第三十九話 根津 美子 その5
「最初は『夢でも見たんだろう』って相手にしてくれなかったんですけど、せいぜい夕方頃で、ちゃんと起きていましたし、何度も繰り返す為、両親と一緒に近所の心療内科を受診したんです!」
そこでの診断名は統合失調症で、幻覚妄想状態による症状だろうとのことで、彼女はリスペリドンの錠剤を数個処方された。
「でも、それを飲んだら、急に動きがぎくしゃくして、涎が出て、歩けなくなっちゃったんです!」
レビー小体型認知症では薬剤過敏性といって、薬に対してあまりにも過敏に反応することがよく見られる。
抗精神病薬や抗パーキンソン病薬などを通常量投与すると、副作用が過剰に出て、かえって症状が悪化するのだ。
彼女に起こった現象はまさしくそれだろう。
「だから服薬はすぐやめ、その病院も二度と行くことはありませんでした!
その後、いくつものクリニックや精神科を回ったんですけど、どこも同じだったんです……!」
彼女の病名を正しく診察できる医者はいなかった、というわけだ。
ま、無理もない。たかが15歳の少女がレビー小体型認知症だなんて、常識を重んずる、頭の凝り固まった医者には考えもつかなかっただろう。
結局根津一家は病院通いをやめ、家で療養することとなった。
「それから先は、ある意味お決まりの転落パターンってやつですね!
医者に対する信用をすっかり失った母親は、よくわかんない宗教にはまって私を治そうとし、それに見かねた義父は、どんどんメートルを上げるようになったんです……!」
もはや家庭は分解寸前だった。
居間は母親の買ってきた壺やら水晶やらネックレスやら黄色い財布やらで溢れ返り、邪神もかくやというような触手の生えた仏像が神棚を占拠していた。
食堂は無数の酒瓶が転がり、壁には何かを叩きつけたような跡が月面のクレーターのように刻まれている。
それらの間を縫って魑魅魍魎が跋扈し、夕方になると仏壇からは大勢の僧侶が念仏を唱えながら出現し、死んだはずの有名歌手が玄関でゲリラライブを開催していた。
座敷わらしは日増しに増殖し、これらのモンスターを倒すには包丁で切り刻むしかないので、ネズミは必ず出刃包丁を懐に隠し持っていた。
「もう当時はホラー映画も真っ青な状態でしたね! あの家に入ったらジェイソンも裸足で逃げ出しますよ!
私の日課は奴らを全部切り刻んで、分別してゴミ袋に押し込む事でしたね!」
そんなある日、分別作業中の彼女に、昼間から日本酒の瓶をぶら下げた義父が、訳の分らん事を怒鳴りながら襲いかかってきたのだ。
「最初は言葉もなんとか理解出来ました!
お前のせいで俺の人生は台無しだの、仮病を使うのもいいかげんにしろだの、最近母がまったく相手をしなくなったから代わりにお前がしろだの……!
でももう途中から人間の言葉じゃなくなってきて、壊れかけのラジオのような音しか発しなくなり、頭に角が生えて、耳が笹の葉のようにとがり、刺やら触手やらが全身から伸びてきたんです!
私はもう無我夢中で出刃包丁を振るうと、その第三形態フリーザ様は聞き取れない音域の悲鳴を上げたので、そのまま玄関でサライを熱唱中のエルビス・プレスリーさんと忌野清志郎さんを押しのけて、着の身着のまま家を飛び出したんです!
空はオレンジ色の雲がかかって泣きたいほどきれいでした……!」
その後どう街を彷徨ったのかは覚えていないが、いつの間にか駅で電車に乗り、この北国までやってきたという。
「ちょうど終点がここだったんですよ! とても寒かったです!
で、お金も電車代で使い果たして泊る場所もなく、どうしたらいいのか分からなくって、いっそひと思いに死んじゃってもいいかなーなんて思って、夜の海辺までふらふらと来たんです! そしたら! そこに! なんと!」
「落ち着けネズ公、後は俺が話す」
熱弁のあまり、やや興奮状態になってきたネズミの頭を、楓がアイアンクローで鎮める。
うわあ、すっげえ痛そう……。




