93.冬の街と未来の約束
「ええ、じゃあ、光キノコを食べたらしばらく体が発光するっていうのは本当なんですか?」
アリアの弾んだ声に、ほどよく酔いが回っているらしいジーナがビールのジョッキを傾けながら、けらけらと笑う。
「うん、一回だけだけど、光ってる冒険者を見たことがあるよ。あれは驚いたなあ」
「光キノコ自体を滅多に見かけないうえに、あれって少しでも明るいと発光せずに見た目はテノヒラタケにそっくりですので、誤食してしまう方がいらっしゃるんですよねえ」
「そんなに似ているんですか? そもそも、ダンジョン内でキノコを食べること自体、リスクが大きいと思うんですけど」
「それが、テノヒラタケってすごく美味しい上に、ダンジョンの外に持ち出すと一気にしなしなになって香りも歯ごたえもなくなっちゃうから、見つけたら好んで食べられるんだよねぇ」
「持ち運べるのはダンジョンの上の塔までですね。ですので、塔の中にある飲食店にとてもいい値段で買い取ってもらえますし、たまに貴族がお忍びで食べにくるらしいですよ」
アリアはほぉー、とため息をついて、しみじみと聞き入っている。
「本で読んだときは、さすがに人体が光るというのは信憑性が低いと思ったんですよ。塔の中ってどこもうっすら明るいと聞きますが、ほとんど判別できないのではないですか?」
「うん、だからほんとは箱とかに入れて光ってないか確認しなきゃいけないんだけど、何しろ滅多にないからみんな不精しちゃうんだろうね」
「夜のある階層があるんですけど、そこに潜るまで自分や仲間が光っていると気づかないケースがほとんどのようですよ」
「テノヒラタケかあ、久しぶりに食べたいな。スープにしたのが最高だったな」
「僕はソテーが一番だね。たっぷりのバターで炒めて、ビールと合わせたら最高だろうけど、ダンジョン内にビールは持ち込めないから、夢の組み合わせだけど」
「そんなに美味しいんですか?」
エリオットとアルフレッドも楽し気に話していて、隣のウォーレンに聞くと、うん、と笑って答えられた。
「名前の通り手のひらを広げたみたいな形をしていて、ひとつが結構大きい。歯ごたえは指の部分はしゃきしゃきしていて、甲の部分はコリコリしてる感じで、香りは、あれはなんていうのかな、チーズとナッツを混ぜたような旨味たっぷりの香りが口の中いっぱいに広がるんだ。あの香りだけで酒が進むだろうなあ」
聞いているだけでかなり美味しそうだ。ついつい、チーズをつまんで口に入れ、よく咀嚼してからビールをごくりと飲み込んだところでテーブルの上のビール瓶が空になっているのに気が付く。
「ビール、新しいの取ってきます」
「あ、俺も行くよ」
エリオットが部屋の隅に置いてくれたビールを取りに立ち上がると、すぐにウォーレンも来てくれた。そして、すっかり空っぽになっている木箱を見て、二人で苦笑する。
「もう少し飲みたい気分ですし、買ってきますね」
「オーレリア一人だとそんなに持てないだろうし、一緒に行こう」
他のメンバーは会話が弾んでいるし、いい雰囲気だ。上着を羽織り、二人でそっと拠点を出ると、冬の冷たい風が頬をかすめていく。
「すっかり寒くなりましたね」
吐いた息は真っ白で、空は厚い雲が覆っている。本当に、そろそろ雪が降りそうだ。
道行く人たちも早足で、なんとなく、前世の師走と呼ばれた年末を思い出す雰囲気だった。
「今日は、久しぶりに会えてよかった。婚約の後会えなかったから、少し心配していたんだ」
「私の日常は単調なものですから、結構いつも通りですよ。ウォーレンは、どうしてました?」
「俺は結構毎日が変わっちゃったかな。宿暮らしだったんだけど、今は屋敷に戻っているし」
聞けば、定宿にしていた宿があったものの、知名度が上がりすぎてウォーレン目当てで宿まで訪ねてくる者が後を絶たなくなってしまったらしい。
もし鷹のくちばし亭に滞在したまま同じ状況になったら、スーザンに申し訳なさすぎてオーレリアも他の滞在先を探していただろう。居心地のいい住処を離れるのは、辛かったのではないだろうか。
「大変ですね……今は落ち着いていますか?」
「うん、まあ、屋敷にいるのは昔からの使用人だから、気を遣わなくてもいいだけ気が楽かな」
少し困ったような横顔に、自然と眉尻が落ちる。
ウォーレンが貴族的な暮らしを求めているようには到底思えない。そもそも屋敷の居心地がいいなら、同じ王都内に宿を取って長期滞在していなかっただろう。
「もしそこも居づらいようでしたら、拠点に移ってもいいんじゃないでしょうか……。部屋ならありますし」
「えっ」
驚いたように振り向かれて、一拍置いて、汗がどっと湧きだした。
「その! 私は今はウィンハルト家に滞在していますし! ジーナさんとジェシカさんの部屋もあるので! あっでも女所帯に来るのはウォーレンさんも余計に居心地悪いですよね!?」
中々調子よかったのに、焦りから思わずさん付けに戻ってしまう。オーレリアが盛大に焦ったのが悪かったのだろう、ウォーレンも頬を赤く染めてしまった。
「あ、うん、ええと、そうだね……ジーナもジェシカも全然気にしないだろうし、きっとすごく楽しいし居心地もいいと思うけどさすがに。……いや、俺は何を言っているんだ」
がりがりと後頭部を掻いているウォーレンに、何を口走ってしまったのかと、両手で顔を覆う。
考えなしに口に出して、恥じ入っていては世話もない。
「あの、すみません、さっきのは忘れてください」
「うん、ごめん、俺も忘れて……」
言葉が途切れて、てくてくとしばらく賑やかな方向に並んで歩き、それからふっとお互い苦笑しあった。
「今日のパーティが楽しいから、少し酔っているみたいです」
普段はビールで酔うことはほとんどないが、黄金の麦穂のメンバーは話好きで盛り上がるので、場酔いしているというのもあるかもしれない。
「俺も。拠点が売れたって聞いたときは寂しかったけど、買ったのがオーレリアでよかった」
「アリアも楽しそうにしていてよかったです。ジーナさんとジェシカさんとは、気が合うみたいで」
「みんなも、いつもより進んでいるよ。ビールだってあんなに買い込んだのにもうないなんて、よっぽど楽しかったんだと思う」
その言葉に頷く。オーレリアも普段よりペースが速くなってしまっていた。
ウィンハルト家には大変よくしてもらっているけれど、朝食と夕食が貴族仕様の食事であり、昼食は持たせてもらっている料理を拠点で一人で食べることが最近のお決まりの一日である。
こうしてわいわいとおしゃべりをしながらの食事は、とても楽しい。
「たまに、こんな風に集まれるといいですね。みなさんとても忙しいでしょうけど」
「多分すぐに、オーレリアのほうが忙しくなるんじゃないかな。王都の商業を根底から覆していく可能性の高い、とても有望な付与術師だし」
「明らかに過大評価だと思いますけど、失望されないように頑張りますね……」
お見合いの前にエレノアがウォーレンに伝えたらしい言葉に、苦笑も出てこない。
「みんなで集まるのもいいけど、色々と落ち着いたらどこかに行かない? また屋台巡りでもいいし、そのうち領地に足を運ばなきゃいけなくなるかもしれないから、オーレリアの予定が空いていれば、その時でも」
「領地って、ウォーレンの領地ですか?」
「うん、西部の海沿いの街を含む領地でね。といっても、代官任せで俺は行ったことがないんだけど、その代官がそろそろ年だから息子に後を引き継がせたいって話が出ていて、一度くらいは自分の領を見に行くようにって祖父にも言われていて」
「ウォーレンは、南のほうの出身なんですよね?」
「うん。――俺が南部に戻ったら、もう王都には寄り付かなくなると思われたんだと思う」
時折、ウォーレンの抱えている事情が垣間見えることがあって、それは彼が自由に生きることのできない足かせの鎖が反射する光のようだった。
実際は南部に戻ることはせず、かといって領地に足を向けることなく、王都にある貴族の屋敷に滞在もしないまま、ここまで来たらしい。
「改めて言うと、何をするのも中途半端で、恥ずかしいな」
「ゴールドランクになってダンジョンを踏破したんですから、立派に成し遂げているじゃないですか」
「うん、まあ、そうなのかもしれないけど。俺の中に冒険者生活は、与えられたものから逃避していたって意識があるんだろうね。だから、貴族やマスコミに踏破を讃えられても、少し居心地が悪いんだ。結局、やるべきことをやっていないって後ろめたいんだと思う」
オーレリアとの婚約も、彼にとっては逃避のひとつなのだろう。
「私もいろんなものから逃げて、面倒を避けて王都に来ましたけど、今は結構悪くない……いえ、すごく楽しいです。逃げることはそんなに悪いことではないと思います」
「オーレリアは逃げて正解だよ。特に、性質の悪い婚約者からは」
「はい、ウォーレンのおかげで助かりました。私が逃げた先にいてくれたのがウォーレンで、本当によかったです」
ウォーレンはぱちぱちと瞬きをして、それからくしゃり、と笑う。
「俺も、逃げた先にオーレリアがいてくれて、本当によかった。逃げたおかげで、今日もすごく楽しかったし」
「これからもきっと楽しいです。私、海を見たことがないので、いつか一緒にいきましょう!」
「ああ! ダンジョンで海っぽいものには散々浸かったけど、実は俺も、海は見たことがないんだ。本物を見るのが楽しみだ」
ようやくちゃんと笑ってくれたウォーレンに、オーレリアも相好を崩す。
酒屋までの距離はそう遠くなかったけれど、冬の冷たい空気の中、足早に進む王都の人々の波を、二人はゆっくりと進んでいった。
別作品ですが、捨てられ公爵夫人は~の3巻のサイン本の数が確定したとお知らせいただきました。
3巻には象牙の塔のシンボルのスタンプを作りましたので、一冊一冊、心を込めて書かせていただきます。
たくさんの予約をいただき、本当にありがとうございます。




