17、僕らの挑戦
あっという間に期末試験が終わり、長い夏休みが始まった。
といっても、一日も早い卒業を望む僕は、夏休み返上で授業を受け続けている。
他のみんなも何故か一向に夏休みを取ろうとせず、鬼気迫るほどに単位にこだわる僕に感化されてしまったのか、いつもよりサマー・タームの音楽学部は賑やかだ、とカービィは言っていた。
何度取っても落第してばかりの物理やスピーチのクラスを取り、インターンの単位を取る為に、ファイナル・ステーションの音響スタッフのアルバイトも始めた。
単位を取りながら尚且つ給料まで出る、実に素晴らしい仕組みだ。
僕がファイナル・ステーションのスタッフになると聞いて、カービィは「うーん」と唸っていた。
「他のクラブは、他の子たちで埋まってるみたいだし、ファイナル・ステーションしか残ってなかったんだよ」
やはり、ゲイクラブだというのが引っかかるのだろうか。
「よかったらカントリー・クラブのスタッフでも紹介しようか。どちらかというと、ウェイターの仕事の方が比重が多いんだけど」
カービィは顎に手をやり、困ったように僕を見た。
「何か問題でも」
「いや、一応、勤務先も報告しないといけないし。…ミス・ローナは君がお気に入りだから、ゲイクラブで働いていると知ったら発狂してしまうかもしれない」
「いいんですよ、それで」
あれからミス・ローナが個人的に僕を食事に誘ってくれることが数回あったが、全て校内のカフェテリアのランチですませていた。
酒が入ったらまた何か失態を起こすかもしれないと僕は警戒し、あくまでも感じの良い学生であるべきだ、と心に固く誓っていた。
「ナオキ、お昼を食べにいこうよ。メキシカンでいいかしら」
モニカが絶妙なタイミングで、開きっぱなしのドアの影から、小さな顔を覗かせた。
もちろん、と僕はモニカに答え、「それじゃあよろしく」と言い残すと、わざとらしくモニカの肩を引き寄せた。
「盾なのか弾幕なのか知らないけど、私で役に立ったのかしら」
「うん、ごめんね。ありがとう」
謝りながら礼を言う僕を、モニカはいつものように首をすくめて見上げた。
「ミス・ローナが嫌がるって、そんな個人的なことを言われてもね。まさか単位くれないなんてことになったらどうしようかな」
「それはないでしょ。ナオキって、やっぱり、男の人と付き合った方がいいのかも。ろくなのが近寄ってこないわ」
親子ほど年の離れたミス・ローナの姿を思い浮かべ、僕はげんなりした。
隣にいる美少女は恋愛対象外だし、僕はつくづく、恵まれていない。
駐車場でティムと出くわし、ランチに行くという僕達に彼は「エンジョイ」と一言言った。
平静を装うティムと、少し悲しげに見えるモニカを眺め、僕は無言でドアを開け、モニカに「どうぞ」と言った。
いい機会だ。
二人きりになる時間も、最近はあまりなかったことだし、食事がてら聞き出してみよう、と僕はティムにこっそりと目配せをした。
ティムと一瞬だけ視線が交錯し、彼はほんの少しだけうなずいた。ように見えた。
***
「さっき、ティムとこそこそしてたでしょう。知ってるのよ。聞きたいことがあるなら、聞けばいいじゃない」
「いや、その、気を悪くするんじゃないかと思って」
「聞かれて困ることなんて何もないわよ。ナオキのそういう、変な気遣い、好きじゃないわ」
モニカは不機嫌そうに、わざとらしく僕に向かって煙草の煙を吹きかけた。
「やっぱり駄目なのかなって、ティムが前に言ってたんだ」
「駄目というか、友達以上にはなれないって、この前はっきり言ったわ」
一度クラスの数人で、ステレオラブのギグを見に行ったことがある。
僕やモニカ、ブライアンやティム達で、ショーの終わった後に食事をし、方向の違う僕とブライアンはその場でさよならし、ティムはモニカを家まで送ると言っていた。
お邪魔虫は消えよう、と僕らは飲みなおしに他のバーへ出かけ、二人がどうなるかと酒のつまみにしていた。
次の日、僕達はわくわくしながら、首尾よい返事をもらえたのかどうか、と尋ねた。
ブライアンがおっとりした口調ながら、「それで?」「それから?」と次々に切り込んでいく。
「車の中でね、一応告白したんだけど、モニカが変な顔してて、というか、迷惑だったのではないかとすら思えてきて」
「それだけ?キスの一つもしなかったの?」
慎ましやかな僕は、そこまで聞けない、と思いながら、ブライアンを畏敬の念を込めて眺めていた。
「うん、したけど……まるで手ごたえがないというか、その時は『学校で会いましょう』で終わっちゃったんだ」
ゴッド、とブライアンは呟き、黙り込む。
「ここにはモニカしか女の子はいないけど、一歩外に出れば、そこら中に溢れてるんだから」
その慰めは、今のティムにはきついだろうと僕は思ったが、黙って二人の話を聞いていた。
文字通り、頭を抱えてベンチに座り込むティムのひときわ大きな体が、今日はとても小さく見える。
「気になって仕方がないなら、二人できちんと話した方がいいよ。今の話だと、モニカがどうしたいのか全然伝わってこない」
僕は偉そうに助言するが、それはかつての苦い経験を思い起こしてのことである。
そうだね、とブライアンは僕に同意し、今にも降り出しそうな曇り空を見上げた。
「ナオキはモニカと仲いいでしょ。あれから、電話かかってこなかったの?」
全然、と僕は言い、「かかってきたかもしれないけど、あれから長いこと飲んでたし」とブライアンが代わりに言った。
僕は、点滅し続ける留守番電話を無視したままベッドに倒れこみ、そしてそのままにして登校してしまったことを思い出し、しまった、と思わず冷や汗をかく。
「まあ、そのうち、彼女と話すよ」
しょぼくれるティムを、哀れむような眼差しでブライアンが見つめ、話はそこで終わった。
しかし、それからの二人の微妙な距離感に、僕達は居心地の悪さを感じつつ、数週間が経った。
「でも、ティムはまだ納得してないというか、君にふられたことを受け入れたくないのか、ようするに、ふっきれてないみたいなんだ」
あ、そ、と素っ気無い返事を返し、モニカは運ばれてきたエンチラーダに大量のタバスコを振り撒いた。
ただでさえ唐辛子ソースまみれになっているエンチラーダが、タバスコによって完全に姿を消した。
「あんな狭い世界で恋愛なんて、私は嫌なの。大きい学校ならともかく、何しても筒抜けみたいなところ、気まずくてしかたがないわ」
「理由はそれなの?」
「そうじゃないけど。だから、ティムは友達なの。ナオキやブライアンと同じようにね」
そうか、と僕はモニカの迫力に気圧されながら、お気に入りのビーフ・ファヒータの包みを開く。
それ以上でも以下でもない、との答えをもらい、やはり僕はそのままティムに報告するしかないようだ。
「でも、ナオキの方が好きかな」
え、と思わず手を止めた僕に、モニカは楽しげに微笑んだ。
「面白いんだもの。意外なところでむきになるし、物静かな人かと思えば、クレイジーなところもあるし。ゲイの人って、面白いよね」
「だから俺は、ゲイじゃない」
少し声が大きかったのか、そばにいたウェイターがさぐるような視線で僕を凝視している。
僕はビッチ、と軽口を叩きながらファヒータにかじりつき、モニカは嬉しそうに両手に持ったナイフとフォークをちらつかせていた。
***
「ということだそうだ。残念だけど、それ以上は聞けなかった。オーバー」
「ここですっぱり、諦めなさい。オーバー」
スタジオのブースに一人立ち、憮然としているティムの「シット」という声がモニターから流れてきた。
僕とブライアンは、共同制作のコマーシャルのナレーション録りをしている。僕ら二人はヘッドセットをしてコンソールの前で腕組みし、時折ガラス越しにティムの様子をうかがった。
「その今の気持ちを、ナレーションにぶつけなさい。オーバー」
ブライアンが真面目な口調で言い、カチカチとマイクのオンオフを繰り返す。
「全然関係ねえ内容じゃねえか!楽しい家族の団欒だろーが!オーバー」
「そうだよ、あんまり暗い声でやられても困るよ、オーバー」
僕はヘッドセットを外し、隣のブライアンにあまりあおらないで、と目配せする。
僕達はおふざけは終わりにして、真面目にワンテイクめのキューを出す。
思ったとおり、ティムの海溝の底まで響くような低音が、いつもよりさらにおどろおどろしいものになっている。
「真面目にやって。オーバー」
「やってるだろーが!ファック!」
今日はいいテイクが録れる気がしない、と僕はぼんやりと思った。
「いい、これはコンペに出すんだよ、本気でお願いね。君なら大丈夫、絶対にいける」
ブライアンが猫なで声を出し、枯れかけたティムの心を奮い立たせようとしている。
ちらりとガラス越しにブースの中を覗くと、ティムが鬼のような形相でこちらを睨んでいた。
「千ドル山分けだよ、オーバー」
僕もできるかぎり優しい声で語りかけ、ティムの心が少しでも穏やかになれるよう、努めた。
和やかな家族がバーベキューを楽しむ、アウトドア製品のコマーシャルだ。
実際にラジオで流れるコマーシャルのコンペに、時々この学校からも参加していた。
ナレーションはその素晴らしいバリトンを持つティムしかいない、と僕は力説し、まんざらでもなさそうなティムは「そうかな」と照れながらも気分をよくしたのか快諾してくれた。
僕らはその後、何十というリテイクを暴言を交わしながらも繰り返し、その日どうにかナレーションを録り終えた。
あれほど罵り合っていたことも忘れ、最後僕達は固い握手を交わした。
結局コンペは通らず僕達は1000ドルを逃すことになるが、ティムの二十とは思えない、落ち着いた渋い声が評判を呼んだらしく、卒業後彼は、ボイス・アクターとして活躍するようになった。
それでも彼が今も趣味でバンドを続けていると知り、僕はちょっと嬉しかったりもする。




