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第六十一話 ドーテーくん その3

「か、身体中が痛い……」


「当たり前だ、事故ったんだからな」


 片足を彼の膝の上に突き立てたまま、楓が事も無げにうそぶく。そりゃ痛いでしょうなあ。南無阿弥陀仏。


「じ、自分をどうするつもりだ……殺す気か?」


「殺す? 俺様が何でお前を殺さにゃならんのだ?」


 楓が心底意外そうな顔をする。どう見てもさっきまで息の根を止めようとしていたんですけど……。


「じ、自分はお前の親友を、醜い化け物の姿に変えた男なんだぞ。憎くないのかよ!」


「そりゃ、俺だって貴様を陵遅刑に処して市場に晒したいほど憎んでいるさ。しかし俺は、偽物とはいえお医者様だ。


 いいか、俺の親友の夢は、医者になって、社会のどん底に叩き落された人々を救済することだった。


 決して人を殺したりすることじゃねぇ。お前も医者の卵なら、それくらい分かるだろ?


 どうだ、ソーセージ、お前はこいつの存在をステってやりたいか?」


「きゅ、急にこっちに振られても……」


 僕はちょっとうろたえた。この男が僕を、人間からこの姿に変えたというのなら、確かに僕は彼を憎む権利がある。


 でも、記憶がないせいか、今一つ実感が湧いてこないし、楓が彼をぼろ雑巾のようにいたぶっているのを見ると、心なしか気が晴れてきた。それに……。


「こんな奴でも殺したら、乙女さんや、ご両親が悲しむでしょうから、僕は別にいいですよ」


 彼には、試験後にお寿司パーティーを開いてくれるような家族がいる。


 その人たちを不幸にしてまで、僕は復讐する気にはなれない。これは偽らざる本心。


「聞いたかドーテー野郎、この寛大なお言葉を!」


「じゃあ、何が望みなんだ!?」


「俺の願いはただ一つ。これ以上俺たちにまとわりつかず、とっとと医者になって頑張ってくれってことだけだ。


 俺たちは静かに暮らしたいんだよ。さもないと……」


「さ、さもないと?」


「お前が父親殺しを企み、母親を唆した証拠を、匿名で警察に送り届けてやるよ。矢田が盗聴してくれていたおかげで助かったぜ」


「まさか、さっきの会話を録音していたのか!?」


「そうやが。早く諦めるっちゃ。でないと風邪引くっちゃー、ぶるぶるぶるぶる」


 一人車の外に突っ立っている矢田が、寒そうに身を震わせる。


 とはいえこっちも冷気が入りっぱなしで、車内と言うよりは冷凍庫の中にいるようだ。


「く、くそ……どうせ自分は某『サッカーの王様』並みの不能野郎で、もう楽しみなんかないんだ! 警察でもなんでも好きにしやがれ!


 そのかわりお前たちのことは地獄の果てまでも追い詰めてやる!」


 エアバッッグの中から顔だけ突出しマシュマロマン状態の健一郎は、悪足掻きとばかりに、呪いの言葉を浴びせかける。まったくこまったちゃんだ。


「あなたのEDなら、簡単に治せますよ。ソーロー改善薬とやらを止めればいいだけです」


 僕は先程彼の演説を聞きながら、思い付いた仮説を、ここぞとばかりに発表した。


「え? ど、どういうわけだ!?」


「はっはーん、そういうことか……」


 ピンと来た楓が下卑たニヤニヤ笑いを浮かべ、楽しそうに彼を見下ろす。


「あなたが友達から貰って飲んでいたソーロー改善薬とは、たぶん、シナプスにおけるセロトニンの再吸収を阻害する、SSRIーSelective Serotonin Reuptake Inhibitorsー系の抗うつ薬でしょう。


 フルオキセチン、セルトラリン、ダポキセチンなどのSSRIは、射精を遅らせ、早漏を改善することが知られ、現在研究が進められています。


 しかし、SSRIは、長期投与を続けると、遅漏を通り越して、インポテンツになる危険性も孕んでいるんですよ。


 さらに、うつ病の人ならまだしも、通常人や、双極性障害の疑いがある人が飲めば、アクティベーション・シンドロームと呼ばれる賦活作用を起こし、不安、焦燥、不眠などや、時に易刺激性、易怒性を生じさせ、簡単なことで怒りっぽくなってしまいます。


 昔は弱気だったあなたの性格がいつの間にか変わっていったのは、その薬を飲み始めてからではありませんか?」


「そ、そうだったのか!」


 彼の、みみずばれの付いた顔に、驚愕の色が浮かぶ。医者の卵である彼には、僕の説明が、誰よりも理解できたに違いない。

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