100話 木菟みたいですわ
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一学期が始まって一月と少し。
初夏が近づいて、心地よいですね――などと言っている場合ではありません。
アーリアがどれほど非道か、それを糾弾するリリアードの怒号で会議は幕を開けました。
「アーリアのやつ、断じて許せんのじゃ! この前だって、わしがトイレに入るのを知っていながら、紙を隠しおった!」
「あら、リリアード。それは大きい方の時、それとも小さい方の時かしら?」
「……み、みなまで言わせるな……小さい方であれば、そこまで困らぬ……ごにょごにょ……」
「あらあら、大きい方をして紙が無いとなると……それは嫌ですわね」
「で、あろう! あやつは獣じゃからいいが、わしは高貴なるエルフ族! お尻を拭かねば気が済まぬのじゃッ!」
皆で囲むテーブルを“ダンッ”と叩きながら、リリアードが喚きます。
長い耳が横から一気に跳ね上がり、天井を指しました。
「でもリリアード。あなたは外で――」
「ぴぎゃーーーーー!」
「あ、内緒でしたわね」
大きく首を縦に振り、リリアードが目をまん丸にしています。
彼女はラファエルに気があるので野グソの件に関して、絶対に触れて欲しくないのでしょう。
「……でもリリアード。紙なんて無くても、魔法でどうとでもなるのでは?」
私の言葉を聞き、固まるリリアード。
「ふうん……で、その後どうしたの?」
サラステラが、更なる追い打ちを掛けます。
「ど、どうもせぬ。わしのお尻は清浄ゆえ、常にフローラルじゃからして……」
リリアードの額からは、ダラダラと冷や汗が零れました。チラチラとラファエルを横目で見て、軽蔑されていないか確認しているようです。
「さ、参考までに教えてくれぬか、ティファ。そのような場合、どのような魔法を使えば良いのじゃ……?」
「そんなの、決まっているでしょう。水の魔法で洗い清め、火と風の魔法で乾かせば良いのです」
「はうあッ!?」
リリアードが両手を跳ね上げ、口唇をワナワナと震わせています。
これは……どうやら、またクソを付けて歩いたようですね……この駄エルフは。
「ズズッ……ズゾーッ。最低、お尻も拭けないエルフなんて。あと、食事中に下品な話は止めて」
サラステラがリリアードの隣で、蕎麦を食っています。
ちなみに蕎麦つゆはリリアードの水筒に入れていたので、準備万端。
って、お前も煽っていたでしょうがッ!
あと、その蕎麦はどこから出したぁぁぁああッ!?
私はサラステラから蕎麦の乗った笊を奪い、水の魔法で蕎麦つゆを薄めました。
「食べるのを止めなさい」
「酷い。蕎麦つゆを薄めるのは最後……楽しみにしていたのに……」
奪われた蕎麦を目で追いながら、サラステラが文句を言っています。
誰ですか、こんなポンコツを生徒会長に担ごうとしたのは。
コイツ本当に蕎麦のこと以外、何も考えようとしませんよ。
無表情でオロオロとしているサラステラの前に、私は資料の束を置きました。
「いいですか、サラステラ。事態は切迫しているのです」
「私のお腹も切迫している」
「お腹に子供でもいるのですか?」
「流産ではない。縁起でもないことを言うな」
「では、お昼ごはん、食べていないのですか?」
「食べた。お蕎麦を……」
「だったら、もう良いでしょう。キチンと話を聞きなさい」
「……話もなにも、リリアードの問題ではないか」
「いいえ、リリアードだけの問題ではありません。というより、リリアードのことは問題ではありません」
「そうか。だとしても、相手はアーリアの一派なのだろう? ならば生徒会長はアーリアと同じクラスだし、適切に対処すれば、事態は容易く収まるのではないか?」
ビクンとリリアードが肩を震わせ、眉を吊り上げています。
「サラステラッ! 無茶を言うでないッ! わしはヤツに虐められておるのじゃッ! 虐めっ子に向かって行く虐められっ子など、世界の何処におるッ! それが出来るくらいなら、虐めなど遥か昔に根絶しておろうよ!
……そこで、わしは考えたぞ! 毒をもって毒を制すのじゃ……つまり虐めっ子には、虐めっ子をぶつければ良い!」
「えっへん!」と胸を逸らすリリアードの耳を、私は後ろから引っ張りました。
「誰ですか、アーリアにぶつける虐めっ子と言うのは……?」
「い、いだだだだだッ! 今わしの耳を引っ張っているヤツがいるじゃろ? ほら……」
「リリアード、あなたはまだ自分の立場が分かっていないようですわね?」
「ひ、ひぃぃぃえぇぇぇ、助けてくれぇぇ!」
サラステラが私達をじーっと見て、ようやく口を開きます。
「ふむ、リリアードの言い分も一理ある」
「ありませんわ」
「虐めっ子うんぬんの話ではなく……毒を持って毒を制すという話」
「と、言いますと?」
「うむ……今、資料を見たのだが……アーリアの一派と言っても、実行部隊は限られている」
ペラペラと紙を捲って、サラステラが目を細めています。
「ええ……基本的に動いているのはシュトラウス・ジーニア・タイガー、ラフィーア・アーキテクト・ブルーウルフ、ノトス・バンブ、ラトス・バンブ兄弟と、それからキリキア・アーキテクト・タイガーの五人ですわ」
私は頷き、サラステラに同意しました。
「この五人は全員がヴァルキリアの出身者で、ゴールドタイガー家の息が掛かっています」
ラファエルが私の言葉を引き継ぎ、微笑を浮かべ言いました。
「うむ――だからな、こちらも少人数で、相手と同じ事をしてやればどうかと思ってな」
サラステラが人差し指を立てて、言いました。
その上で、「はい、話は終わり。蕎麦を返せ」と言い募ります。
リリアードが頬を膨らませて、反論をしました。
「――まどろっこしい! そんなことをせずとも、頭であるアーリアを潰してしまえば話が早いのじゃ」
「リリアード、それは、あなた私怨が入っていませんか?」
「なぬ?」
「だってあなたが虐められるのは、今回の件とは無関係でしょう?」
「にゃッ? 無関係の訳なかろッ! だってわし、生徒会長じゃぞッ!」
「では、いつからアーリアに虐められていたのですか?」
「うーん……入学した頃から、トイレに入ると大体……いやまあ、いつも一緒に行っていたというのもあるか……」
「……あなた、むしろアーリアと仲が良いのではなくて?」
「へ……?」
とりあえず、バカエルフのことは放っておきましょう。
どうあれアーリアとの直接対決は、今のところ出来ませんから。
だって新年の武闘会、その決勝でアーリアはイグニシアに勝っているんですよ。
しかもそのイグニシアは、あれだけ強くなったミズホに勝って決勝に進んでいる。
ああ、これ――準決勝でミズホと戦ったイグニシアが、疲れていたから負けたんだ――って思う人も多いんですが……違うんですよ。
だって同じくアーリアも、ニアと準決勝で戦っていますからね。
つまり同様に強敵を破って決勝に進み、堂々とアーリアはイグニシアに勝ったのです。
つまり僅差であったのは、イグニシア、ニア、ミズホの三人。
アーリアは彼女達に対して、抜きん出た存在なのです。
そんな化け物に対して手を出すなら、相応の手順と作戦が必要でしょう。
確かに遠距離であれば私の敵ではありませんが、ことは学園内の規律と治安の問題です。
しかも彼女が直接手を下していないとなれば、手出しのしようもありません。
「ラファエル、別の資料を……」
私は向かいに座るラファエルに声を掛けて、別の資料を用意させました。
一応、私が書記なんですけどね。彼が大体のことをやってくれるので、とても助かります。
ラファエルが資料に基づき、皆に説明を始めました。
「まず、どのような事案が発生しているか、簡単に説明をします」
「うむ。ラファエルが言うのなら……聞こうかの」
「……そうね」
リリアードとサラステラがラファエルを見て、小さく頷きます。
二人とも頬が若干赤いのは、ラファエルに対する好感度が上がっているからでしょう。
多分リリアードなど、ラファエルが言い寄れば速落ちですよ。
サラステラの方は性格上、速落ちは無いでしょうが……。
だけど流石はエロゲのハーレム主人公ラファエル。ヒロイン落としに掛けては、まったく隙がありません。
「こほん……」
私は二人の目がハートになる前に、咳払いをして雰囲気を壊します。
ラファエルは苦笑して、私に目配せをしました。その目が言外に語ります。
「キミだけは特別だから」
ああああ……なんでしょう、これ! まるで私が嫉妬している感じになりましたよッ! エロゲって恐い!
こうなってくると、ラファエルに落ちないイグニシアに敬意さえ抱いてしまいます。
まあ、彼女の場合はラファエルのイベントを、私が奪ってしまったからなのでしょうけれども……。
ラファエルが皆を見回し、口を開きました。
「さて――実際の被害状況ですが、まず最も多く見られるのが、寮へ帰宅する途中の辻試合です」
「辻試合なら、良いのでは? 学院でも武芸を磨く為に、認められている行為ですし」
「いえ、それがですね、サラステラさま――入学間もない新入生が狙われて、意味も分からず打ちのめされる。その後、こう言われるそうです――こんな目に遭うのは、今の生徒会が悪い。アーリアさまであれば、もっと秩序ある学院になったであろう――と」
「そんなの今更だし、一年生に言っても意味など無いのでは?」
サラステラが真剣に答えています。
まさかラファエルに良い所を見せようとか、そういった思考でしょうか?
ボロが出て、いつ「蕎麦」と言い出すか逆に楽しみですね。
「いえ、それがですね、生徒会規約三章二項をご覧下さい」
「九章十項――?」
「……三章二項です」
サラステラが首を傾げ、目を瞬きました。
むしろ目を瞬きたいのは私です。どうやったら三章と九章の聞き間違いを出来るのか……。
サラステラは己のミスなど意に介さず、無表情で生徒手帳を捲りました。
「あっ……」
私達三人を見て、サラステラが目を丸くしています。
そう――そこに書かれているのは、生徒会不信任案について。
つまり現生徒会が必ず一年の任期を全うするとは、限らないという訳です。
「なるほど……確かに、わしに対する虐めどころの問題では無いの」
リリアードも腕を組み、「ふん」と鼻を鳴らしました。
というかリリード……あなたも今、確認したのですか?
仮にも生徒会長でありながら、こんなことも知らなかったとはッ!
「だから、そう言っているでしょう。バカなのも大概になさい、リリアード」
「バ、バカ、バカと言いおって……ここは一つ、わしの知謀を見せてやるぞ!」
「へえ、どうやってですの?」
「策を言う!」
「へぇ〜……」
「なんじゃ、ティファ! そのまったく期待していない眼差しはッ!」
「だって、まったく期待出来ないのですもの」
「むぐぐ……いいか、ようく聞けッ! まず風紀委員を使って、大元のアーリアを捕まえるのじゃ。どうせ先程の五人を操っていることは明白! 元凶を叩けば、騒ぎも収まるというものッ! みよ、この知恵をッ!」
ま、リリアードの知恵はこんなものでしょう……。
さっきから、ずっと同じことを言っているだけです。
これの何処が策だと言うのでしょう。
とにかくアーリアを叩け――という一点張りじゃないですか。
風紀委員とは別名、生徒会の実働部隊と呼ばれています。
そして風紀委員長は現在、二年生のイグニシア・シーラ・クレイトス。
もちろんこれも、私が後押しをしたからです。
加えて副委員長はミズホと、まさに鉄壁の二段構えとなっていました。
イグニシアとミズホの二人であれば、アーリアと云えども手を焼くでしょう。
だから実際に私は最初、彼女達をアーリアの下へ派遣しました。
正式な査問ですから、アーリアと云えども武には訴えられません。
何より武に訴えても、イグニシアとミズホの二人ですから逃げられます。
そうなれば、確固たる証拠となったのですが……。
「あなた……とにかくアーリアを潰したいようですわね? だけど残念ながら既に、その案は実行済み。アーリアは今回の件と無関係だと言いはり、口を割らなかった。証拠もありませんしね、強引な追求も出来ません。仕方が無いでしょう。イグニシアが、そう言っていましたから」
「……メロンパンは信用出来ない。アーリアに買収されたのでは?」
お蕎麦先輩が、ジロリと私を睨みました。
そう言えば、彼女はイグニシアと仲が悪かった気がします。
まあ、全世界を蕎麦塗れにしたい人と、メロンパン塗れにしたい人ですからね。相容れる訳も無いでしょう。
「イグニシアだけではなく、ミズホも同様に言っていますわ。だから現段階では、アーリアに手出しが出来ないのです」
「そうか……あの子が言うのなら仕方が無い。お蕎麦好きだ、信用しよう」
とりあえずサラステラは無視するとして――と思っていたら、ラファエルが面白いことを言い始めました。
「そういえば副会長……言いにくいことですが、アーリア・アーキテクト・ゴールドタイガーが、蕎麦を馬鹿にしている、との情報も掴んでいます……」
「え――なんと?」
「ええと……」
「ラファエル、答えなさい。今、何と言いました?」
「ですから、アーリアが蕎麦を馬鹿にしていたと」
サラステラの緑眼が、ギラリと光りました。
それは闇夜で獲物を狙う木菟のように獰猛で、隙の無い瞳です。
「……聞き捨てならん――まず、実行部隊と思しき五人を捕えるとするか……許さんぞ……クフ、クフフフゥ……アーリア……お蕎麦の良さを、たぁぁぁっぷりと味わうがいい……クフフフフフフ……」
なにこれ? 言ってる事はお蕎麦屋さんなのに、超恐い……。
でも、お蕎麦先輩がやる気になってくれたのは良いことです。
これで生徒会一丸となって、事に当たれるというもの。
なるほど、お蕎麦先輩は、こうして操縦すれば良かったのですね。
ラファエルを見ると彼は片目を閉じて見せ、微笑していました。
私も頷き、微笑んで見せます。
「きぃぃぃぃっ! 何だかティファとラファエル、仲が良くて妬けるのじゃッ!」
え、いや……リリアード。そんなつもりでは……。
ただ、私とラファエルには共通の目的がある。
それが私達に強固な結束を齎していることは、決して否めませんが……。
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