第六十話 ドーテーくん その2
「でもそれって能無しの言い訳だよな」とあくまで矢田に冷たい楓に対し、「スイませェん……」となんとも情けない探偵さん。何故雇い主でもないのにこんなに言われなきゃいけないんだろう。
「ま、でもそんなに気を落とすなよ。俺もドーテーくんとは以前出会ったことがあるのに、最初全く気付かなかったわけだし。
もっとも当時の彼は、マスクと帽子を装備し、白衣を着ており、他の医学生との見分けが付かなかった。
それに、奴の姿を見たのも脱走時の101匹ゾンビ大行進状態の真っ最中だけだ。
それでも声だけは覚えていたんだが、やっこさん、それを警戒して、母親と来たときは一言も喋らなかった。
おかげで今日、会話の途中でようやくそれと知った時には、後の祭りでピーヒャララだったけどな」
そういいつつ、楓は矢田の背中をポンと叩いた。そうか、ドーテーくんもいろいろ考えていたのか。
とにかく、突如楓荘に乱入してきた彼を見て、矢田は非常にまずいことに気が付いた。
健一郎の目的は、恐らくムラージュ2体の回収だが、自分がいる間は手を出さないだろう。しかし、自分がいなくなった後は……?
ならば先手を打ち、自ら楓荘を去って、敵を油断させ、行動を起こしたところを阻止するしかない。
というアバウト極まりない作戦で、矢田は昨晩辞去したかに見せかけて、再び納屋に忍び込み、館中の盗聴器を傍受していたという。
そして、診察室の会話をこっそり聞いていたのだが、いざ助けに飛び出そうとしたとき、外から納屋に鍵がかけられているのに気付いた。
どうも寝ている間に、先日の大騒動で防犯の大切さに目覚めたネズミが南京錠をかけてしまったようだ。
慌てて鍵を外そうと手間取っているうちに、僕たちを乗せたポルテが発車する音が、空しく響いてきたという。
「ならば次の手を打つまでだっちゃ!」
なんとか納屋を脱出した矢田は、すかさずヴィッツに飛び乗ると、素早く彼の行先をシミュレートし、十姉妹家に緊急連絡すると同時に神速で車を走らせると、十姉妹家の執事が同じくマッハで飛ばして持ってきてくれたリモコンを途中で受け取り、インターチェンジの入り口付近で待ち伏せしていたという。
「なんか、凄い綱渡りな作戦だったんですね……もう少しでトラックと正面衝突するところでしたよ」
僕は、幸運に幸運が重なって、自分が助かったことを知り、深く歎息する。
まったく、一歩間違えば、トラックにぺしゃんこにされ、お星様になっているところだった。
「いや、あのトラックも、知り合いなが」
「えーっ!?」
なんと、急遽矢田が知り合いの凄腕のトラック野郎に助けを求め、タイミングを見計らって飛び出してきてもらったのだという。
足止め代わりになればいいかと思ったが、想像以上に効果的だったようだ。ガードレールへの激突だけで済んだのは、どうやら偶然ではなかったらしい。
「しかし、まさか俺があんな行動を起こすことまで予想済みだったのか?」
「ま、盗聴で、『彼女のエプロン借りて』って言っとられたし……」
「意外と凄いな、お前」
楓も僕も、矢田のアドリブ感満載だが、そのくせどこか一本筋の通った計画に、ちょっと感心していた。
矢田の考えでは、多少僕たちが傷付いても、ムラージュは回復力が人間より優れているので、致命傷を負わない限り、まず大丈夫だろうと判断したのだそうだ。
「それってけっこう結果オーライな考えですよね」
「やっぱ埋めてくか?」
「き、緊急事態ながやちゃ! ほんまにきのどくやったちゃ!」
「ま、矢田の拷問は後からにするとして、問題はドーテーくんの方だな」
すっかり調子を取り戻した楓は、眠りの森のドーテーくんから自分の眼鏡を取り返すと、ねずみ男さながらに、ビビビビと凄まじいビンタラッシュを食らわせる。
「起きろ! 起きろ! 起きろ!
このドーテーのソーローのインポの拉致監禁拘束魔のど変態の卑しいブタ野郎め!
ブーッと鳴け! 喚け! 悶え苦しめ!」
「そ、そこまでしなくても……」
白衣の女王様と化した楓は、首からかけた聴診器を鎖鎌の如く振り回し、鞭のように健一郎改めドーテーくんを打ち据える。
これにはさすがのハロペリドールも効果を失ったようで、「うーん」とうめき声をあげながら、ようやく彼は夢から目覚めた。




