第十八話 標本室
「ほら、早くおいでよ、ケイ!」
「ま、待ってよ、ディー!」
あたしは、腸をぶらぶらさせながら、点滴棒を槍のように掲げ持ち、お尻丸出しですたすたと先を歩くディー(仮称)を、同じように点滴棒を持って、おっぱい丸出しで慌てて追いかけた。要するに二人とも全裸なのだが。
お互いに呼び名がないのは不便だねってことで、とりあえずネームプレートの頭文字を、それぞれ仮名とすることにした。
つまりあたしがケイで、金髪の内臓ボンバーな彼女はディーってこと。安直だが呼びやすいし、あたしは気に入った。彼女はどうか知らないけど。
まず彼女が、この建物に何があるかを案内してくれるというのだが、あたしはかなり気が引けていた。あまり楽しいものはなさそうな雰囲気だし、人が来るとまずい。
ただ、ディーの話だと、夜回りの守衛は夜9時に一度来るだけで、後は朝まで誰も来ないとのことだった。いいのか、それで。
この建物は2階立てで、解剖実習棟と呼ばれているらしい。
あたしたちがいるところは2階の部分で、外に出るには外壁に沿って走る階段に続く、入口のドアから出るしかないが、夜中は入口に外から鍵がかけられ、中から開けることは出来ない。
入口から入ると廊下が一本伸びており、突き当りと左右にそれぞれドアがある。
突き当りのドアはあたしたちのいるこの広大な解剖実習室に、右のドアは標本室に、そして左のドアは白衣の連中たちが着替えるための更衣室にそれぞれ繋がっている。
つまり部屋は基本的に三つしかない。
廊下まで出てきたあたしたちは、まずは向かって左側のドアの前に立った。
「標本室」
扉の前には古びたプレートが掛けられている。
ディーは、「気付かれるかもしれないから、部屋の電気は付けちゃ駄目だぜぃ」と悪戯っぽく小声で囁くと、そっとドアノブを回した。
その部屋の中では闇が全てを支配していた。かび臭く、漆黒の中、物音一つせず、生命の気配など欠片もない。
ディーは実習室から持ってきた懐中電灯をそっと付けた。
淡く白い光が扇形に暗闇を切り取る。左右のスチール製のキャビネットが照らし出された。
部屋の構造は長方形で、四面の壁と、それぞれの壁に平行に、キャビネットが並べられている。つまり全体的に漢字の「回」の形をしていると思えばいい。扉は一つしかない。
キャビネットの中は想像以上のものが並んでいた。
まずガラス瓶に入ったホルマリン漬けの胎児の群れがずらっと並んでいる。
大きさは手前の方が小さく、奥に進むほど大きくなって、人間に近くなっていく。
瓶に貼られたラベルには、妊娠週数が書かれていた。
胎児の顔は人間には程遠く、魚やセミ、あるいは蟹のそれを思わせた。
ホルマリンの羊水にたゆたうその姿は、まるで夢を見ているかのよう。
その奥には様々な奇形と思われる胎児が同じようにガラス瓶に入って並んでいた。
脳のないもの、一つ目のもの、三つ目のもの、両脚が一つに融合したもの、2つの胎児が背中合わせにくっついたもの……。
人間の姿になれなかった異形の者達には、「サイクロプス症」、「人魚症」など、神話世界に登場する怪物の名前のついたラベルが貼られていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、……」
あたしは呼吸を整えながら、心を落ち着かせた。
反対側の棚には様々な人体の部分が無造作に並んでいる。屍蝋化した乳房、いぼ状の腫瘍で一面に覆われた腕、干からびた頭部……。
あたしは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。ざわざわする感覚が足元から這い上がってくる。その感覚に必死に耐えながら、ゆっくりと奥へ進んでいった。
懐中電灯の灯りに照らし出された、前方を行くディーの横顔を盗み見るも、怖がっている様子は微塵もなく、むしろこの状況を面白がっているようなのが、ちょっと憎たらしかった。きっとあたしを驚かせようと思って連れてきたのだろう。
天井に近い壁には額に入った観音菩薩の絵が掛けられている。
だがよく見ると、それは人間の皮膚に直接描かれたものだった。刺青だろう。
部屋の隅には人間の背丈ほどもある、前面にガラス戸の付いた、細長いロッカーサイズの木製ケースが置かれていた。
中には身体の縦方向の真ん中のライン、つまり正中線で真っ二つにされた初老の男性の全裸標本が入っている。どうやって立っているのかは謎だ。
「うひぃ……」
あたしはなるべくケースの方を見ないようにして前を通り過ぎ、部屋の角を曲がった。
両側のキャビネットの中身はいつしか人工物のコーナーになっており、あたしはちょっとほっとしたが、相変わらず気味の悪いものばかりだった。
心臓や肺や脳の模型、針金で出来た冠動脈や脳の大動脈の模型などの人体模型があるかと思えば、反対側にはエジプトのミイラ造りで内臓を入れたといわれるカノポス壷、胎児用のミイラの棺など、古代の埋葬品が陳列されている。いったい何処で、誰が手に入れたものやら。
更に奥には書棚もあり、分厚い教科書のようなものや、最新の雑誌など、様々な本が並んでいた。
「ここに、ボクたちの正体を知る鍵があると思うんだよ」
ディーは背表紙をこちらに向けてずらっと整列している本の群れを懐中電灯でちょんと突いた。一体どういうことだ?




