8、僕はその頃もういないから
サンノゼで乗り換え、出発から十五時間近いフライトの後、ようやく成田にたどり着いた。
入国審査を済ませて空港の外に出ると、ほっとした気分でぼんやりと外を眺める。
喫煙所の前では、僕と同じようにスーツケースに腰掛け、放心したように煙草を吸う人々が集まっていた。
あちらを出た時は、とても暑い日だったのでTシャツ一枚だった。けれど、東京はそうでもないらしく、コートを着込んだ人々ばかりで、その場で僕はちょっとばかり浮いていた。
そのうち、嫌でもこちらの気候にも馴染んでくるはず、と僕は思い、わざわざスーツケースからコートを引っ張り出すのをやめ、二本目の煙草に火をつける。
長時間の禁煙を強いられたせいなのか、周りは僕のように何本も吸い続ける人々ばかりである。
嬉しいような、少しもったいような、不思議な気分が入り混じり、僕はしばらく人々の行き交う姿を観察していた。
「この辺にいるかと思ったら、やっぱりそうだった」
ほんの少しだけ、懐かしい声が、僕の背後から聞こえる。
姉の加奈子が携帯電話を握り締め、もう片方の手で姪と手を繋ぎ、上から下までじろじろと僕を見ていた。
「後で電話しようと思ってたんだけど、探してくれたの、ありがとう」
僕はすぐさま煙草をもみ消すと、小さな姪の頭を撫でた。
「ナオくん、寒くないの。変なの」
姪のあやは、来年から小学生だった。幼稚園児とはいえ、しばらく見ないうちに、少し大人びたように見える。
「大丈夫だよ、暑い国にいるから、ちょっとくらい寒くても平気」
馬鹿ねえ、と姉は言い、顎で駐車場を指し示した。
僕はあやをスーツケースの上に乗せ、駐車場に向かって引っ張った。
おとさないでよ、と姉に睨まれ、僕とあやはにやりとする。
「あやにおみやげがあるんだよ」
あやは嬉しそうに、またがった足でどんどんとスーツケースの腹を蹴り、またしても姉に怒られる。
「あんた、ちゃんとスーツ持って来てるんでしょうね、ホストっぽくないやつよ」
あるよ、と僕は言い、ごろごろと音を立ててスーツケースを引っ張る。
「本当かな。後で見てあげる。駄目だったら、うちの旦那のを着ればいいわ」
姉は、疑り深い眼差しで、僕を振り返った。
実家に帰る代わりに、今回は姉の家に滞在する予定になっていた。
「いいけど、あんたわかってる?日本の結婚式がどんなものか、わかってる?お願いだからいかにも水商売みたいな格好はやめてよ。恥ずかしいから」
姉の小言は、右から左へと流すのが常だったが、姉から見たら、相当恥ずかしい弟だったのだろうと、今ではなんとなくわかる。
若い時の思い込みの激しさといったら、僕自身、思い出すと時々赤面しそうになる。
仕事帰り、実家に帰るのが面倒になると、仕事場から近い姉の家に行くことも度々あった。
「どうせ帰ってくるなら、昼くらいに帰ってくればいいじゃない。明け方そんな格好で帰ってくるなんて、いかにもって感じよ。ご近所にばればれなのよ、恥ずかしいのよ」
二言目には、恥ずかしい、と僕に言う姉だった。
義兄の大介さんは、そんな僕を庇って「ナオ君は信念持って水商売やってるんだからいいじゃないか」と言ってくれていた。
僕のせいで、しなくてもいい夫婦喧嘩がたびたびあったのは知っている。
ごめんなさい。
バックミラーに映る姉の顔に無言で謝罪し、僕はあやと一緒に後部座席に座った。
***
都内にある姉の家に到着すると、大介さんは既に帰宅していて、僕のために食事の用意をしてくれていた。
「機内で朝御飯食べたばかりだろうから、軽めの食事にしておいたよ」
できる男、と僕はにやりと笑って大介さんを見た。
テーブルの上の、胃に優しそうな本物の和食に、僕は感激もひとしおだった。
「蕎麦なら、大晦日に食べればいいのに」
姉が不満そうにぶつぶつと言っている。
「だって大晦日にはいないだろ。前倒しで、いっぱい食べてもらわないと。薬味もいっぱいあるからね」
季節外れにもかかわらず、わざわざ僕の為に大葉やミョウガ、刻んだ青唐辛子まで用意してくれている。
大介さんの作る蕎麦は、冷水でしめた蕎麦を、温かい汁でいただくスタイルだ。
朝食なのか、夕食なのかわからない機内最後の食事はラザニアだったが、蕎麦ならいくらでも入りそうだった。
僕らはビールを飲みつつ、蕎麦や手作りの焼き鳥をほおばった。僕はどうやら、本物の長葱の味を忘れていたらしい、とねぎまを食べながらしみじみと思った。
あっと言う間に食事が終わった綾は、僕のスーツケースを開け、お土産を物色し始めている。
シュガーケインの箱を見つけ、さっそくツリーに飾ると言った。
姉の家にあるクリスマスツリーは、僕のツリーよりふた周りほど小さかったが、狭い日本家屋では、仕方の無いことなのかもしれない。
十二本あるシュガーケインを全部ぶらさげると、なんだか重みで倒れてしまいそうな、弱々しいツリーだった。
僕はビールを飲みつつあやを手伝う。全部じゃなくて四本くらいだね、と言いながら、一本口に咥える。ミント味の飴だけど、妙にビールに合う。そう姉に言ったら、またもや嫌そうな顔をされた。
姉と僕とでは、細かいところで感覚が随分違うようだ。仕方が無い。
「これも綾のだよ。少し早いけど、クリスマスプレゼント」
あやはとっくに、サンタさんはいないという事を知っていたので、こちらとしても気が楽だった。
大きな包みを手渡されたあやの、不用意に紙を破らないよう、丁寧に包みを開ける幼い姿に、僕はまたもや感動していた。
いつだか、知り合いのアメリカ人の子どもにプレゼントをあげたら、その子は何のためらいも無くびりびりと包み紙を破き、僕は苦笑いをしたものだった。
国民性なのだろうか。それとも神経質な姉の教育の賜物なのだろうか。その辺りは僕にもわからない。
「でっかいくま!背中に羽が生えてる!」
あやが興奮して、妖精バージョンのくまの上にダイビングした。
たかがくまごときで喜んでくれて、こちらとしてもわざわざ持って帰ってきた甲斐があったというものだ。
実際、僕のスーツケースの中身はわずかな着替え以外、ほとんどがあやへのおみやげだったのだ。
「まだあるんだよ」
姉がかすかに眉をぴくりと動かし、険しい顔をしている。
「あげすぎよ。まだあるの」
「当たり前だろ。アメリカの子どもは、いっぱい、いっぱい、プレゼントを貰うんだよ。一個だけなんて可哀相じゃないか。我慢させるっていう文化は、もうそろそろいいんじゃないの。第二次世界大戦は終わったんだよ」
大介さんは、面白そうにビール片手に僕達を眺めていた。
それから僕とあやは、次々と包みを開け(最後は僕が率先して包装紙を破いて捨てた)あやと一緒に遊んだ。
「美女と野獣」のベルのドレスに身を包み、くまを抱っこして、背中にバービーのラメだらけのロゴの入ったピンクのリュックサックを背負い、あやは満足そうだった。
そのリュックサックの中には、僕が数ヶ月かけて集めた、ハンバーガー屋のキッズコンボのおもちゃが、たんまりと詰め込まれている。
「あや、そんなに貰ったら、もうパパとママのクリスマスプレゼントはいらないな」
大介さんの意地悪な問いに、あやは「日本のおもちゃは貰ってないもん!」と泣きそうな顔になった。
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キッズコンボ=ハッピーセットです




