第四十五話 詰問 その2
「じゃ、じゃあ、知り合いの医療関係者に聞いたとか……ハッ!?」
楓は話しながら、何かに閃いた様子で、形の良い眉を上げた。
「そう、その通りです」
彼は再び悪魔的な笑みを浮かべ、憐れみの目線を投げかける。
「自分が母に入れ知恵したんですよ。憎たらしい父を殺したければ、バルプロ酸ナトリウムを薄めろってね」
「「んなっ……っ!」」
僕と楓は、同時に叫び声を上げそうになるも、なんとか踏み止まった。
エアコンを30℃以上で設定しているにもかかわらず、診察室を冷風が潜り抜けたように感じたが、あながち気のせいではなかったのかもしれない。
しかし彼は、何故こんな告白を!?
「ど……どうしてそんなバカなことを!? 自分の父親だぞ!」
楓が椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。
眼鏡がずり落ちそうなくらい顔は汗ダラダラで、鬼灯の実のように真紅に染まっている。
「決まっているじゃないですか。自分も父の怒鳴り声にはうんざりしていたんですよ」
灼熱の太陽のように、怒りで燃え上がる楓とは対照的に、彼の態度はまるで冷え切った月のように冷静だった。
「昔から、あのバカ親父が、狂ったように、やれ勉強しろだのやれ遊ぶなだの、酔って大声を張り上げるたびに、自分はこいつは一体何という病気だろうと考えていました。
医師を目指したのも、半分はその為ですよ。
精神科を勉強し、ようやくあいつが躁症状の強い気分障害かもしれないと分かった時は感動しましたが、それでもとても許す気分にはなりませんでしたね。
どうせ四月から仕送りの心配もいらないし、だったら将来呆けてもっとひどくなる前に、晩節を汚さず早めに人生劇場の幕を下ろしてほしいと思って、ちょいと母を焚き付けてやっただけです。
だって母もあいつに長年苦しめられていましたから」
荒野でキリストを唆した悪魔のような口振りで、彼はとても楽しそうに父親殺しの陰謀を物語る。
そこには罪悪感など微塵も感じられず、非人間的な狂気の色さえ伺えるほど。
「だ……だからって、今までずっと養ってきてもらったんだろうが!
誰のおかげで医学部を卒業出来るまで成長したと思っているんだ!」
楓も負けじと反論する。だがその熱い言葉も、彼の心に届くことはなかった。
「金なんて、奨学金でも貰えばなんとでもなりましたよ。
祖父からも直接遺産相続できるようにしたし、食っていくには十分以上持ってます。
むしろあいつにガミガミ言われ続けて育ったおかげで、人と話すのが不得意になり、コミュニケーション下手で、最初の頃はさんざん苦労しました。
実家からなるべく遠いところに行こうと思ったせいで、同郷も全くおらず、砂を噛むような日々でしたねぇ……」
健一郎君は辛い日々を思い出したのか、細い眉をしかめ、しばし言葉を止める。
「それでもなんとか友達を作り、彼女も出来て、自信もわずかについてきたんですが、ほんの小さな出来事で、愛は傷付いて、見事に粉砕しました。
最悪でしたね。怒りのあまり、自分は……」
その時僕は、いつの間にか、彼が右手に黒光りする四角く細長い物を握り締めていることに気が付いた。
テレビのリモコンにそっくりなそれは、なぜか楓の方に拳銃のように突き付けられている。
「貴様、まさか……ドーテーくんかっ!?」
「その名前で呼ぶな!」
怒りの声とともに、彼がリモコンのボタンを押すと、途端に楓の瞳から生気が抜け、泥で出来た塊のように、床に頽れる。
慌てて僕が近付こうとすると、今度は、健一郎君……いや、健一郎の左手には、まるで手品のようにカッターが出現し、楓の首筋に押し当てられていた。
「そこを動かないで下さい、ソーセージさん。もちろん、大声も出さないように。
もっとも、難聴の老人しかいないここで、叫び声を上げても、誰も来てくれないでしょうけどね。
ネズミさんはお休み中ですし、昨日のもじゃもじゃ頭はもういないそうですし」
「な……何が望みなんですか、あなたは……」
僕は彼を刺激しないよう、勤めて冷静に振る舞い、囁くような声で質問する。
すると彼は、まるで恋人でも見詰めるような優しい表情で、同じくウィスパーボイスで答えた。
「もちろんあなたですよ、ソーセージさん……いや、ムラージュ」




