11、Happy New Year, Gerald
話は、僕が学生だった頃に戻る。
僕はアツシさんの披露宴で、緊張しながらピアノを弾き、そして再びD市に戻っていった。
その時間は、とても楽しいものだったけれど、敢えて割愛させていただく。
ただ、気が付けばその日は朝まで、客がいないのにもかかわらず、皆が競うように営業モードで飲み続けていた。
僕も久しぶりにそのバトルに参加させてもらい、楽しかったとだけ、ここに書いておく。
「しばらく戻って来れないけど、みんな元気で」
見送りに来てくれた姉一家と、滑走路を眺めながらコーヒーを飲んで時間を潰した。
「宅急便だけ送ってくれればいいわよ。フレーバーコーヒーと、ジャンバラヤミックス。ガンボミックスはもういいわ」
僕が振舞ったガンボスープは、姉の口には合わなかったらしい。
わざわざ横浜まで出かけてザリガニを仕入れ、正しいガンボを作ったつもりだった。
大介さんは喜んでおかわりしてくれたけれど、姉は「それはザリガニだよ」と僕が言った途端に、僕の手料理を拒否した。
「ザリガニじゃなくて、ソーセージガンボも定番だよ。それにすればいいじゃん、大介さんも好きだって言ってるし」
大介さんが、意地悪そうにうんうんと相づちを打った。
「とにかく、あのスパイスの匂いをかいだだけで、もうザリガニしか頭に浮かばないのよ。他にもおいしいもの、あるでしょ」
ないな、と僕は即答した。
もともとは、和食大好きな僕がやっとめぐり合えたソウルフードなのに、そこまで拒否されると悲しくなってくる。
「パパとザリガニ釣り行く約束したの。それでスープ作るの」
あやがきらきらした瞳で僕に訴えた。
「あや、ザリガニは食べ物じゃないのよ」
姉がため息まじりに、あやを諭していた。
「子どもが混乱するから、そういう説明はどうかと思うけど」
僕が不満げにぼそりと呟くと、姉はお黙んなさい、と僕をひと睨みする。
「五月なんて、あっという間だけど、本当に帰ってこないの」
大介さんが、不協和音を奏でる僕らを気遣って、新しい話題を振ってくれた。
「うん、夏も学校に行くよ。バイトもあるし。冬も短いからね、そうなると……どれくらい帰って来ないんだろう」
ぼんやりと空を見つめる僕を、姉は「他人事みたい」と相変わらずの苦りきった顔で評する。
「決まりだもん、しょうがないだろ」
僕は、卒業した後も、アメリカで就職する旨を、なんとなく姉に伝えていた。
当時の就労ビザ発給の法律では、申請する外国人に対して、アメリカからの出国に制限がかかっていた。
姉も大概頭の固い人間だが、母親に説明するよりは数段物わかりがよかった。
それでも姉を納得させるまで、数日を要したのだけれど。
何故姉がそこまで日本にこだわるのか、僕にはわからなかった。
そもそも手元に置いておきたいほど、僕を可愛がっているようにも見えない。
「日本に帰ったって、俺なんか大卒扱いしてもらえないんだから、それだったらあっちで仕事探すよ」
僕のその言葉で、姉は納得したようだった。
そんなものだ。姉の態度がこの社会の仕組みを、非常にわかり易く物語っていると思う。
姉が嫌いなわけではないが、僕らの間に最も深い価値観の溝が出来上がっていたのは、この時だったと思う。
結局あまり姉に受け入れてもらえないまま、僕らは数日間過ごした後に再び別れた。
けれどこの時僕は、さほど傷ついてもいなかった。
血の繋がった家族でも、わかり合えない部分はあるのだから。
家族でもなんでもないけれど、ジェラルドがいるから僕は平気だった。
その頃は深い所でそんな安心感があったなどと、僕は認識していなかった。
けれど当時若かった僕の、異文化に対する違和感や人生観を、否定しないで受け入れてくれたのは、ジェラルドだけだった。
僕の気を悪くしないよう同意してくれる人々はたくさんいたけれど、真面目に僕を受け止めてくれていたのはジェリーだけだったんだ、と思い込んでいるのは、惚れた弱み、思い出を美化しているからなのかもしれないけれど。
***
僕がD市の空港に降り立つと、ジェラルドが僕を迎えに来てくれた。
ジェラルドのアパートにそのまま立ち寄り、彼女が好きだという日本のチョコレートや、マヨネーズを献上し、無愛想な彼女の懐柔を図る。
彼女は日本のマヨネーズが大好きだと聞いていたので、持てるだけスーツケースに詰め込んだ。
ジェラルドには、萩焼の綺麗な桜色のおちょこをおみやげに選んだ。
ジェラルドが日本酒を飲む時の、おちょこに両手を添える仕草がとても微笑ましかったので、気が付けば僕はそれをおみやげに選んでいた。
その後はバイト三昧の日々が続き、大晦日も「ミドリ」のカウントダウン・パーティーで、僕達は大忙しだった。
お客さんが買ってくれたビールや日本酒を飲みながらも、僕達はせわしなくホールをかけめぐった。メイもこの日は手伝いに駆けつけ、久しぶりに三人揃って、僕は嬉しかった。
日付が変わると同時に、僕達は「Happy New Year!」と口々に言い合い、お客さんもスタッフも思い思いに抱き合った。
頭から、サッポロビールの瓶を振りかけているおじさんがいて、後で掃除が大変そうだ、と僕はぼんやり思った。
メイはめいっぱい大きく口を開けて笑いながら、お客さんの様子を眺めていた。
この子は、笑っているのが本当によく似合う。
そして対照的にジェラルドは、と言いたいところだが、この日はジェラルドも違っていた。
酒が入っているせいかもしれなかったが、(ジェリーは日本酒に弱かった)とても綺麗な赤みを帯びた白い横顔が、ふわふわとした僕の視界に入り、僕はその時初めて、ジェラルドの美しさにどきりとした。
ジェラルドは僕の視線に気付き、疲れと酔いが入り混じった微笑をこちらに向け、今までに見たこともないようなとても自然な振る舞いで、僕にゆっくりと近づいてきた。
そして「Happy New Year」と強くもなく、弱くもない不思議な柔らかさで僕を抱きしめた。
普段は、とてもとても怖そうなジェラルドが、自分から抱きついてくるなど、そうそうあることではない、と、僕の驚きは数倍だった。
僕は、一気に酔いがさめていくのを感じつつ、「お、おめでとう」とうろたえながら答え、ジェラルドの頭をぐしゃぐしゃと撫で、勢いでおでこにキスをした。
それをじいっと見ていたメイが、「私も、私も!」と大騒ぎしながら、僕達二人に抱きついてきた。
楽しい日だった。
何度も言っているかもしれないけど、僕はその日を、一生忘れない。




