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第六十四話 渚にて

 青いヴィッツを道路脇に停車すると、矢田は僕を抱きかかえ、車外に出る。


 雪は降っていないが、凍てつくような寒さは相変わらずで、何もかもが白い。


 震える僕の身体を彼は優しく運ぶと、朽ち果てる寸前の掘っ立て小屋まで運び、戸を開けると、中に横たえた。


「ここでお別れだっちゃ」


「俺もここまでだ。本当はもっとお前と一緒にいたかったが、これが限界のようだ」


 矢田の後ろに楓が立ち、寂しげに微笑む。


 そっと前に出ると、僕の身体にぎゅっと抱きついてくる。いつもの夜のように。


「でも、お前ともう一度会うことが出来て、本当に良かった! それだけは信じてくれ!


 確かに俺はこれ以上ないくらいの紛い物だが、この思いだけは真実だ!」


「楓、僕も、同じ気持ちですよ。あなたと一緒に仕事が出来て、いつも楽しかった。


 本当にありがとう。だから、泣かないで下さい……」


「うう……」


 彼女は、僕の全身に跡が付くくらい強く頬をすり寄せると、ようやく身体を離した。


「じゃ、元気でな。俺の分も頑張れよ。これから辛いことが多いと思うが、挫けるな!」


「楓……いや、ケイ! 別れたくないよ!」


「無茶言うな。あばよ、ディー……」


「今までほんに気の毒な。では、お邪魔虫は消えますちゃ」


 その言葉を最後に、楓と矢田の身体は風に吹き飛ばされたかのように忽然と消え、後には雪に覆われた砂浜が広がるのみだった。


「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」


 僕は二人の姿を繋ぎ止めようとするかのように、雪の上に這い出るも、そこには何の痕跡も無く、ただただ絶叫した。


 今となっては全てが理解できる。二人はまぼろしだった。


 いや、二人だけじゃない。さっきのドーテーくんも、彼の両親も、乙女さんも、そしてネズミですら、僕の頭の中だけに存在する幻覚に他ならなかった。


 僕はこの浜辺に辿り着いた時から、一歩たりとも動いていない。


 この木造のボロ小屋が楓荘の正体であり、楓荘についてからの日々は、全てリアルな幻影の世界だったのだ。


 幻影が消え去ると同時に、まるで夢から覚めた時のように、様々な過去の「現実」の記憶がよみがえる。


 そうだ、楓もドーテーくんも、もはや現実世界では決して会うことの叶わぬ人々なのだ。


 幻覚の中で、ドーテーくんが、僕に得意げに喋った事柄のいくつかは真実だったが、いくつかは全くの嘘だった。


 でも、そうでもないと、仮想世界の整合性は失われ、ブラックホールに呑みこまれた宇宙船みたいに、バラバラに分解していただろう。


 何が嘘かと言うと、まず、僕は人工的に記憶消去の処置を受けたわけではない。そんなものはそもそも僕には必要ないから。


 そして、ドーテーくんのアパートにて、彼の魔の手から僕が逃げだせたのは、彼に蹴り飛ばされたからではなかった。


 あの運命の夜、宅急便のように箱に詰められドーテーくんの元に送り届けられた僕は、ナイロンの紐でぐるぐる巻きに縛られ、猿轡を噛まされていた。


 彼は真新しいトランクス一丁で待ち構え、カッターで箱を開封し、僕を壊れやすい美少女フィギュアのように大事そうに取り出すと、高ぶる心を抑えきれなかったのか、半裸状態で一席ぶってくれた。


 曰く、ムラージュがロボットなどではなく、クローン技術を応用した生命体であること、医療格差を是正する為に医師を釣る、大事な餌であること、現在の僕の姿が、彼自身のおぞましい欲望の具現化であること……!


 だが、絶望の淵に沈む僕と、いざ一戦交えようとするも、ドーテーくんのソーセージ(失礼)はぴくりともしなかった。


 怒りのあまり、彼はなんとキッチンから出刃包丁を持ち出し、身動きできない僕に襲いかかった!


 その時、2階の網戸を蹴破って、白衣を着た赤髪の女性が室内に踊りこんだ。


 彼女、すなわちケイは、驚くドーテーくんの前に立ちふさがり、彼を突き飛ばすと、落ちていたカッターを使って僕の紐を切ってくれた。


 だが、猿轡を外している最中のケイに、ドーテーくんが出刃包丁を両手で握りしめたまま突進し、彼女の胸元に深々と突き立てた。


「!」


 悲鳴すら上げることの出来ない僕に、ケイは弱々しく「生きて、ディー……」とほほ笑むと、僕を勢いよく蹴り飛ばす。


 網戸を超えて夜空に吹っ飛んでいく僕が最後に目にした光景は、胸から噴水のような血を噴き出した彼女が、手にしたカッターを、ドーテーくんの頸筋に突き立てた姿だった。


 まるで、かつて彼が僕の頸筋にメスを突き立てた時のように……。


「ケイィィィィィィィィィーッ!」


 落下の衝撃で猿轡が吹っ飛び、ようやく絞り出せた僕の悲鳴は、空しく虚空に吸い込まれ、彼女に届くことはなかった……。

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