣取っていました。
穏やかな、とても穏やかな時間です。
本当は、もっとやらなくてはならないことがあるのに……今は少しだけ微睡んでいたい。
そんな気持ちにさせる、夕暮れ刻です。
これを油断というのなら、まさにそうだったのでしょう。
アーリアを、舐めていたのかも知れません。
或はラファエルに対抗出来る者の存在を、失念していたのか……。
いいえ――結論から言えば、私はこうなることを知っていた。
それなのに私はマリアードを守れず、彼女に一生残る傷跡を作ってしまったのです……。
きりが良い所までって思っていたら、長くなりました。
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