■15.九六艦戦、最後の雄姿。
民主共和国連邦軍はエルマ村に対する攻勢準備を始めつつ、この方面に第1航空連隊を初めとする航空部隊を集結させつつあった。
制空権の奪取に本腰を入れ始めたのである。
以前から投入されてきたI-16戦闘機は勿論のこと、新たにYak-3戦闘機や双発爆撃機が前線航空基地に配備された。このYak-3戦闘機は1943年から44年にかけて初飛行と生産が行われた機体であり、ソ連製戦闘機の中では優秀な部類に入るものである。パナジャルス王国軍が戦闘機を運用しているという事実を知ったソ連軍事顧問団が本国に連絡し、急遽取り寄せたものだった。
「おそらく大日本帝国海軍の残党か、米国が裏で糸を引いている」
ソ連軍事顧問団は確信を深めていたが、さりとてこれ以上何かが出来るわけでもなかった。ソ連邦における最高指導者がこの異世界により積極的な姿勢を示せば、全ては解決する。兵器供与や軍事的教育といったまどろっこしいやり方ではなく、ソビエト連邦軍があらゆる敵対勢力を叩き潰し、根絶やしにした上で民主共和国連邦をも解体するであろう。
だがしかし、現在のところ彼の興味は東欧といった既知世界に向いている。むしろ彼が抱える猜疑心が、異世界に対して消極的な姿勢を持たせているのかもしれない。異世界に送ったソ連軍事顧問団や、ソビエト連邦軍の部隊が現地で軍閥化するのではないか、と危惧してもおかしくはなかった(“かもしれない”“おかしくはなかった”とは、誰も彼の心理を正確に読み解くことが出来ないからである。無論、もしかすると彼にもう正常な思考はないのかもしれないが)。
とりあえず民主共和国連邦と信頼関係を築き、この未知世界の情報収集、そして西側諸国がこの世界の存在に勘づく前に出来得る限り勢力を伸長させてやるというのが、現状の方針である。それ以上の積極的介入はしない。
話を戻す。
対パナジャルス王国方面の航空戦力が大幅に強化されたことで、王国軍教導団・教導航空飛行隊は苦戦を強いられはじめた。我の制空戦力は『鳳翔』に搭載された十数機の九六式艦上戦闘機のみ。王都郊外においては航空基地の造営が始まっており、滑走路等は突貫工事で完成していたが、他の補助施設は未だ稼働には至らず、機体も届いていないのが現状であった。
「ちっ――!」
エルマ村上空にて“寸胴のP-51”と交戦した宮中ら元・ポツダム少尉らは、苦渋を舐めさせられた。敵機のYak-3は前述の通り、43年初飛行の戦闘機だ。最高速度は時速600㎞以上であり、20㎜機関砲と12.7mm機関銃2門を備えている。最高速度時速400㎞、7.7mm機関銃2門装備の九六式艦上戦闘機が太刀打ち出来る相手ではない。
交戦というよりは、白刃を一合交えた後はもう逃げるほかなかった。
(くそ――二一型でも構わん、零戦があれば!)
宮中ら教導航空飛行隊の面々は悔しがったが、精神力や技量では埋められない差があることも理解していた。新機種が到着するまで、エルマ村上空での航空戦は控えることになった。とはいえ、彼らが暇になることは決してない。
広がる王都の蒼穹、その端に数個の黒い影が忍び寄る。白昼堂々侵入してきたその機影は、民主共和国連邦軍のソ連製双発爆撃機であった。おそらくYak-3戦闘機の活躍に調子づいたのであろう、彼らはエルマ村ではなく、政治・経済の中枢部である王都に対して足を伸ばそうとしていた。
端的に言えば、王都爆撃の戦略的・戦術的意義は皆無に等しい。王都首脳部の動揺を誘うのが精々であろう。四発の重爆撃機と比較すれば、ソ連製双発爆撃機の爆弾搭載量は小さかったし、機数も少なすぎた。王都の重要施設や工房群、郊外の農村地帯を焼くには力不足である。狙いは単なる示威行為だろうか。
だが示威行為だろうが自己満足のための爆撃だろうが、爆弾が落とされれば人は死ぬ。
王都中の鐘楼が狂ったように連続して大音響を発し、国王直属の近衛軍は都民に避難を呼びかけた。瞬く間に辻々は人々でごった返した。そこに秩序はない。彼らはどこへ逃げればいいのかも、よくわかっていなかった。
民主共和国連邦軍が装備する航空機など、彼らは見たこともない。航空攻撃など都民はおろか、近衛軍すら想定していなかったのである。防空壕のような防護施設はなかったし、爆撃に耐えられる堅牢な建造物もありはしなかった。そのため彼らは、ただただ王都の郊外目指して無秩序に動くしかなかった。
第1波の編隊はその都民達の恐怖を煽るかのように、郊外に航空爆弾を落とした。黒煙と火焔、土埃から成る柱が立ち、航空爆弾を叩きつけられた大地の悲鳴は都心にまで響いた。そして第2波、8機から成る編隊は逃げ惑う都民の上空へ向かう。
「航空ゴーレムの侵入が速過ぎるッ」
近衛軍将兵の誰もが数分後の惨劇を想像し、顔を青褪めさせた。もはや避難は間に合わないことは明白であり、都民達もまた走りながら蒼空に浮かぶ黒い影を見、絶望の表情を浮かべた。
その彼らの耳朶を、空を引き裂く連続音が叩いた。
「護衛機なしで長駆、ご苦労なこった!」
敵編隊先頭2機のエンジンからパッと橙の火花が散り、主翼に次々と弾痕が生まれたかと思うと複数個の穴が空く。密集していた双発爆撃機はすぐに散開し、出鱈目な方向へ逃げ始めた。それを追うのは、左翼に青地白星、右翼に日の丸をあしらった機体――九六式艦上戦闘機。
「王国軍教導団ッ!」
鐘楼で目を眇める近衛兵が、歓喜の声を上げた。
それに応えるように旧式の艦上戦闘機は、素早く敵爆撃機に食らいつく。先のYak-3戦闘機との空戦では一方的にやられたが、今度はこちらの手番だ。敵爆撃機の編隊に護衛機は付いていない。基地間の距離が遠大になりがちな洋上での航空戦を意識せざるをえない帝国軍機と比較すると、当然ながら大陸製戦闘機は航続距離が短くなる。おそらくエルマ村以東の航空基地からでは、単発戦闘機では足が届かないのであろう。
(B-17やB-24に比べれば、遥かに与しやすい!)
空中戦の只中に身を投じた宮中は手ごたえを感じた。米軍の重爆は最低でも12.7mm級の銃座十数基で守られているが、目の前のソ連製爆撃機は1、2丁の機関銃しか装備していない。一式陸攻の方がよっぽど防御火器が充実しているだろう。
ただし速度では到底かなわない。撃墜が狙えるチャンスは初撃、次撃しかないだろう。だがそれでも構わない。とにかく敵の爆撃を阻止出来れば、それでよかった。
宮中は自機を操って緩旋回する敵機の背後にピタリと付き、射弾を浴びせる。7.7mm弾は確かに敵を捉えたはずだが、効果のほどは窺えなかった。防弾装備が充実しているのかもしれない。彼我の距離はじりじりと離されていく。
前方の敵機への攻撃を諦めた宮中は、周囲を見回した。
第一撃でこちらの射撃を浴びた2機の敵爆撃機はエンジンから煙を曳きながらまだ飛んでいるが、徐々にその高度を落とし始めている。
(被撃墜を演じる欺瞞飛行か――)
そう思っていると1機は空中で爆発四散。もう1機は急に降下を落とし、郊外の畑地に叩きつけられて、黒煙の墓標を高々と立てた。他の爆撃機は王都周辺の空域から早々に離脱していく。地上が歓喜に沸き立つ中、九六式艦上戦闘機はこれを追撃することなく、新手の出現に備えて都民の頭上に留まった。
これが九六式艦上戦闘機、最後の活躍であった。この後、王都やエルマ村の防空戦闘は旧帝国陸軍機や、新たな艦上戦闘機が担当するようになり、九六式艦上戦闘機は艦隊防空用に少数が『鳳翔』に搭載されるのみとなる。それでもこの旧式機の雄姿を、王都の人々は長らく記憶することになった。




