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第五十九話 ドーテーくん その1

「ソーセージ! ソーセージ! 起きろ!」


 どこかで聞いたような、懐かしい声が叫んでいる。


 僕は錆びついたシャッターのようになかなか開かない瞼を、気合を入れて無理やり押し開けた。


「ソーセージ! 気付いたか!? 俺が誰だか分かるか!?」


 その女性は、涙で目を真っ赤にはらして、至近距離から僕を覗きこんでいる。彼女の大声は、夢の世界にまでよく届いていた。あれは、確か……。


「ケ……ィ?」


「!」


 その人物の表情が一瞬凍りついたように固まり、涙さえも吸い込まれるように止まる。


 彼女は、恐る恐る、まるで木にとまった蝉が逃げないように、ゆっくりと俺に顔を近付け、囁いた。


「……今、何て言った?」


「……?」


 僕も、何故そんなことを言ったのか、さっぱり分からない。頭を強く打って、脳震盪でも起こしたのだろうか?


 辺りを見ると、僕はまだ後部座席でぐるぐる巻きに縛られ、シートベルトで固定されていた。


 っていうか、この顔は、どう見ても楓だよな。眼鏡をかけてないからとっさに誰だか分からなかっただけか。


「怪我はないですか、楓?」


「え……、あ、ああ、大丈夫だ」


 彼女は僕の返事を聞いて、何故かとても残念そうな顔になったが、すぐにいつもの自信に満ち溢れた笑顔を取り戻すと、僕の戒めを解き始める。


「健一郎はどうなったんですか?」


「運転席でいい夢を見ているよ」


 彼女の言う通り、ルームミラーには、風船のように膨らんだエアバッグとシートに挟まれ、幸せそうに寝息を立てる彼の姿が映っていた。


 どうやら僕たちを乗せたポルテは、道路脇のガードレールに突っ込んで止まったらしく、運転席側が大きく凹んでいる。


 トラックの姿が影も形もないところを見ると、面倒事を恐れて、うまく走り去ったのだろう。


 よく全員無事だったものだと、改めて全身が身震いする思いで、ひやっとした。


「こりゃまた、厳重に縛ったもんだな。くそ、カッターでもあれば楽勝なんだが……」


「カッターなら持ってるちゃ」


 場違いに間の抜けた富山弁とともに、安そうなカッターが刃先を剥き出しのまま車外から放り投げられ、楓は「危ねえだろ!」と空中キャッチする。


 健一郎ご自慢の電動スライドドアが大きく開かれ、その向こうから、もじゃもじゃ頭が風に揺れていた。


「矢田さん、なんでここに!?」


「いやぁ、話すとなごーなるんやが……」


「包み隠さずきりきりしゃきしゃき全て吐け。さもなければ……」


 楓が、ロープを切った返す刀で、矢田の眼球にカッターを突き立てようとする。


「な、なして~!」


「早くしろ、警察が来る前に喋れ」


 以下、彼の富山弁が少々うざいんで、僕が要約させていただきます。



 矢田は、実は楓の知り合いの県議会議員が雇った探偵兼ボディーガードだった。


 楓のことを心配した県議が、彼女が断るにも関わらず、内緒で警護を依頼していたらしい。


 その足長おじさんみたいに親切な人は、彼女や僕がムラージュであることまで知っていて、僕たちを捕まえに、いずれ健一郎のような人間が訪れることを、とても警戒していたという。


「そうか、それであんなに柔道が上手かったり、てきぱきと物事をこなすことが出来たんですね」


「ま、そういうこっちゃ。黙っていてほんますんません」


「俺はてっきり、逆に雲州大学が送り込んできたスパイかなんかかと疑っていたんだぞ。


 あんな立派な耳介血腫の持ち主は、プロの柔道家か、レスラーぐらいしかいないからな。


 まったく幸助のやつめ、話をややこしくしやがって……」


 愚痴をこぼす楓は、だが、意外にうれしそうに見える。


 彼は偶然を装って納屋に忍び込み、ネズミの注射をわざとうけてまで、僕たちに近付き、結局泊めてもらうことに成功した。


 その結果、楓荘のあちこちに盗聴器をしかけ、主に身動きの取れない僕を中心に、見守っていた。


 しかし、そんな彼の誤算だったのが、いきなりの健一郎の訪問である。


 彼は調査の過程から、健一郎=ドーテーくんであることを知っていたが、健一郎が、中村乙女さんの孫だということは、まったくノーチェックだったという。


 何故なら、彼の名字は「中村」ではなく、「洞庭どうにわ」だったからだ。


「ほれ、免許証」


「ほ、本当だ!」


 ダッシュボードから矢田が取り出した彼の運転免許には、確かに「洞庭 健一郎」と書かれていた。


 矢田によると、彼の母親の旧姓は「洞庭」であり、彼は母方の祖父の死期が近付いた時に、祖父の養子になり、多くの遺産を相続したという。


 そういえば、彼は「祖父からも直接遺産相続できるようにしたし」と言っていた。


 子孫への遺産相続の分け前を多くするテクニックとして、よく使われているんだそうだ。


「そうか、だから仇名が『ドーテーくん』だったんだ……」


 僕は納得すると同時に、彼が少しばかり気の毒になった。「洞庭」は、音読みにすれば「どうてい」となる。


 ちょうど彼が正真正銘の童貞だったこととも重なって、非常に呼び易い仇名となったことは想像に難くない。


 そんなわけで、彼の家系図は一回リセットされ、乙女さんとのつながりが見えてこなかったわけだ。

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