第二十七話 中村家の人々
「ここは……何処ですか? 自分は確か、車に乗っていたはずですが……」
ようやくけいれんが止まった中村氏が、白眼から黒眼に戻った双眸で天井を見上げ、ぼんやり呟く。
「中村様、気が付かれましたか? 良かったーっ!」
「貫太郎、貫太郎、私がわかる!?」
「お、お母さん? と、いうことは……」
「そうだ、ここは楓荘の診察室だ。意識が戻って何よりだ」
「せ……先生ですか?」
中村氏は、よだれがこびりついた口元をぬぐおうともせず、まだ夢から覚めきっていない人のように、周囲の状況を確認しているようだ。
彼を取り巻く中村乙女さん、ネズミ、楓、そして僕は、とりあえずホッと胸を撫で下ろした、って僕だけは物理的に無理だが。
「さて、中村さんの息子さん、起き立てのところ申し訳ないが、いろいろお聞かせ願おう。
何しろ敷地内の出来事とはいえ、車も壊れているようだし、警察なんかを呼ばねばならぬ可能性もあるのでな」
まだ微妙に機嫌の悪そうな楓が、白い容器を片手でこねくり回しながら、渋い声を漏らす。
「せ、先生! 自分は一体どうなったというんですか……?」
「中村様、本当に何も覚えていらっしゃらないんですか!?
陸に上がったお魚みたいに、あんなに激しくのたうち回っていたのに?!?」
「発作中の出来事は、何も覚えていないことが多いんですよ」と僕はネズミの疑問に答えてやる。
「あなたはうちの駐車場の雪だまりに車を突っ込み、そこのネズ……ヘルパーが言うように、全身けいれんを起こしていた。
救急車を呼ぶ時間ももったいなかったので、すぐここに運んで点滴を施行した、というわけだ」
「そ、そうだったんですか……」
中村氏は自分の両腕をじっと見つめる。もちろん今は震えの一つも見られないが。
「さて、前にあなたに訪ねたとき、中村家には、あなたを含め、既往歴のある家族はいないとおっしゃっていたな。それは確かか?」
「は、はい。あの時点では本当です」
「では、今は違うと?」
楓は手にした容器を某ちりめん問屋のご隠居の付き人の如く、ずいっと彼の鼻先に付きつける。
「そ、それは……隠しても無駄なようですね。
はい、実は2か月程前から、自分はその薬をとあるクリニックで処方してもらい、飲んでいます」
警察に証拠を提示された犯人よろしく、観念した中村氏は、素直に話し始めた。
「やはりそうだったか。かかさず毎日飲んでいるのか?」
「は、はい。今朝もちゃんと飲みました」
「今、どれだけ内服しています? 最近量が減ったとかはないんですか?」
僕もつい会話に口を挟んでしまう。
「おや、あなたは確か母のお気に入りの介護ロボットさんでしたか。
えーっと、毎日錠剤でいえば800mgに当たる量を内服していますが、特に減量されたことはないはずですが……」
「ふーむ……で、こいつをいつもポケットに入れているのか?」
楓は容器をしげしげと眺めながら、何かを考えている。
「そうですね。朝食後と夕食後に飲まねばならず、外で食べて帰ることが多いので、スーツのポケットに入れっぱなしにしています。でも、それが何か?」
「あなたはもしかすると……」
「所長―っ、ご家族が来られたっちゃー!」
張りつめた空気を破り、玄関から能天気な富山弁が響いてくる。
「あいつには礼儀を叩きこむ必要があるな……。よし、皆様をこちらへお通ししろ!」
前半は呟くように、後半は大声で楓が下知を下すと、「あいさー」とよく分からん返事が返ってきた。
「さてと、ネズ公、すまんが超特急で検査室に行って、血液データを持ってきてくれ。
今度の機械は高性能だから、そろそろ出ているはずだ」
「わっかりましたぁ!」
ネズミが診察室を飛び出すのと入れ違いに、もじゃもじゃ頭が40代ぐらいの上等なコートを纏った品のいいご婦人と、20歳前後の気弱そうな若者を引き連れて入ってきた。
その瞬間、僕の胸中に、かつてないほどのざわめきが走った。
理由はないが、なんとも言われぬ不吉な予感。
だがその違和感は、吹き抜ける突風のように、一瞬で過ぎ去っていった。一体何だったのだろう?
「あなた、大丈夫!?」
「……」
どうやら中村氏の妻および息子と思わしき二人は、彼を取り巻くベッドサイドの輪に加わると、心配そうに点滴に繋がれた一家の大黒柱を見詰めた。
「ああ、心配かけてすまない、もう大丈夫だ」
弱々しげな笑みを浮かべる中村氏は、心なしか、とても寂しげに映った。
どうしてだろう、こんなにも家族に大事にされているのに……。
「中村氏の奥さんとご長男さんかな? 初めまして、この楓荘の所長の楓という者だが、以後お見知りおきを」
楓が妙に礼儀正しく挨拶する。ご家族はそれに気圧されたのか、やや間があって、「こちらこそ、宜しくお願いします」と言う妻の返事が返ってきた。
「さて、皆さんそろわれたところで、一つ確認したいことがあるのだが」
楓が真面目モードのまま、一同を見渡した。




