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22、NY, NY

「今年の年末年始は日本に帰ろうかと思ってるんだ」

 と「ミドリ」のオーナーが言った。

 そうなると、急に独り身のウィンター・ホリデーの過ごし方が途端に寂しいものとなる。

 僕に身寄りがないと知っているから、あちこちから「是非いらっしゃい」と感謝祭からクリスマスにかけてのお誘いがかかるのが例年だった。

 一人ぼっちと思われるのも嫌でバイト尽くしにしていたのに、すっかりあてが外れてしまった。


 一人でぼんやりと過ごすのも嫌いではなかったし、ファイナル・ステーションに行けば、家族のもとに帰れないたくさんの人達もいる。

 どうにかなるさ、とあまり深く考えないようにしていた矢先、千沙さんから連絡が来た。


「来年は私もNYにおるかもどうかわからんし、遊びにくるなら今やで」

 と相変わらずのんびりした調子で千紗さんは言った。

「暇になったし、卒業旅行のつもりで、行きます」

 と僕は即答した。


 その話を十二月も半ばになりかけた頃、ジェラルドとぽつぽつと会話をしているうちに、突然彼は、こう言った。

「僕も一緒に行っていいかな」

「いいけど、クリスマスは家族と過ごさなくてよいの?」

「うちは仏教徒だし、むしろ大事なのは旧正月だよ」

 NYは子どもの頃一度行ったきりだし、是非ともお供したい、とジェラルドは淡々と僕に言う。


 ジェラルドと一緒に日常を離れてどこかへ行けるなど、現実からほど遠かったせいか、僕にとっては晴天の霹靂だった。

 僕はしばらくぽかんとしていたが、ジェラルドは気を回しすぎたのか、「邪魔ならいいんだ」と控えめに言う。

「邪魔なんかじゃない。ただ、いいのかな、って思って。クリスマスはとても大事なんだろ?日本人には、カップルイベントだから、俺は家族なんてどうでもいいんだけどね、でも君達はどうなのかなって」


「言っただろ。アメリカ人だって、いろいろいる」



***



 ミッドタウンにある千紗さんのアパートメントに行くと、くすんだ金褐色の髪の男が出迎えてくれた。

「千紗はちょっと買い物に行ってるけど、すぐ帰ってくるよ。それより寒かっただろう?南は今日も、TシャツでOKだろ?」 千沙さんのルームメイト及び、恋人らしき男性であった。

 テツヤさんのことはどうなったか、僕は皆目見当もつかなかったが、美しい千紗さんが清く正しく真面目に一人というのも、もったいない話だ。

 僕はその人、シルヴァン・マッケイ氏と固い握手を交わした。


 彼が偶然D市の出身ということもあって、僕達はしばらくコタツの中でD市の話で盛り上がっていた。

 NYでコタツというのも、オツだ。

 シルヴァンは日本に少しだけ留学したそうで、その時に感銘を受けたコタツに長年思いをはせていたそうだ。

 日本人の千沙さんと冬を迎える為に、通販でコタツを取り寄せたらしかった。


「機能的かつ、癒しすら与えてくれる素晴らしいテクノロジーだよ」

 とシルヴァンはコタツの素晴らしさを、ジェラルドに向かって延々と説明していた。

「お茶、飲む?」

 と熱湯で淹れた緑茶を僕達に振る舞い、ちぐはぐな日本びいきの彼と、僕はすっかり意気投合する。

「薪を買うのも面倒だし、煙突掃除も僕は好きじゃない。来年はコタツにしてみようかな」

 と一時間ほど経った頃にはジェラルドでさえも、コタツの魔力に若干とろんとした眼差しで口走りはじめていた。


 そして、主の千紗さんが大きな紙袋を抱えて部屋に戻ってくるなり、僕に飛びついてきた。

「ナオちゃん、久しぶりやなあ!」

「いつの間に、こんな男前の彼氏捕まえてたんですか」

「それを言うならナオちゃんもや。ジェラルドと仲良う旅行なんて、いつからそんな二人は親密な関係なん?」

  

 千紗さんのブルー・ブラックの長い髪が僕の頬に触れ、僕は少し舞い上がった目で千沙さんを見ていた。

「そうや、きちんと紹介してや。それに、えらい綺麗な子やん。こういう子、NYでは売れるで」

 コタツから一歩も出られなくなっているジェラルドをまじまじと眺め、千紗さんは僕の耳元でやり手の女衒のごとく囁く。

「こいつは全然、そういうこと考えてませんから」

「その辺歩いてたら、いろんなエージェントから声かけられるのになあ」


 その日は週末ということもあり、近所の蚤の市に案内してもらうことになった。

「真冬のNYでフリマに行く。その意味、わかってるよな?」

 とタイツを二枚履きにして、なおかつマフラーを二つぐるぐる巻きにしている千紗さんを眺め、ジェラルドは終始あっけにとられていた。

「これが終わったら二百八十丁目や。それで晴れて年越しやねん」


 ハーレムの更に向こう側へ行くなど、滅多にない機会だった。

「千紗は、ちょっと変わってるね」

「何故?」

「アメリカ人なら、そんな危ないことしない。アメリカ人は、君達以上に恐ろしく保守的なんだ。ましてや彼女みたいに綺麗な人がうろうろするなんて、とても正気とは思えない」

 ドミニカ系の移民が大半を占めるワシントン・ハイツへ出向くのはちょっとした冒険であり、移民の二世であるジェラルドにさえためらわれるらしい。

 D市内でさえも、出身国ごとに自然と住み分けがなされており、ジェラルドは当然、ベトナム系の人の集う居住区に住んでいた。


 僕達日本人は、時折恐ろしいほど無鉄砲で、アメリカ人からしたら考えられないような大胆な行動に出ることも多いらしい。

 実際、無知は怖い。

 当時の僕や千紗さんは、知らないからこそ何処へでも行きたい場所へいけた。

 完全に千紗さんの影響を受けていた僕は、一人でひょいひょいと何処へでもでかけた。

 僕のお供をするたび、「初めて」とジェラルドが言う時が何度かあった。

 ファイナル・ステーション周辺のゲイタウンも、ジェラルドの「初めて」であったことだし。 


「堂々としてたらええねん。何が悪いんや。私は一度も、そんな危ない目におうたことあらへん」

「…それは、千紗が美しすぎるからだよ。君みたいな人が街を歩いていたら、誰もがひれ伏すに決まってる」


 ソーホーの一角にあるマーケットでも、やはり千紗さんは道行く人の視線を集めていた。

「They are admiring her beauty」

 と、ジェラルドはその光景を感心したように眺めている。

 僕は、大学でさんざんその光景を見てきたせいか、何も感じなくなっていた。

 千紗さんの魅力は、単に見てくれだけではないように思える。

 生命力に溢れ、自立した女性のかもし出す凛とした美しさがそこにはあった。


 帰りが飛行機ということもあり、骨董品らしきものは買えそうになかった。

 NYを体感して帰ろう、と僕は早々にフレンチフライの屋台で休憩をとることにした。

 その間、千紗さんは次から次へと露店を回り、何かを探している。


 僕は大きなフレンチフライをジェラルドとほおばりながら、一応ボディーガードのつもりで千紗さんから目を離さずにいた。

「仕事はいつから?」

 あげたてのポテトを口の中で転がしながら、ジェラルドがなにげなく言った。

「四日からだよ。卒業できてよかった」

「全くだ。いろいろあったけど」


 年明けから僕は航空会社のオペレーターの職が決まり、D市のラバーズ・フィールド空港内の事務所に勤務することになっていた。

「よかったね、本当によかった」

「こんなに早く決まるなんて思ってなかったんだよ。本当はひと月くらい遊んで暮らそうかと思ってたんだけどね」

「僕も、どこかに就職しようかな」

 僕以上に仕事の選択肢があるにもかかわらず、なぜか「ミドリ」のスタッフとして働くジェラルドである。

 僕は就労ビザがもらえる職種が限られており、正直なところ、一日たりとも無駄にするわけにはいかなかった。

 期限のない自由を与えられていれば、ジェラルドのように気楽に構えていられたのかもしれない、と彼をうらやむ気持ちは大きかった。


「何か、やりたいことあるの?」

「よくわからない。ナオキみたいな性格だったらよかったって、たまに思う」


「…俺?」

 不意打ちのような言葉に、僕はうろたえてしまった。

 人をうらやむことはあっても、人からいいなと思われるような人生じゃないと重々承知していたから、なおさらだ。

「涼しい顔して、大胆だから。前向きだし、常に新しいアイデアに溢れてるし。僕は決まったことしかできないから、余計にそう感じる」

「それは誤解だよ。あがいて模索して、なんとしてでも生きていく術を探しているだけなんだ。俺がこの国で生きていく道を探しているだけなんだ。だから手当たり次第に見えるのかもしれないけど」

 どうしてこういう時に僕達日本人は、素直に「褒めてくれてありがとう」って言えないのだろう。


「ナオキが言ってくれなかったら、僕はNYに来ることすら思いつかなかったよ。だから、ありがとう」

「むしろ千紗さんに感謝だと思うけど。あの人は俺なんて足元にも及ばないくらい、強くて立派な人だよ」

 NYの身を刺すような風に髪をなびかせる千紗さんを、僕はじっと見つめていた。

 照れ隠し半分の僕の言い回しはジェラルドも慣れているせいか、それ以上は何も言わなかった。

  

 その後、僕達は千紗さんに案内されて二百八十丁目へと出かけた。

 町全体の景色は、古いヨーロッパ映画のように古ぼけていた。

 営業しているのかどうかも不明なほどにぼろぼろなガス・ステーションの横を抜け、千紗さんは両手のカートをがらがらと引きながらひたすら前進していく。

 古くて背の高いアパートメントの立ち並ぶ一角に、千紗さんの目的地である倉庫があった。


「……千紗は、何をしようとしてるの」

 倉庫の中に足を踏み入れるやいなや、自分よりも高い、山のようにつまれた何かを見上げ、ジェラルドが呆然と呟いた。

「お宝の山やで。二人とも、マスク外したらあかんで」 

 山の頂上まで慣れた様子で登りつめ、そこから千紗さんの仕事が始まった。

 ものすごい勢いで手にした服を選別しては、瞬時に放り投げる。


「彼女はバイヤーなんだよ。日本のセカンドハンズ専門の店に衣料品を卸してる」

「これ、ゴミにしか見えないんだけど」

 だよね、と相づちを打つ僕に向かって、千沙さんが大声を上げた。

「ナオちゃん、ハッシュパピーの片方探して!紫のやつや。なんで紐で繋げとかんのやろな!こいつらアホやな、相変わらず」

 僕に向かって放り投げられた片側だけの靴を受け取ると、僕も渋々山を登り始めた。


「ナオキ、僕、目が痛くなってきた」

 ジェラルドが見たこともないような弱りきった眼差しで、僕らを見上げている。

「外で待ってれば」

 僕は服の山をひたすらかき分け、紫の靴を探し続ける。

「嫌だよ、誰かに絡まれたらどうするんだよ」


「なんや、見た目と違うて、足手まといな子やなあ。あんたの話とえらいギャップあるやん。気の強い子やと思うてたのに」

「でしょ、意外と、か弱いんですよ」

 なるほどね、と言いながらも千紗さんの手さばきに衰えは見られなかった。

「二人で何話してるの。日本語禁止!」

 ふてくされたジェラルドを見下ろし、僕はにやりと笑って叫び返す。


「ジェリーが、キュートだってさ!聞いてた話と違うって」

「僕の何を話したんだよ!」

 マスクの下で、顔を赤らめているのが遠目にもわかる。 

「知りたかったら、ここまでおいで!」

 ジーザス、と忌々しげに呟きながら、観念したようにゴミの山を駆け上がるジェラルドを、僕達はにやにやしながら眺めていた。




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