104話 一石二鳥ですわ
◆
「ラフィーア・アーキテクト・ブルーウルフ」
ゆっくりと顔を上げながら、サラステラが薄い唇を開きます。
その声は嘲るでも無く恐れるでも無く、ただ淡々として……。
彼女の周りに、くすんだ靄が見えました。
サラステラ曰く、呪力の発露ということですが、単に私の目が霞んだだけの様にも感じられます。
私は手の甲で目を擦り、疑いの一つを消しました。
はい、私の目は霞んでいません。目薬は不要です。
やはり何か見えない力が、彼女の周囲に渦巻いている。
それを知覚できるのは、私の魔力が他を圧する程に大きいからでしょう。
きっとあれが、呪力。魔力とは原理を異にする、サラステラ独自の力です。
サラステラの髪が呪力の高まりに合わせてユラユラと……。
なんとも美しい光景でした。
朝靄の中で咲く枝垂れ桜……とでも言えば良いのでしょうか。
「な、何なんだよ……」
一方、名前を呼ばれたラフィーアの頬には、冷や汗が伝っていました。
きっと彼女には、サラステラの迫力の意味が分からないはず。
けれど野生の本能でしょうか――気圧され、後ろに下がっています。
尖った犬歯をむき出して、ラフィーアは唸っていました。
「てめぇ……来ねぇなら、こっちから行くぞッ!」
タンッ――と音がして、ラフィーアが駆けます。
一足飛びでサラステラに到達するかと思われた刹那、彼女の動きがピタリと止まりました。
見ればサラステラが右手を前に突き出し、掌を広げています。
「……止まれ」
ラフィーアが駆け出した瞬間、サラステラはこう言いました。
辺りは静寂に包まれています。
その中で、ラフィーアの動きがピタリと止まりました。
彼女は左足を上げ、右の拳を僅かに前へ出した姿勢のまま止まっています。
「嘘だろ……何の冗談だ?」
「おい、サラステラッ! 魔法を使ったなッ!」
「反則だぞッ!」
ボソボソと生徒達が意見を交わし合い、後に怒号。
試合を見ていた生徒達が、サラステラに向けて罵詈雑言を放ちます。
それも、そのはず――だって周囲は、アーリア派が固めているのですから。
しかし全てを無視し、サラステラが足を前へ進めました。
無造作にラフィーアの横へ立ち、彼女を軽く押して横に倒します。
「て、てめぇ!」
まるで彫像のように、ぐらりと揺れて横に倒れるラフィーアの身体。
倒れながら目だけをサラステラに向けて、彼女は文句を言っています。
「……魔法は禁止だろうがッ!」
目だけを動かし、サラステラを見上げてラフィーアが唸ります。
「魔法ではなく、呪術……私に名を知られた時点で、貴女の負けは確定」
「名前を?」
「呪とは名、名とは呪。けれど、その意味を知る必要は無い」
「くそっ」
「参った?」
「まだだ……まだやれるっ!」
「そう」
サラステラは懐から一枚の紙を取り出すと、それをひらりとラフィーアの上に落としました。
揺らめきながら落ちる白い紙が、途中でむくむくと大きくなっていきます。
やがてラフィーアを覆う程大きくなったころ、私にもそれが何であるのか、ようやく分かりました。
あれは、大きな亀です。
いえ――亀というには、いささか語弊がありますね。
甲羅は小さな岩山のようで、顔は老人。顎の下には白い髭が生えています。
それがそのまま“ズン”と落ちて……横向きに倒れ伏したラフィーアを押しつぶしました。
「ぐえッ!」
情けない悲鳴を上げると、ラフィーアは白目を向いて気絶しました。
「ひょ……サラステラや。儂、女子を潰してしもうたかの?」
亀が白目を剥くラフィーアを見て、項垂れています。
が――私は騙されません。亀の目が歓喜の弧を描いている。
「喜んでいますね、あの亀」
「えっ?」
ラファエルが首を傾げ、私を見ています。
「ほら、亀の前足。ラフィーアのお尻を触っていますわ」
「あ、ああ……」
ラファエルの呆れ声が、私の頭上で漏れました。
もちろんサラステラも、きちんとツッコミを入れています。
「幻亀……ラフィーアのお尻、触っているけれど……」
「ひょひょ?」
亀がのっそりとラフィーアから降りて、辺りを見回しています。
お尻を触った件を、曖昧にしようとしているらしいですね。
それにしても、あの亀……。
大きさは尻尾まで含めて、二メートルくらいでしょうか。高さも一メートル以上。かなり大きくて、足が妙に長いですね。
……って、直立しました! 二足歩行するんですかッ!? すごく気持ち悪い!
エッチだし、あれ、亀○人ですよ!
なんて思っていたらサラステラが、またも懐から紙を取り出します。
そして「戻れ」という一言で、亀が小さな紙に吸い込まれました。
サラステラは亀が吸い込まれた紙を懐に戻し、周りを睥睨して言います。
「アーリアが生徒会長になるなんて、夢物語。腹心が私にさえ手も足も出ないのに、リリアード・エレ・ロムルスに楯突こうなんて、何処まで愚かなのやら……ふぅ」
こうして私達は、生徒会執行部の威信を高めることに成功したのです。
まあ、私は何もしませんでしたがね!
◆◆
あのあと生徒会室へ戻る途中、マリアードはずっと興奮していました。
すっかり呪術――というか式神に興味を持ったようで、ずっとサラステラにくっついています。
「サラステラ! すごいのじゃ、すごいのじゃ! あの亀じじい、なんなのじゃ?」
「あれは式神。リンデンに四柱いる守護神が一柱」
「へー、ほー! それはいつでも呼び出せるのか?」
「触媒があれば……」
「しょくばい?」
「式神と言っても妖怪や魔物、或は土地神など多種多様……特に幻亀は亜神だから、いくら私でも触媒無しでは呼べない」
「それは、よぶのにアイテムが必要ってことなのじゃな?」
「そう」
「げんきを呼ぶのに必要なアイテムって、なんじゃ?」
「パンツ」
「はへ?」
「幻亀はちょっとエッチだから、私のパンツが必要」
幻亀って、ますます亀○人だー! と私が脳内ツッコミを入れている間も、二人の式神議論が続きます。
ですが結局マリアードは『自分には呪術が使えない』ことが分かると、ションボリして興味を無くしたようでした。
生徒会室へ戻ると、リリアードがアンニュイな面持ちで頬杖をついています。
降った雨によって湿度が上がり、リリアードの髪が僅かに波打っていました。
彼女、猫っ毛ですからね。こんな日は纏まりが悪くなってしまうのでしょう。
そんな状況だからか、長机の上座に座るリリアードは不機嫌。今は口を尖らせています。
「暇じゃった……」
と思ったら――不機嫌の理由は、それかい。
全員が、ジットリとした目でリリアードを見ます。
私達は呆れながらも、左右に分かれて長机を前に座りました。
リリアードから見て右が私とラファエル。左側がサラステラとマリアードですね。
「暇って……何も無かったなら、良かったじゃありませんか」
「いや――何も無かった、という訳でもない。まあ、ともあれサラステラ、ティファ、マリアードも無事で何よりじゃ」
どうやら、リリアードは色々と浮かない様子。
その理由は、後からやってきたイグニシアが教えてくれました。
彼女はリリアードの水筒から勝手にジュースを飲み、それからラファエルに文句を言って席を移動させ、私の隣に陣取ります。
なにゆえ? と思いますが――いつものこと。
イグニシアが席に着くと、フワリとした柑橘系の甘い香りが漂います。
「ティファ、どうだ?」
「良い香りですわ」
「ふふん、メロメロか?」
「どうして、そうなりますの?」
「……ふむ、これじゃあ無い、か」
腕組みをして首を捻ったイグニシアですが、すぐ思い出したように口を開きました。
それは、苦々しい口調です。
「実はティファ達が出かけている間に、校門前で辻試合があった。挑んだのは、ノトス・バンプ、ラトス・バンプ兄弟。挑まれた側は一年生でな――すぐに状況を見た『こちら側の』生徒が助けを求めて、ここに来たんだが――おれが現場に着いた時には、既に決着が着いた後だった」
「まあ、間に合うとは思っておらんかった。仕方ない話なのじゃが……」
なるほど……ラフィーアを撃退したとはいえ、別の箇所では被害が出ていたと。
確かに、敵は一人ではありません。ですから、このように被害が出るのも当然でしょう。
とはいえ、随分と効率が良いですね。
あのアーリアが、脳筋のクセに作戦を考えている、という事でしょうか?
「どうもアーリアにしては、手際が良過ぎると思いますが……」
私の発言に、皆が頷いています。
すぐにラファエルが、疑問に答えてくれました。
「軍師が居るんだよ……キリキア・アーキテクト・タイガー。おそらく彼女が、全ての計画を立てているんじゃないかな」
「キリキア……ああ、あの半獣半人……いや、半々獣半人じゃな?」
リリアードが自分で言って、顎に指を当て首を傾げています。
「ええと……普通の獣人は半人半獣じゃからして、ヤツは母親が人間じゃから……」
「会長は、ご存知ですか?」
リリアードの疑問には答えず、ラファエルが問う。
「うむ、中々に成績優秀な女じゃ。しかし軍師の真似事までしよるとは……」
「ま、ヴァルキリアの中では優秀なのでしょう。あの中なら、わたくしだって軍師になれますもの」
「なら、わしも軍師になれるのう」
「は? リリアには無理でしょう。頭に綿を詰めた軍師なんて、聞いた事もありませんわ」
「うわ……酷いのじゃ」
ラファエルが右手を上げて、私とリリアードの会話を遮ります。
「二人がヴァルキリアで軍師になれるか、それはともかくとして、僕が調べた範囲では……」
「あら、ラファエル。わたくしとリリアを一緒にしましたわねッ!?」
「うむ――心外じゃ!」
「――って、二人とも、その話はいいから」
「あら、失礼」
「すまんかったのう」
「いや、いいよ。つまりね、ティファ――このキリキアが、襲撃計画を立てているようなんだ。で、実行部隊が、ラフィーアとノトス、ラトス兄弟という訳で……」
「――だったらキリキアを捕える。そして、実行部隊が何処にいるかを聞き出せば話が早い。私がやろう」
お蕎麦先輩が、非常にやる気です。
今日の勝利で、気を良くしているのでしょうか。
せっかくなので、この勢いに私も乗りました。大きく頷きます。
「そうですわね。さっそく明日の放課後、キリキアを確保しましょう。そうしたら襲撃地点が特定出来ますから、被害も防げますわ」
「いや――そうもいかないんだ。何しろ彼女の側には必ずアーリア本人か、シュトラウス・ジーニア・タイガーがいて、守っている。ああ――シュトラウスはアーリア派のナンバー2でね、武力は95、魔法もよく使う――まあ、簡単に言ってオールラウンダーさ。だから、付け入る隙が無くてね。恐らくはサラステラ先輩の呪術にも、対応してくるだろう」
ラファエルの暗い見通しに、私は胸を張って反論します。
大きな胸なので、リリアードが不愉快そうにジットリと睨んでいました。
ざまぁみろ、この貧乳めが。
「だったらシュトラウスが守っている時にイグニシアかミズホをぶつけて、その間にキリキアを捕まえれば良いじゃありませんか」
「いや、ティファ。おれとミズホは既に警戒されていてな……近づくとアーリアかメロンパンが出てくるんだ」
「イグニシア……あなたまさかメロンパンに釣られて、彼女を逃がした事があるのですか?」
「すまん……」
「まさか、ミズホもですか?」
「アイツもメロンパンの良さに気付いてくれたようで……」
「むぅぅぅう! このポンコツどもッ!」
激怒して席を立った私を、ラファエルが苦笑しながら見ています。
「まあ、まあ……ここでイグニシアやミズホちゃんがアーリアに負けたら、その方が問題だ。だってそれこそ、彼女が最強だと認めるようなものだからね」
「――んなッ! おれはもう、二度と負けないッ!」
今度はイグニシアが、顔を真っ赤にして立ち上がります。
とはいえ、ふむ――そうですね。
確かに彼女は、生徒会執行部最後の砦――負けてもらっては困る。
私は一計を案じ、肩に掛かる髪を払いのけました。
「だったら、ノーマークの相手をぶつければ良いのですわ」
「ノーマーク?」
ラファエルが首を傾げています。
「ええ――例えばニア・ローランドなら、シュトラウスにも勝てるのではなくて?」
私の意見に、一同が首を縦に振りました。
「確かに、ニアなら」
特にイグニシアが、大きく首を縦に振っています。
「でもティファ。わしにはニアを説得する材料など、無いのじゃが……」
しかしリリアードは不安そうに、首を左右に振りました。
確かに、彼女がニアを説得するのは難しいでしょう。
私だって、考えてみれば彼女と余り絡みはありません。
ですが、彼女もゲームのヒロイン。
そして生徒会には、主人公がいるのです……。
だとすると――えーと……ああなって、こうなれば……よし!
ひらめきました! これならいけますよッ!
ファーハハハハハ! この策ならば、一石二鳥じゃありませんか! 最の高です!
生徒会を守りラファエルとニアを急接近させることが出来れば、私の未来も貞操も安泰というもの!
これは、笑いが止まりません。
素晴らしい名案を思い付いた私は、立ち上がって胸をドンと叩き、言い放ちました。
「大丈夫! 彼女と交渉して、きっと首を縦に振らせて見せますわッ! ですからラファエル、ちょっとわたくしに力を貸しなさいなッ! もちろん全ては、現生徒会執行部存続の為なのですわッ!」
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